
「もう何も気をつけないようにしてる」親の精神疾患に子どもたちが思うこと
目次
家族の病気を知ってどう思った?気持ちの葛藤はあった?



ご家族が病気だと知ったとき、皆さんどう思ったのかお聞きしたくて。はなのさん、どうですか?
父は、川で死のうとしていたらしくて。でも死ねなくて、フラフラしているところを、誰かが見つけてくれたみたいです。


はっきり覚えているのは、再発のときで…。4年前にうつ病が再発したときは、母から「お父さんがまたうつ病になった」って電話があったんです。
過去にうつ病になって、回復してからもう10年くらい経っていたから、どこかで「お父さんはもう大丈夫」って思っていたんですよね。うつ病が再発して、「あ、大丈夫ってないんだ」って感じでした。




くまの「飲まなくなっちゃうんですよね…」
10年経って再発して、正直「この10年でどうにかできなかったのかな」とも思いましたね。父にも、それは自分にも。
父が再発したのが、自分のせいなのかなと思ったこともあるし。


その反対を押し切って転職を決めたから、もしかして、再発に影響したのかなって…。


くまのさんは、ご家族が病気だと知ったとき、どう思いましたか?
夜中に病院の人が来て、母を連れて行ったらしいんですけど、物音とかも全然気がつかなかったんです。朝起きて、祖母に「お母さん入院したから」って言われても、「えっ?」って感じでしたね。
いまいち実感がなくて…。たぶん、母が統合失調症になったってことを、受け入れられていなかったんだと思います。


地元の友達と離れたくもなかったから、父にお金を援助してもらって、一人暮らしを始めたんです。一人暮らしを初めて、やっと、病気を受け入れる時間をもらえた感じでした。


一人暮らしのときは、友達がみんな遊びに来てくれて、しばらく楽しいだけの時間を過ごして…。ちょっとずつ友達に母のことを話せるようになりました。
一度、友達の前ですっごく泣いてしまったときがあって。「お母さんいなくなっちゃったじゃん!わーん!」みたいな(笑)






「勉強ちゃんとしないなら、家族の面倒とか、やってもらうから!!」って感じのトーンでしたね。


ミルコさんの告知話に、どよめく3人。
ただ、そのときは父の症状もほぼよくなっていて。正直、「巻き込まれなくてよかったな」という気持ちはありました。


「これは、とうとう自分の出番が来たかもしれないな」と思いましたね。
「3ヶ月くらいしたら元に戻れると思うから、ちょっとの間よろしくね」と父に言われたんですけど、そこから7ヶ月くらい自宅療養をして…。一度職場復帰したものの、すぐにまた休職になってしまったんです。


人格が違うように見えて、「これは、ザ・病気だ!」と思いました。自分とは遠く離れた、異様な病気のように感じてしまったんです。


父が職場復帰できないことで、老後の貯えも食いつぶしてしまうかもしれないと思って。「私が生活費を稼がなくちゃ!」と、ある時期に転職をしたんです。
睡眠が4時間くらいの日が、数ヶ月続いて…。休みたいけど休めないときに、不可抗力で働けなくなれば、休めるかも!と思ってしまったんです。じゃあ、車にひかれたらいいのかも!って。


カウンセリングに通ったら緩和したんですけど、その経験から、メンタルのことって遠い世界の話じゃないんだなと思って。誰にでも起こりうることなんですよね。
そこから、父の治療にも関わっていこうと思うようになりました。

家族のサポートで、気をつけている点はある?

そのときに、つい「がんばってね」って言っちゃったんです。がんばってって言われることが一番嫌なはずなのに、しまった!と思いましたね。


そしたら、「みんなはまだ働いているのに、俺は10年しか働けなかった…」って落ち込んでしまって…。ものすごく反省しました。
下手に励まさないほうが、お互いのためにもなるんだなと学びましたね。


ミルコさんは、なにか気をつけていることってありますか?


そのとき、父は携帯の電池が切れていて、会社のパソコンで母にメールを送ったみたいで。それを社内の人に、私用のメールは控えるように言われたらしいんですね。まぁ、当たり前のことじゃないですか。
そしたら、それがきっかけで、一気に落ちて。


そのとき、私がどれだけ気にしても、落ちるときは落ちるんだと思って。避けようがないんですよね。だったら、気にしても意味がないと思ったんです。
非人道的な言葉を言わない限りは、もういいやって割り切るようにしました。


今は、母の言うことを頭から否定せずに、まずは認めるようにしています。




母も、敵視している人を本当に排除してほしいっていうより、自分の気持ちを聞いてほしい気持ちがあるんだと思うんです。しっかり話を聞くと、納得してくれることも多いので。
母の言うことが支離滅裂でも、世間一般的な考えて「いやそれはおかしいよ、間違ってるよ」とは言わないようにしています。それを言うことで、症状が悪化してしまうこともあったから。

“家族”としてのサポート、どんなことが大変だった?


「どうしてこんな境遇なんだろう」って、思ったこともありました。





母は家で大変そうだし、父だって苦しんでるし…。私は仕事を頑張る形で家族を支えてるんだ、と自分を肯定してるけど、それ自体が逃げなんじゃないか?とも思ったり。




日々の葛藤とか、こんなことが苦しいとか、毎日。


くまのさんとはなのさんは、先が見えない不安をどうやって解消してますか?
統合失調症のことを調べると、「治る」って書いてある記事と、「治らない」って書いてある記事と、両極端で。結局、先のことなんて分からないんですよね。
だったら、とりあえず「治る」って思っとこうかなって。

私がいくら悩んでも、できないことって絶対にあるし。母のために生きることもできないし、ずっと支えて守ることもできないから。
だったら、考えてもしょうがないなって割り切るようになって、いろいろと気持ちが楽になりました。


はなのさんは、いかがですか?
人に言うことで、なんとか発散している感じですね。


くまのさんは、ご家族のサポートで大変だったことってありますか?
私、地元の友達のことが本当に好きで。母が病気になったときに支えてくれたのは友達だったし、その子たちのお母さんにもとてもよくしてもらっていたから。


電話で、「どうしてお母さんからの電話に出ないの?警察に保護されて、これから入院になったよ」って言われたんです。


「娘を返せー!」って叫び続けているところを警察に保護されて、そのまま入院しなくてはいけなくなって…。姉は子どもが産まれたばかりだったから、私が入院手続きに行かなくてはいけなかったんです。
でも、そのとき、私は飲み会に行くところなのに!?って思ってしまって…。


たかが飲み会だけど、自分が楽しみにしていたことを、無条件に諦めなくてはいけないのかって、すごく憤ってしまったんです。




はなのさんは、「これがきつかったなー!」と思ったことってありますか?


結婚を予定していた時期から、1年くらい伸びてしまったんです。結果的には、父には言わずに入籍して、最近結婚したことを伝えました。





父の徘徊が止まらなかったり、刃物を持ち出すようになったとき、入院を決めたのも母なんです。でも、なかなかよくならなくて。見かねた叔父が、「もう退院させる!」って、本当に父を退院させてしまったんです。


母も仕事をしていたので、父のお見舞いに毎日行くことも難しくて。私も仕事をしているから、たまにしか会いに行けなかったんです。
それに対して、叔父は「家族なのに冷たすぎる!」って腹が立つみたいで。



はなのさんの話に、共感の嵐でした。

でも、そうやって騒ぐ人って、実際の家族がどれだけ苦労しているのか知らないんですよね。知らないからこそ、置いてけぼりの気持ちになって、「まだなんかできるんじゃないか?」って騒ぐんだと思うんです。家族は、そんなことやりつくしているのに。




くまのさんも、介入してくる親戚っていました?
「お母さんは、どうして部屋から出てこないんだ?」とか、「お前がしっかり話してあげないと」とか、いろいろ言ってきたり。病気だと理解していないから、話せば解決すると思っているんですよね。


“自分”のために、意識していることはある?

相手のことだから、考えても答えはないじゃないですか。つらさに巻き込まれて、自分の気持ちが下がってしまうのも困るから。仕事に集中したり、他のことに意識を向けると楽になることはありました。


あとは、できればこれから先、国の支援も受けていきたいなと思っています。父が働けないと、金銭的に母は苦しいと思うから。


私も、生活保護もそうですけど、救護施設の方とか、友達とか、姉とか、頼れるところはフル活用したいと思っています。
自分だけで、いろいろと抱え込まないように。


お母さんが精神疾患じゃなくて、例えばガンでも、骨折でも、風邪でも、できないことはあるから。それを「どうしてできないんだろう…」って思っても意味がないから、もう割り切ってます。
昔は、夜寝ているときに、「今お母さんが自殺してたらどうしよう…」って不安になることもあったんです。自殺未遂も起こしていたから。


でも、毎日死なないように監視できるわけじゃないから…。できないものはできない!私はしっかり眠ろう!と割り切って、今は過ごしています。


昔は、「私がすべて生活費をまかなう!」と決めた時期もあったんですけど…。それをすることで、父の働きたい気持ちとか、やる気とかを、すべて削いでしまうんだと感じて。
全面的に支えてあげるんじゃなくて、こぼれ落ちそうなときに、ほいっとキャッチできるようなサポートをしたいなと思っています。

そういうときは、なにもしないんです。できることがないときは、なにもしない。父のためにも、自分のためにも、それがいいんじゃないかなと思っています。


今回、ご家族側のお話を伺えて、私もとっても参考になりました!そこまで考えて、私たち家族に接してくれているんだなぁと…。
今日はお集まりいただいて、ありがとうございました!記念撮影、しましょう!
(左から)はなのさん、くまの、ミルコさん、進行役の林田さん。気が付いたら終了時間になっていたくらい、短く感じた2時間でした。皆さま、ご参加ありがとうございました!
「家族だから」と100%の力で相手を支えようとすれば、自分のメンタルも弱ってしまいます。今回の座談会で、自分の心も大切にすることを改めて意識していきたいと感じました。
ミルコさんとはなのさんのご家族が、そしてもちろんお二人も、安定した生活を送れますように。自分にできることをしていけば、きっとそれで充分なのではないでしょうか。
こっそり、第2弾の予告です。話が盛り上がりすぎて、急遽続編が決まりました。次回の議題を書き出したホワイトボードがこちら。次回の座談会で、できる限りお話しします。乞うご期待!
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- 本記事は2019年9月4日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。