悩んでいる人の助けになれる仕事を【関茂樹さん Part3】

2017.01.08公開 2017.06.18更新
 
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病気を受け入れ、体調も回復

自分自身で病気を受け入れられたことで、心が軽くなり、少しずつ夜も眠れるようになりました。そのおかげで少しずつ体調も良くなってきて。

 

ですが、同じ経験をされた方ならお分かりかと思うんですが、体調が良くなっても、社会から遠ざかっていた空白の時間(社会的ハンディキャップ)は簡単には取り戻せないんですよね。

 

そこの穴は思った以上に大きくて、すぐに社会参加、社会復帰というわけにもいきません。

 

もともと私は高校も卒業してなかったですし、仕事も力仕事しか経験がなくて。そういう状況になってやっと「もっとこうしておけば良かったとか、高校に行っておけばよかった」なんて思ったりもしましたね。

 

 

 働きはじめて将来を考えるように

とにかく、体調も良くなってきたので仕事をしようと。たまたまご縁があったブランド品を取り扱う小売業の会社で働かせていただきながら、徐々に体調を整え、経済的にも立ち直っていきました。

 

そこの会社で3年半くらい働いて、だんだん自分の将来についても考えるようになって。でも私、指がないじゃないですか。だから接客業は厳しいな、と。やっぱり、指を見られないように意識して、それが少しずつ窮屈に感じて。

 

時々、欠損した指を見つめて、なんで自分はこんなことをしなければならなかったのか。病気を理解してもらうために、ここまでする必要はないんじゃないかと考えるようになりました。

 

そのうち、自分と同じようなことで悩み苦しみ、厳しいに状況にある人の役に立ちたいと思うようになったんです。

 

 

自分の実体験を何かに役立てたい

自分の実体験を、同じような悩みを抱えてる人たちに役立てることはできないかと、インターネットで色々調べるようになりました。そこでたまたま見つけたのが、シルバーリボン運動です。

 

シルバーリボン運動を日本で始められた杤久保(とちくぼ)さんという方が福島にいらっしゃることが分かって、2007年に杤久保さんのもとを訪ねました。その後、自分もシルバーリボン運動に携わらせていただくこととなりました。

 

 

資格を取るために夜間大学へ

自分の実体験を何かの役に立てたいと、独学で精神保健福祉分野を学ぼうとしました。それに伴い、インターネットで情報収集をしていると、精神保健福祉士という資格の存在を知りました。

 

今から医者にはなれないけど、これなら頑張ったらなれるのかもと思って。

 

精神保健福祉士の資格をとるための道のりは幾つかあるのですが、独学では難しかったので、自分は福祉系の夜間大学に通って 資格取得を目指しました。

 

夜間大学は働きながら通っている人が多く、学生の年齢も生い立ちもさまざまなんですよ。だから少し変わった歩みの自分も引け目に感じなくていい環境がよかったですし、幅広い年代の人たちと関わることで、自分自身の視野も広がっていきました。

 

シルバーリボン運動を展開するにあたって、啓発活動という部分で営業的なスキルが必要だと感じ、夜間大学在学中にソフトウェアメーカーで営業の仕事を始めることに。そこはとても厳しい会社でしたが、営業のイロハやビジネスマナーなどをしっかりと教えていただきました。

 

 

東日本大震災。恩人との連絡が途絶える

夜間大学を卒業する同時期、あの東日本大震災が起きたんです。

 

被害の大きかった福島にはお世話になっているシルバーリボンの杤久保さんがいたのですが、連絡がとれず、安否の状況が分からなかったため、震災の翌日に安否確認を目的として、杤久保さんのご自宅がある福島に向かいました。

 

杤久保さんのご自宅は福島第一原発から20キロ以内の避難区域でしたで、原発事故のニュースが報道される最中にそこに向かおうとする行為を、周りからは大きく制止されました。

 

しかし杤久保さんと出会い、シルバーリボン運動に携わるようになってから、自分の可能性は大きく広がることとなり、その大恩ある杤久保さんが危機的な状況にあるかもしれないと考えたら、行動せずにはいられませんでした。

 

 

恩人のそばに居続けようと決意

高速は使えなかったため、一般道で東京から15時間以上かけて、3月13日の早朝に福島県内に入りました。周辺の道路は陥没し、ブロック塀は崩れておりましたが、杤久保さんのご自宅は案じていた倒壊などの被害は見られませんでした。

 

それが分かっただけでも大きな収穫でしたが、できるだけ早く安否を確認したいと考え、郵便ポストに訪問した旨を記した手紙を残し、周辺の避難所等を探し回りました。

 

車での移動の最中、目に入る光景があまりにも衝撃的でした。線路の途中で電車が停まったままだったり、道路には幾つもの漁船が転がっていたり、津波で壊滅的な被害を受けた地区や、家族が津波に流されたけど遺体が見つかっただけ幸せなんだと話す女性に会ったり。

 

そういう状況を真の当たりにして、色んな感情が沸き起こって、自分も福島に残って何かできないか、と思いました。ちょうど夜間大学を卒業するタイミングで、新たに福祉現場での仕事をしようと思っていた時期でしたので。杤久保さんの近くで生活しながら、何かお力になれないものかと考えました。

 

 

福島を生活の拠点に

福島に生活拠点を移すことを決めてからは、まず仕事探し。当時福島は混乱の最中で、ハローワークは人で溢れていました。そんな中、需要があったのが「水商売」。復興のための作業員が多く来ていますからね。

 

私は暴走族時代に先輩のお店を手伝っていたこともあったので、そういった仕事には全く抵抗はなく、本業が決まるまでの間ですが、夜の飲食店のボーイをして働くことにしました。

 

それと並行して精神保健福祉に関係する仕事を探し、精神障がいの方たちの就労支援を行う福祉施設でお世話になることになりました。

 

その施設は、いい意味でまだ現場の体制が確立されてなく、必要なものは自分で作っていく、という感じで、自ら考え自ら動く、というスタンスが自分にはとても合っているなと思いました。そちらでは2011年の夏から2015年の春まで働かせていただきました。

 

 

シルバーリボン運動を本格化

生活の拠点を福島に移しつつ、並行して首都圏でのシルバーリボン運動の普及に携わりました。当時は豊島区の社会福祉協議会さんの一室を拠点として活動していたので、月に何度も福島と東京を行ったり来たりしたものです。

 

活動内容としては、シルバーリボンのメンバーが月に一度集まってイベントを企画し、それを実行するんです。福祉のイベントって、なかなか一般人が入りづらいものがありますよね。

 

私たちはちょっと変わったことをやりたくて、六本木のバーでメンタルヘルスのイベントを開催したり、渋谷のお洒落なレンタルスペースや新宿のLOFTで著名人をゲストに呼んでイベントを開催したりしました。

 

年月と共に色んな方たちが活動に協力してくれるようになり、やがてしっかりした拠点が必要だよね、という話になりまして。固定電話がある、常駐スタッフがいる、そんな安定的な活動拠点を設けることにしたのです。

 

 

続きは、第4章へ

PHOTO by 齋藤郁絵

 

 

関さんのインタビュー

【Part1】暴走族から精神保健福祉士になるまで

【Part2】自分の指を切り落としたたった一つの理由とは?

【Part3】悩んでいる人の助けになれる仕事を

【Part4】辛い経験はかけがえのない財産にもなる

 

 

関さんが取り組む活動

シルバーリボン活動

シルバーリボン公式啓発グッズ

自立援助ホームNEXT

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

ご興味をお持ちいただけましたら、下記フォームよりお問い合わせください。24時間以内にご連絡いたします。

 

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