「本当にごめんね…」家族が謝った関さんのある行動とは?【関茂樹さん 2/4】

2017.01.07公開 2017.03.21更新
 
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関茂樹さんインタビュー第2章。今回は、暴走族を19歳で引退し、少し肩の力が抜けたと思った矢先…突如、身体の不調に襲われてしまった当時の様子や、家族に病気を理解してもらうために取った行動について伺いました。

 

 

突然襲った身体の不調

暴走族を引退して1ヶ月くらいが経った頃、夜寝ていると突然、身体中に電気が走るような感覚で飛び起きました。

 

すると全身にじんましんが出ていて。それまでは病気とは全く無縁の生活を送っていて、体調が悪いっていうことがあまりなかったのですが。うまく言い表せない尋常ならぬ違和感が体にありました。

 

 

その日を境に、急激な体調不良が始まりました。当時、原因は分からなかったのですが、今思えば環境の変化が原因の一つなのかもしれません。暴走族を引退してからは生活が変わりましたから。

 

また、朝までお酒を飲んで寝ないで仕事に行くことや、暴走族の世界での厳しい人間関係などから知らず知らずに疲労やストレスを蓄積していたりして。そういう感じで、色々と複合的な要因があったのかも、とも思います。

 

一番つらかったのは睡眠障害でした。とにかく全然寝られなかったことですね。

 

それに伴うように様々な体調不良が現れました。物事が全然リアルに感じられないし、あらゆる感覚が麻痺しているような感じ。それまでの自分と今の自分が別人のようにも感じました。

 

 

受け入れられない現実

自分が自分じゃないみたい、目に映るものにフィルターがかかっているような感じ。感情・感覚鈍麻…今思えば、うつとか統合失調症に見られる色々な症状がわが身に現れました。

 

思考能力がひどく低下し、物事が全然理解できなくなり、人と人とが話している内容もよく分からなかったりもしました。あれこれ忘れっぽくなったり、極端に物覚えが悪かったり。

 

そういう不調が立て続けに起こって、最初は現実を受け入れることができませんでした。仕事はおろか、日常生活にも支障が現れ、とにかく焦り、不安になりました。

 

焦り、不安、考え込み、疲弊し、落ち込み…そんな終わりのない悪循環に陥りました。

 

「アイツ最近元気ないよな、少し変だよな」と周りに思われたりもしたと思います。それを過剰に意識して、変な噂が立たないように、自分の中の異常を悟られないようにと無理して平然を装ったりもしました。

 

 

誰にも言えず苦しかった毎日

当初、自分の体調不良を友人はもとより家族にも言えませんでしたね。もともと何か困ったことがあってもそれを誰かに相談するタイプではなかったですし。

 

私の変化に何となく勘づいて「最近なんか変じゃね?」と気にかけてくれた人もいましたが、「別に。大丈夫」と返すやり取りもありました。

 

ただ、全然寝れなくなったことに困惑し、「最近よく寝れないんだけど、どうしたら寝れるようになるかな?」って友人に相談したことはありました。「寝れない=おかしくなった」と思われることはないと思っていましたので。

 

しかし当時の友人からは、「酒飲めば寝れるよ」とか「ずっと寝なければそのうち寝れるよ」などの返答で。そこまで深刻な状況だとは思われてなかったと思います。

 

 

検査結果は「異常なし」

3~4ヶ月ほど体調不良が続いて、これはおかしい、我慢し続けるのは良くないと思い、そこで初めて病院に行くことにしたんです。「体調がこんなにおかしいのは何か原因があるに違いない」と思ったので。

 

しかし”内科”で受けた検査の結果は「異常なし」。

 

こんなに体調が悪いのに、そんな訳あるかと、検査結果を受け入れるのは難しかったです。

 

検査結果に異常が見られれば、原因を特定でき、治療することができると考え、無意識的に検査結果に何かがあることを求めていたと思います。

 

当時は精神科や心療内科というのは、とても敷居が高くて気軽に行けるような場所ではありませんでした。まさか自分が精神的な病気にかかるとは思っていなかったですし、そんなこと微塵も考えられませんでした。

 

 

「もう来ねえよ!」

精神疾患を患ったなんて認めることができず、ましてや精神科に行くなんて考えられなかった。だから内科に行ったのですよね。

 

最近では、病気の情報はインターネット等で簡単に入手でき、内科を受診しても丁寧な説明と共に、適切な精神科や心療内科につないでくれる医師も珍しくないと思います。

 

しかし、私が不調で悩んでいたのは16年も前のことなので、今とは違いました。

 

ある内科の医師から言われたのは、「自律神経失調症」。

 

どうしたら治りますかと尋ねると、淡々と「規則正しい生活を送るしかないですね」と言われて。それができない状況を困っていたのですが、こちらの訴えには耳を傾けてもらえませんでした。

 

その後、幾つもの病院を尋ね、診察や検査を繰り返し、時は過ぎれど症状は一向に良くならず。やがて医師のことを信頼できなくなり、体調も良くなる気配はなく、限界でした。横柄な態度の医師と喧嘩をして、「もう来ねえよ!」と吐き捨てたこともありました。

 

 

悪化する家族との関係

家族との関係もどんどん悪くなっていきました。

 

それは体調不良をはじめ、様々な要因がありましたが、自分が仕事をせず(できず)に家でやり過ごすことが多くなったことが一番の原因だったと思います。暴走族をやっていた時は、家に全然寄り付かなかったのですが。

 

家にいる時間が長くなってきて、仕事もせずに怠けているように見える自分に、家族からの当たりも厳しくなりました。

 

「寝れない」、「具合が悪い」と言っても、「自分に甘いだけだ」、「詐病じゃないか」などと厳しい言葉が返ってくるばかりでした。

 

 

勘当される手前にまで

精神的な病を抱える当事者から、「家族に理解されないのがつらい」との訴えをよく耳にしますが、当時自分も身をもってそのことを痛感していました。

 

なんでこんな状態に陥っているのか、なんで体調は一向に良くならないのか。自分の状態を自分でも理解できず、受容できず…。具合が悪くて外に出られない、寝れない。病院で診察を受けても異常は見られない、良くならない…。

 

ただただ具合が悪くて、様々な異常を覚えるだけ。家族との関係性はどんどんこじれていき、ついには勘当される手前にまで悪化しました。

 

 

どうしたら理解してもらえるか

この状況下で家族に勘当され、家を追い出されたら絶望的だと危機を感じて、「どうしたら家族に自分の状況を理解してもらえるのだろうか」と考えました。どうにかして家族に理解してもらわなくてはと。

 

うつ病は自責の念、自己嫌悪、自信喪失、自暴自棄にとりつかれているような傾向が症状としてありますが、私もそうでした。このような状況に陥っている不甲斐ない自分が本当に嫌で嫌で、常に不安や焦燥感があり、落ち着いていられませんでした。

 

詐病なんかではなく、本当に具合が悪くて長年厳しい状況にあること、自分なりに状況を打開しようと努力していることを家族に分かってもらうために、どうしたらよいか考えていました。

 

 

指を切り落とす

そして、情けなく不甲斐ない自分への戒めと、今後の奮起につながるように。そのような思いや理由から、自らの指を切り落とすことを決めました。

 

もともと暴走族だったことが、「指を切り落とす」という発想につながったのかもしれません。暴走族の世界では、指がない人たちをそれなりに見てきていたので。

 

一日中、家にいるのも、仕事ができなくなっているのも、「好きでやっているわけじゃない。甘えなんかではない」ということを、とにかく家族に分かってもらいたかった。

 

21歳だった自分の指は、電動ノコギリでいとも簡単に落ちました。

 

そのような行為は、普通の人からすると到底理解できず、通常の精神状態でなかったとか、混乱状態の最中、衝動的に行ったとか思われるかと思います。

 

しかし、自分は冷静でした。家族からの理解を得るには、この状況を打開するためにはとよく考えた上での行動でした。

 

指を切り落とした後、自ら救急車を呼びました。その際、家族にも近所にも迷惑をかけたくなかったので、近くまで来たらサイレンを消してくださいとのお願いもしました。

 

今でも覚えているんですが、そのときに救急隊員の一人が自分と歳が近そうな女の人だったんです。その人は一生懸命自らの任をこなしていました。

 

その姿を見て、「俺、何やってんだろう…。同じくらいの年齢の人が、こうして懸命に仕事をしている。俺は将来の見通しすら立たない。…」と切なくなったことを覚えています。

 

その後、変わり果てた自分の手(指)をどのタイミングで家族に見せるかというのは難しいものがあって。

 

しばらくはポケットの中に手を隠して何気なく生活していたのですが、3日くらいして母親が「どうしたの?」って聞いてきて。「実は」と言って包帯まみれの手を見せると、母親は卒倒してしまいました。

 

 

家族の理解と不思議な安堵感

なぜ指がなくなったのか、自ら切り落としたのか、その理由を打ち明けたところ、母親は取り乱しながらも「そこまで苦しんでいたなんて、分かってあげられなくて本当にごめんね」と言ってくれました。

 

父や兄も「あいつ苦しんでいたんだな、頑張っていたんだな」と理解を示してくれたようでした。

 

一生の傷を負うことになりましたが、ようやく自分の想いや状況を家族にしっかり伝えることができて、不思議な安堵感がありました。

 

 

自分も家族も病気を受け入れた

家族の理解も得られたのと同時期に、自分自身の体調不良(病気)についても、だんだん分かってきて、それを受け入れられるようになりました。

 

それまでは、自分はもしかしたら精神的な病気なのかもと頭をよぎっても、自分に限ってそんな訳はない。そんな弱い人間ではないとそれを受け入れることはできませんでした。

 

しかし、インターネットが普及し、自分と同じような症状で悩む人はたくさんいること、精神的な病気は誰が罹患しても不思議ではないことを知ることができ、自分も自身に起こった現実(病気)を受容できるようになって。

 

家族からの理解を得られたこと、病気に関する情報を得られたこと、病気を受容することができたこと。それによって焦燥感や不安感なども和らぎ、徐々に眠れるようになり、状況は良い方に向かっていきました。

 

 

***********************

 

暴走族を19歳で引退し、突如、身体の不調に襲われ、友人らに苦しみを打ち明けることができなかった関さん。状況を打開するために、自分の指を切り落としてしまうほどでした。

 

病気を受け入れられるようになり、体調も少しずつ回復してきた関さんの次なる行動とは?

 

続きは、第3章へ

PHOTO by 齋藤郁絵

 

 

関さんのインタビュー

【Part1】1学期で高校を辞めて暴走族に…精神保健福祉士になるまでの道のり

【Part2】「本当にごめんね…」家族が謝った関さんのある行動とは?

【Part3】悩んでいる人の助けになれる仕事を…その手段として選んだ道のりとは?

【Part4】辛い経験はマイナスだけでなく、かけがえのない財産にもなる

 

 

関さんが取り組む活動

シルバーリボン活動

シルバーリボン公式啓発グッズ

自立援助ホームNEXT

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

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