世界一明るい視覚障害者として引きこもりだった自分に伝えたいこと

2017.01.14公開 2020.05.08更新

「俺の人生って厳しいんだな」

大学生活で、いろんな知識は得られましたが大学は嫌でした。

 

なぜかというと、いわゆる健常者の先生が出てきて「お前ら、障害者はな…」って授業するわけです。

 

当然、僕としては「ちょっと待てよ」ってなりますよね。「あなたは、教授として偉いかもしれないけど、こっちは20年キャリアの障害者ですよ」と。

 

「障害者の気持ちは、こっちの方がわかっているんじゃないかな」と思ったことが理由の1つです。

 

2つ目は、漫画読んだり、アイスを食べながら授業を受ける周りの学生と自分の状況にギャップがありすぎたこと。

 

障害者福祉論という授業で「障害者ってね…」って聞くたびに、一人泣けてきたんですよ。

 

「あぁ、俺の人生って厳しいんだな」と、現実を突きつけられている感じでした。

 

通っていた埼玉県立大学は、県立大学でも日本福祉のトップ5の大学でしたが、受験に失敗したと思っていました。

 

大学入った時、周りの皆のことをバカにしていたくらい。笑

 

「社会福祉士と精神保健福祉士、あと介護福祉士の資格を取って卒業するよ」って。

 

そこでまず、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という、体の筋肉が動かなくなっていく難病の人のボランティアに行ったんですね。

 

そのALSの人とお会いしたのですが、まばたきしかできないんです。

 

ボランティア皆で体拭いたり、お手洗いのお手伝いをしていたのですが、直感的に「これはできない」と思ってしまったんです。

 

「人の生き死に関わることなんて受け止められない」と。

 

そのボランティアをきっかけに、福祉から逃げていくみたいな感覚がありました。

 

自分がケアを受けている現実

あと大学時代に、一人暮らしで不自由することもあったのでヘルパーさんに家事を手伝ってもらっていました。

 

週2回ほどヘルパーさんに買い物を代わりに行ってもらったり、掃除してもらったり。

 

ある日、ヘルパーさんが自分の携帯にかかってきた電話に出て一言、

 

「ごめんなさい、今ケア中だから」って言っているのが聞こえたんですね。

 

大学でケアの勉強している俺がケア受けている…。その現実がすごく嫌になってしまってヘルパーをすぐに辞めたんですよ。

 

やっと一人暮らし始まったノリノリの20代。

 

「なんで僕が支援を受けなきゃいけないんだ」と、すごくプライドが傷つきました。

 

そういうこともあって、僕が人生で初めてお金を頂いた個別指導塾でのバイトも障害のことは全部隠してやってました。

 
個別指導塾でのアルバイトでは、塾に来れる不登校の子どもや親がいない子どもを預かることが多かったですね。

 

ただ、目が見えないので、生徒が書いた内容を声に出してもらったり、工夫しながら勉強を教えていました。

 

ゲーム形式で生徒と接していたことがかえってウケて、当時は人気講師だったと思います。

 

皆が僕のことを必要としてくれて、結構嬉しかったですね。

 

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成績が悪化。2年間の引きこもりに

ノリや雰囲気で乗り切れて来た大学生活も、ある時期から成績が悪くなっていました。

 

でも、そのことをどう周りに頼ったらいいかがわからずふさぎ込みがちになり、学校に2年間も行けなくなっていました。

 

引きこもりのことを誰にも言ってなかったので、何も知らない友達がピンポーンって僕の家に来るんですね。部屋から出ようと思っても出れませんでした。

 

怒られると思ったり、「体調悪かったの?」って言われても「別に体調悪いっていうことではないしなぁ…」と思って、上手く話せる自信がありませんでした。

 

僕が扉を開ければ、1年や2年の引きこもりの期間がクリアになるとわかっていても、できなかったですね。

 

ずるずると引きこもり生活が続いて、人生で初めて折り合いが上手くつかず、判断もできずに、2年間のひきこもるようになっていました。

 

実家には、盆暮れに帰っていましたし、親とは毎週のように電話で連絡を取っていたんです。

 

ただ、引きこもりのことは伝えていなかったので、

 

「そろそろテスト期間中だよ」

「就職活動、結構大変だよ」

「卒業論文忙しいよねー」

 

と話を合わせながら、2年間嘘ついてたんですよ。

 

留年なんてしたら捨てられると思っていました。

 

「こんなはずじゃないのに」と現実と理想の間にあるギャップに悔しい思いを感じていました。

 

引きこもりのことを初めて打ち明けたのは、ある国家試験を受ける予定の日でした。

 

その朝方、「今日、国家試験頑張ってね」と弟からメール来て、「俺、家にいるけどどうしよう…」って思いながらも「裏切ってごめんなさい」って。

 

でも、「2年」って言うとびっくりするかなと思って、「ごめんなさい、学校に1年行ってませんでした」と言ってしまったんです。

 

怒られると覚悟していた親父にも伝えると、「お前もスーパーマンじゃなかったな」と意外な反応でした。

 

その時、「失敗してもいいんだな」って思いましたね。

 

心の片隅に「これで大学卒業できるんじゃないかな」って思えるようになって、引きこもりから抜け出せるきっかけになったと思います。

 

2年間、嘘ついて生きていくって相当つらいですよ。

 

引きこもりで学校に行っていない間、

 

「今日は、授業早く終わったんだ」
「今日、休講だったから」

 

と、恋人や友達や親などと連絡を取っていましたからね。

 

しかも、その頃、学校に行っている感じでブログも書いてました。笑

 

だから、今でも「また逃げちゃうかもしれない」「また嘘つくんじゃないかな」という恐怖心を感じることもあります。

 

自分の弱さを認められたきっかけ

大学での夢の一つに「部活」があって、サッカー部に入っていた時の話です。

 

別にボールに鈴が入ってるわけじゃなく、「暗闇の中でやるサッカーなんて…」とくじけそうになることもありました。

 

音を頼りにしている僕のせいでプレイも止まりますし、ある時、「僕って邪魔ですよね」ってキャプテンに言ったことがあったんです。

 

そしたら、「お前が自分を邪魔と思ってる、その気持ちが邪魔だよ」と言ってくれて。

 

憧れでもあった部活の経験の中で、僕の存在を受け止めてもらったことは、すごくうれしかったですね。

 

戦力にもならないのに、誰一人文句言わなくて、むしろ、飲みに連れて行ってくれたりもしました。

 

「こんな自分でも人が必要としてくれてた」という経験はやっぱ大きいですね。

 

自分の弱さを認めておおっぴらに話せるようになった、もう一つのタイミングは大学の時に経営コンサルティング系の会社で働き始めた時でした。

 

入社倍率が非常に高い会社で、入ってみると本当に素晴らしい人ばかりでした。

 

そんな中でも、クライアントのある経営者にすごく喜んでもらったことがありました。

 

「成澤君と会って今日は元気になったよ」

「成澤君が頑張っているから、もっと頑張らなきゃなって」

 

って。これは実際に感じたことですが、経営者の抱えてる孤独感と障害者の抱える孤独感が近かったのかもしれません。

 

答えがないとか、誰からにも守られないとか、やって当たり前と思われたりとか。

 

そう思うようになって、障害のせいでできなかったことが、逆にプラスに働くんじゃないかなと思えるようになりました。

 

それ以外にも、クレームを一緒に謝りに行ってくれた当時の上司の存在も大きかったです。

 

これまでの人生で、誰かに守ってもらったという感覚が一回もなかったんですね。

 

僕のことを僕以外の人が謝ってくれた経験が初めてで、「守られてるなぁ」ってつくづく感じましたね。

 

この会社では昼夜問わず働き続けましたが、そまで出来たのは自分を必要としてくれた人のおかげ。

 

初めて人にエネルギーを注げたことは、超幸せでした。今、この話をしているだけで幸せですから。

 

自分の辞書に初めて「相手」っていう言葉が生まれましたね。

 

うつ状態で退職。その後のキャリア

そんな素敵なエピソードのある会社に新卒としてそのまま入社したのですが、無理がたたってか、うつ状態となり体調崩して倒れてしまいました。笑

 

会社も辞めることになり、目の担当医に会いに行くと、
 

「過労でもなんでもない。視覚障害者として仕事をする土台作りをしてないから、こうなってしまったんじゃないかな」

 

と。その通りだなと思いましたね。笑

 

視覚障害者だからといって、おじいちゃん、おばあちゃんばかりの訓練所に行くことにすごく抵抗がありましたが、その一言で行くことにしたんです。

 

でもやっぱり、「なんで、俺はこんな所にいるの?」とずっと思っていました。ベンチャー企業でコンサルタントをするべきなのにと。

 

でも、人生でいつかは訓練所に行かなきゃいけないって思っていたので、そのタイミングをもらえたのは良かったなと思っています。

 

その後、独立して2、3年仕事をしていく中で、ご縁があってNPO法人FDAの事務局長に2011年12月に着任することになったんです。

 

理事長になってからは色んなことをすごく悩みました。

 

一番思ったのは、「誰かに守られたい」ということ。誰か俺を守ってくれよと。笑

 

でも、もうそれには答えが出ていて、僕を守ってくれるのは、会社の理念や僕の使命だと思っています。

 

そして、僕のことを頼ってくれることも嬉しいですし、なるべく人のために会いたいなと。僕の時間は僕の時間だけではなく、みなさんのための時間でもあるので。

 

どんな人でも「会いたい」って言ってくれれば会うようにしていますし、そうあり続けたいと思っています。

 

「大丈夫だよ」を発信する場所

FDAの利用者さんからは、

 

「今、父と喧嘩しているんで間に入ってください」

「今、幻聴が聞こえているんですけど」

 

みたいな感じで、毎晩のように電話が来ています。

 

「いつでも連絡してきていいよ」って言っていることもあり、本当に遠慮なく連絡が来ます。笑

 

こないだも「今、泣いてるんですけど、話聞いてもらってもいいですか」と電話が来たので、「全然いいぜ」ってじっくり話を聞いていました。

 

FDAの就労支援のあり方として、メンバーに合った仕事を見つけてくるようにしています。

 

メンバーそれぞれともじっくり話をしているので、100名くらいのメンバーについて「2時間喋れ」って言われたら喋れます。誰よりも、その人たちのこと分かっていなくてはいけませんし。

 

メンバーとの面談では、「俺にできることある?」「お願いごとない?」って聞くようにしていて、

 

「実はもう少しパソコンの仕事したいです」

「旅館で働くのが夢なので」

 

とか教えてくれるので、1、2週間後に「やりたいって言ってた仕事見つけてきたよ」といった感じのやり取りをしています。

 

くも膜下出血で片手が不自由なメンバーがいて、切り絵をやっているんですが、涙の出るような素敵なものなんです。

 

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くも膜下出血で指が動きづらくなっているので、リハビリテーションの一環で、切り絵を作ってみたらということで始めたんです。目が見えない僕にも作ってくれるって言ってくれて。

 

すごく時間かけて作ってくれていて、本当に嬉しいですね。いつもオフィスに飾ってあります。

 

「僕が出会いたかった人になりたい」

目標を立てるっていうのが苦手なんです。僕らって、毎日生きることで手一杯なんですよね。

 

僕の病状だって、どうなっているかわからないですし。目標を設定したところで、メンバーもあまりピンと来ないような感じです。

 

1年後2年後3年後、そんなの知るかいって。笑

 

今が一番大事なんです。

 

僕自身、「繋がり」を作ることが最大のテーマ

 

就業困難な人でも、その人に合った仕事と繋がって、人生が少しでも豊かになるような取り組みをいっぱいやり続けていきたいなと思っています。

 

僕は「僕が出会いたかった人になりたい」と思っているんです。

 

高校時代、誰も僕に生き方や働き方を教えてくれなかった。

 

「点字、覚えると良いよ」とか言うけども、光を失うか失わないか、働けるのか働けないのかという大事なことは誰も教えてくれませんでした。

 

だから、僕のような境遇の人に「大丈夫だよ」ってメッセージを発信し続けられたらいいなと思っています。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2017年1月14日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。

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