人のために初めてエネルギーを注いだこと【成澤俊輔さんPart3】

2017.01.16公開 2017.04.24更新
 
シェア
ツイート
はてブ
お気に入り
共感
14

引きこもり脱出後

大学で東京に出てきたときの夢の一つで「部活したい」というのがあったんです。

 

それで、大学でサッカー部入りました。チーム、組織の中で生きたいなと思って。普通にサッカー部に入ったので、別にボールに鈴が入ってるわけじゃないですよ。

 

でも、暗闇の中でやるサッカーなんて…と思うこともしばしばありました。

 

なので、部活に行くと、いつ部活を早退しようかなあ、と毎日考えながらサッカーをしていましたね。

 

サッカー自体はどっちかというと上手な方でしたが、音を頼りにしている僕のせいでプレイも止まりますし。

 

 

必要とされた経験は大きい

ある時、「僕って、邪魔ですよね」って言ったときに、キャプテンが「お前が自分を邪魔と思ってる、その気持ちが邪魔だよ」と言ってくれて。

 

部活をすることが憧れで、その部活の中で、僕の存在を受け止めてもらったことは、すごくうれしかったですね。

 

本当に戦力にもならないのに、誰一人文句言わなくて、むしろ、飲みに連れて行ってくれたりもしました。その時には、「受け入れられたなぁ」ってつくづく思いましたね。

 

「こんな自分でも人が必要としてくれてた」という経験はやっぱ大きいですね。

 

 

飛び込み営業で悪戦苦闘

自分の弱さを認めて、おおっぴら話すことができるようになった、もう一つのタイミングは、大学の時に経営コンサルティング系の会社で働き始めた時でした。

 

入社倍率が非常に高い会社で、入ってみると本当に素晴らしい人ばかりでした。

 

同時に入った人全員でまず飛び込み営業があって、「僕も他の人と同じように扱ってください、僕だけ配慮なんかしないでください」と言って飛び込み営業をやってみたんです。

 

でも、目が見えなくて、飛び込み営業なんて至難の業ですよ。まず、営業先のビルを探す時も、光具合でが頼りでした。

 

その頃、若干字は見えてたんですけど、そんな見えてはいないので、「ここ、光が多いから、でかいビルかもしれない」なんて言いながら、ビルを見つけていたりしましたね(笑)

 

今度は、エレベーターなんですけど、普通だったらフロアガイド見て、ここ行こうかなってなるじゃないですか。でも、僕の場合、何階建てのビルなのかも全然わかんないわけですよ。

 

ただ、当時は杖付いていたので、警備員に「お兄さんどうしたの、手伝おうか?」って助けてもらいながら、なんとかエレベーターに乗っていました。

 

でも、飛び込み営業なので、どこどこの会社にアポ先があるわけではなく、「一番上の階に行きたいです」ってなるわけですよ。両腕にパンフレットを抱えて悪戦苦闘でしたね。

 

 

経営者が僕を必要としてくれた

飛び込み営業以外にも、皆が15分くらいで終わる仕事を1人で5時間くらいかけたりして。やっぱり、新人でしかも障害者だと、結構きつかったですね。

 

新人がやることといえば、コピー取りだったり、資料作りだったり、電話取ったりですが、ほとんどできないんです。

 

電話が来て「3番に電話です」とかやるじゃないですか。でも、3番って言われても、何番が光ってるかわからないので、結局周りの人に見てもらう必要がありました。

 

「俺、なんもできねぇ」「やっぱり、役立たないな」

 

と思っていた中、ある経営者のお客さんの所に行ったら、すごく喜んでくれたんです。

 

その経営者の所に行く前に、色んなことを頭で覚えながら、話をしているうちに、

 

「成澤君と会って今日は元気になったよ」

「成澤君が頑張っているから、もっと頑張らなきゃなって」

 

って言ってくれて。

 

これは実際に感じたことですが、経営者の抱えてる孤独感と僕のような障害者の抱える孤独感が近かったんでしょうね。

 

嘘つかれたことがあるとか、だまされたことがあるとか、答えがないとか、誰からにも守られないとか、やって当たり前と思われたりとか。

 

初めて俺を必要としてくれたのがその経営者だったんです。

 

「この人たちのために生きたいなぁ」と思うようになって、障害のせいでできなかったことが、逆にプラスに働くんじゃないかなと思えるようになりました。

 

 

人のために初めてエネルギーを注いだ

そのコンサルティング会社で働いてたときに、数字のノルマがあるのですが、事業部長が「成澤さんの数字が達成できてなかったら、私のせいです」って言ってくれていたんです。

 

僕、これまでの人生で、誰かに守ってもらったという感覚が一回もなかったんですよ。

 

でも、オットセイみたいな事業部長がカリスマ的な人で、クレームうけたら、一緒に謝りに行ってくれたりしました。

 

僕のことを僕以外の人が謝ってくれたという経験が人生で初めてで、「守られてるなぁ」ってつくづく感じましたね。

 

当時は、毎日5時半に会社に行ってました。5時半に行って掃除して、六時から勉強会があって。日中はクライアントさん先に行って、夜は会食を2つとかやってましたね。

 

毎日、2時間寝れるか寝れないかみたいな生活を送ってました。

 

そこまで出来たのは、自分を必要としてくれた人のおかげです。18歳までは、自分のために為にひたすら勉強してきました。

 

でも、初めて人にエネルギーを注げた瞬間、超幸せでしたよ。今、この話をしているだけで幸せですから。

 

自分の辞書に初めて「相手」っていう言葉が生まれましたね。

 

 

体調を崩し、担当医から言われた一言

インターンシップで働いていた会社に、新卒としてそのまま入社したのですが、無理がたたってか、うつ状態となり体調崩して倒れてしまいました。

 

そのとき、精神科にも行って、会社も辞めることになり、目の担当医にも会いに行ったんです。

 

その担当医は

 

「過労でもなんでもない。視覚障害者として仕事をする土台作りをしてないから、こうなってしまったんじゃないかな」

 

って僕に言ったんですよ。その通りだなと思いましたね。

 

当時の僕は、バリバリ仕事をして、給料も沢山もらって、彼女もいて…とノリノリでした。

 

なので、視覚障害者だからといって、おじいちゃん、おばあちゃんばかりの訓練所に行くことに、すごく抵抗がありましたが、目の担当医からの一言で行くことにしたんです。

 

でもやっぱり、「なんで、俺はこんな所にいるの?」とずっと思っていましたね(笑)。

 

なんか納得いかなかったんですよ、訓練所に行っているという現実が。ベンチャー企業でコンサルタントをするべきなのにと。

 

これで俺のキャリア終わっていくのは嫌だったので、「時間があるときだけ来ます」みたいな感じで、訓練所をサボりながら、半分フリーランスしながらみたいな感じで仕事もしていました。

 

でも、人生でいつかは訓練所に行かなきゃいけないって思っていたので、そのタイミングをもらえたのは良かったなって思っています。

 

その後、独立して2、3年仕事をしていく中で、ご縁があってFDAの事務局長に2011年12月に着任することになったんです。

 

続きは、第4章へ

 

 

成澤俊輔さん全インタビュー

【Part1】世界一明るい視覚障害者の原点とは?

【Part2】2年間のひきこもり生活とウソ

【Part3】人のために初めてエネルギーを注いだこと

【Part4】FDAは「大丈夫だよ」を発信し続ける場所

 

 

FDA説明会&無料体験会

成澤さんが理事長を務めるNPO法人FDAでは、様々な理由で働けない方々へ、就労支援を行っています。

 

・就労トレーニングを一度体験してみたい!

・自分が働けるかどうか自信がない…

 

そんな方向けに、説明会・無料体験会が開催されます。ぜひご検討を。

 

詳しい内容はこちら

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

 

ご興味をお持ちいただけましたら、下記フォームよりお問い合わせください。24時間以内にご連絡いたします。

 

お名前
メールアドレス
保有資格・所属・ご要望など

LINEバナー
シェア
ツイート
はてブ
お気に入り
共感
14

関連記事