「つらい場所に居続ける必要はない」元不登校生の想い【河合未緒さん Part2】

2016.12.22公開 2017.06.19更新
 
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つらい場所に居続ける必要はない

私が不登校を経験して思うことは、そもそも無理に学校に行く必要はないんだということです。

 

精神が病んでしまうまで我慢して学校に行ってはいけないと思うんですよね。

 

精神的な病気になっても無理をして、我慢して学校に行き続けて、高校になってもうつ病がずっと治らないような子どもを、結構見てきましたから。

 

世の中から「いじめ」って、なくならないと思うんです。

 

だから、「そこの環境にいられなくてつらくなったら、我慢しないで逃げていいんだよ」ということを伝えたい。

 

いじめや不登校を「予防する」ことよりも、学校以外に落ち着ける「自分の居場所」というのを子どもたちにどんどん作ってあげる必要があると考えています。

 

実は最近はそういう、子どもの居場所が増えてきています。「子ども食堂」とか、何か活動的なものとか。

 

特別なものじゃなくてもいいんです。普通の習い事とかコミュニティーとかでも。

 

いじめを受けて学校に行くのがつらくなっても、「自分にはあそこがある」と思える、居心地良くいられる場所を作ってあげることが必要です。

 

 

学校以外の場所で救われることが必要

自分が不登校だったからと言っても、学校教育に対する否定的な気持ちはありません。教育はもちろん必要なことだと思っています。

 

ただ、日本の教育は全体教育で、「右向け右」という考え方が主流ですよね。でも、右を向けない子どももいるんです。現状は、そういう個性が強い子とかはあぶれちゃう世の中なわけで。

 

今の日本の教育は、個性が強い子たちに対するフォローが少ないのかな、というところをひしひしと感じるので、それがこれからの教育の課題だと思います。

 

学校の先生方もすごく忙しいくて大変ですし、生徒のことを全部把握することはできないと思います。

 

だからこそ、学校以外の居場所とか、子どもたちを手助けできる場所をどんどん作っていく必要があるのではないでしょうか。

 

学校以外の場所で、子どもたちを助けていかなければいけないのかな、と思うのです。

 

「適応指導教室」というものもありますよね。国も不登校の子どもたちへの対応に結構力を入れていると思います。

 

ただ、それが活用されているかというと、残念なことに実際はそうではなくて。

 

ネーミングも「適応指導教室」なので、そこに通う人は「適応できていない人」というレッテルを貼られたようになってしまう。

 

それもあって、本当は行くべきなのに行けていない人子たちが7割くらいはいると思います。

 

 

不登校を「病気」とした方が楽?

そもそも、不登校になってしまった子どもたちを「病気」という視点で見るのをやめなければいけない、と思います。

 

たしかに病気とした方が大人は楽なのかもしれません。

 

学校に行けなくても、社会に適応できなくても、自分の子どもは病気だから仕方ないね、と思えるじゃないですか。

 

でも、本質は違うような気がします。不登校になってしまった子に対して、腫れものに触るような感じで接してはいけません。

 

学校に行ってなくても行っていても、そんなことは関係ないんだというスタンスで子どもと接することが大切だと思うのです。

 

学校に行っていても行っていなくても、そんなことは関係なくあなたのことが好きですよ、という、人間愛的な感じで仲良くなっていくと、子どもたちの精神は急激に回復の兆しを見せるんですよ。

 

回復って言ったらなんか病気みたいですけど、急激にモチベーションが上がっていくというか、自分のことを分かってくれる人がいるということは、本当に救いですからね。

 

そのおかげで学校に行けるようになる人もいます。一概には言えませんが、そういう傾向があります。

 

 

日本は「べき」が強すぎる

「不登校」という言葉自体がまず日本にしかありません。

 

アメリカとかは、ホームスクリーニングとかは普通にあるし、家で勉強するというのも当たり前です。それに対して偏見は持っていないんです。

 

何か日本は、「こうあるべき」っていうのが強すぎちゃうんですよね。決められたみんなと同じ枠にはまらなければダメ、みたいな部分が強いと思います。

 

ちゃんと学校に行って、進学して、就職して、というのが当たり前。決められたレールからはずれちゃったら、もう…みたいなところがありますよね。

 

 

受け止めてくれる人と会いたかった

今、不登校だった頃のことを振り返ると、何か具体的にものすごくこれをして欲しいっていうよりも、やっぱり精神的な部分で、「そんなに悩むことはないんだよ」みたいな、軽い感じで受け止めれば良かったな、と思います。

 

そういう風に言ってくれる人に出会いたかったし、同じ経験をしている人たちに会いたかったな、という思いがあるんです。

 

学校に行けなくなって、引きこもりになって、家族や周りの人も心配していると思いますが、何より当事者が一番将来について悩んでいるんです。

 

「自分はこのままずっと、一生引きこもりなんじゃないか」って考えちゃいます。

 

だから、同じ経験をした人が、昔は学校に行けなくて悩んだり引きこもったりもしたけど、今は別に楽しく普通に暮らしているよ、社会に出て働いているよ、大学楽しいよ、といったお話を聞ければ、自分も将来その人みたいになれるんだと明るい希望が見えてきますよね。

 

 

「あぶれ者」という視線は消えない

不登校に対する社会の認識は大分良くなってきているように感じます。

 

私が不登校の時は、学校に行けないというと、何かものすごい社会のダメな人間みたいな感覚でとらえる人が多かったんです。不登校と引きこもりとニートが全部ごっちゃになって認識されていたりして。

 

でも、今は少しずつ良くなってきていて、国も政策を掲げて動き始めているので、社会も大分寛容になってきたかな、という印象があります。

 

そもそも、不登校生自体はどんどん増えているんですよ。

 

そういう増加にともなって国が対応策として「適応指導教室」などを設置しているのですが、まだどうしても学校に行けないことで過剰に悩んでしまう子や親は多いですし、社会的にはやっぱり、あぶれ者みたいな目線はなくなっていないと思います。

 

 

不登校は減らないから

情報が溢れて返っている社会の中で、不登校は減るはずがないんです。だから増えているのは当然の流れですよね。

 

いろんな生き方が認められている、ということでもあります。

 

ほかの原因としては、最近は核家族で共働き、という家族の形が増えてきていますから、子どもをしっかり見てあげられない家庭も多いからではないかと思います。

 

子どもが悩んでいてもなかなか気づきにくいというところはあるのではないでしょうか。

 

想像ですが、昔の人…私よりも世代が上の人たちは、地域のつながりが密だったと思うんですよね。

 

近所のおじちゃんとおばちゃんが頻繁に声をかけてくれたり、子どもを見てくれる大人の視線が少なくなってきているのではないかと感じます。

 

だから、子どもが悩みを抱えていることにまず気付けない。それで子どもは結局抱え込んじゃって学校へ行けなくなるぐらいまで我慢しちゃうんじゃないかな、と思います。

 

続きは、第3章へ

 

 

河合さんが取り組む活動

不登校インタビューメディアLoad

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