「検査の数値を下げるために生きてるわけじゃない」透析生活30年の本音と今

2019.11.07公開 2020.05.07更新

3歳で慢性腎炎。ムーンフェイスでいじめも

近藤
宿野部さんのお話もお伺いできればと思いますが、3歳のときに慢性腎炎と診断されたと。
宿野部さん
そうですね。物心ついた頃から入退院を繰り返していました。今でも週3回は透析で通院しているので、常に病院と関わって生きてきました。
近藤
幼少期はどんな子供だったんですか?
宿野部さん
とにかく言うことは聞かないし、ヤンチャな小学生でしたよ。

 

僕、体育をやったことなくて、小中高の体育の授業は全部見学。今は違いますが、昔は「腎臓が悪い人は運動一切ダメ」というガイドラインがあったので。

 

それでも放課後は野球やってました。「野球はそんなに走らないから大丈夫」とか言って誤魔化して。笑

近藤
病気でふさぎ込みがちというイメージとは真逆ですね。
宿野部さん
ただ、中学生の頃になると、薬の副作用で顔がむくんで丸く腫れてしまう「ムーンフェイス」に悩まされていました。

 

それでいじめにも遭いましたね。ムーンフェイスに対して「なんだ、その顔は」「醜い顔しやがって」と。

 

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近藤
言葉の暴力がひどかったんですね。
宿野部さん
「今日、学校で何かあるかもしれないけど心配しないで」と母親に言って学校に行った日がありました。もう我慢の限界だったんですね。

 

休み時間、ひどいことを言い続ける◯◯くんを呼び出して殴りかかりました。でも当時の僕の体は小さいし、薬の副作用で足腰も弱いし勝てるわけないんですよ。

 

それでも我慢できなかった。結局、返り討ちにあって病院に運ばれましたけど、それ以来、僕のことを変に言う人はいなくなりました。笑

近藤
それほど追い詰められていたんですね…。
宿野部さん
そうですね。ただ、薬の副作用で目も足腰もどんどん弱くなって、登下校の途中まで母親が付き添わなければいけないくらいでした。

 

精神的にもうつ気味になって部屋から出なくなることもあったくらい。

近藤
ムーンフェイスはどれくらい続いたんですか?
宿野部さん
薬を変えた中学2年くらいまで続いていました。結局、ムーンフェイスの副作用が出ていたステロイドの薬があまり効かなかったんです。

 

たまに製薬企業などで自分の体験をお話する時、ムーンフェイスの副作用が出た薬のことを「人生を変えた薬」と言っています。僕にとってあの薬がいじめに繋がったという、かなり傷ついた記憶があるので。

近藤
薬の副作用がきっかけでいじめに発展してしまうというのは悪循環ですよね。
宿野部さん
僕にとって中学は暗黒期で、全然楽しくなかったですね。
近藤
暗黒期の支えになったものってありますか?
宿野部さん
なんでしょう…。とにかく病気のことを一秒でも考えたくないという思いがあったので、遊びとかゲームで気分を紛らわせていましたね。

 

親に対しては、反抗期の頃に「なんで自分は病気なんだよ」「なんで病気で産んだんだよ」とかひどいことを言ってしまったことは、申し訳なく思っています。

 

それでも埼玉から東京の病院まで、毎日お見舞いに来てくれたことは僕の支えでしたね。

 

1987年2月9日、第二の誕生日

近藤
透析を始められたのはいつからだったんですか?
宿野部さん
1987年2月9日が、第二の誕生日です。
近藤
第二の誕生日?
宿野部さん
透析患者って、透析導入日を「第二の誕生日」って言うんですよ。
透析しないと死んじゃうので、第二の人生が始まったという意味合いなんです。今、51歳で32年間透析。もう人生の半分以上経っていますね。
近藤
高校生の頃からということですね。
宿野部さん
当時は高校3年で大学受験のタイミングでした。尿毒症という体に毒素がまわっている状態で、「受験なんてしないで早く入院しなさい」と言われていました。

 

それでも受けるだけ受けて、試験が終わったのと同時に入院。外出許可をもらって合格発表を見に行ったんですけど、全部落ちていましたね。笑

 

恥ずかしくて、看護師さんに見つからないようにこっそり部屋に戻った記憶があります。そこから1年間の浪人生活が始まりました。

近藤
透析を始めるときは入院からなんですか?
宿野部さん
そうですね。僕の場合、まず総合病院に入院して、生活に慣れたら退院。その後は自宅から通えるところから通院するという形でした。

 

当時、透析について何も知らなかったので、まさか針を2本も刺すなんて思っていませんでしたよ。針もまた太いんです。「これが一生続くのか」という思いはありましたね。

 

今でこそ、麻酔のクリームやテープで痛みを和らげることはできますが、当時はなかったですからね。痛みは我慢するしかないし、辛かったです。

 

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近藤
メンタル的に落ち込んでしまうことも?
宿野部さん
やっぱり、最初に透析のことを知った時は落ち込みましたね。

 

その頃のモチベーションは大学受験。「とにかく大学に受かりたい」という思いがあって、それなら透析もしっかりやらなくちゃと。

 

透析って1回4時間ほどかかるので、その間も受験勉強をしていました。

近藤
透析の時間も上手く有効活用していたんですね。
宿野部さん
そうですね。今では、透析中を「誰にも邪魔されないプライベートな時間」と思うようにしています。

 

病気を言い訳に何かを諦めるのは嫌だった

近藤
透析と並行しての浪人生活。結果は?
宿野部さん
実家から距離的にもちょうど良い大学に無事合格できました。カリキュラムを自分で組み立てられたので、週3回の透析と被らないようにうまく4年間通うことができました。
近藤
学生生活と透析をうまく両立できたんですね。
宿野部さん
そうですね。病気を言い訳に何かを諦めるのは嫌だったので、自分でサークルを作ったり、合コンや飲み会にも参加していましたよ。
近藤
就活はどのように進められたんですか?
宿野部さん
気になる企業があれば、直接自分で障害者雇用の採用担当に「就職したいので会ってほしい」と電話していましたね。

 

どうしても透析に行かなければならないので、時間的な配慮は希望しつつも、「他の同期と違う扱いをしないでほしい」ということも伝えていました。

 

結構強気で就活をしていたのですが、周りで内定をもらえていないのは僕だけに…。それでも粘り続けたおかげでソニーから内定をもらうことができました。

 

大学に内定報告に行った時は信じてもらえませんでしたけどね。笑

 

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近藤
強気の姿勢が功を奏したんですかね。
宿野部さん
最終面談のとき、「最後に何か一言ありますか?」と聞かれて、「僕を採らないと後悔しますよ」と言ったことは今もハッキリ覚えていますが、ゾッとしますね。笑

 

「無理せず甘えず」を信条に

近藤
それから14年間、ソニーに在籍されたとのことですが、お仕事をする上でどんなことを意識していましたか?
宿野部さん
週3回、透析の日は17時に退社する必要があるんですが、17時に完全に仕事が終わることってほぼないですよね。

 

なので、日頃からどう職場のチームとコミュニケーションをとって、協力してくれる関係性を作るか、すごく意識していました。

 

他の人でも介護や育児など、家庭の事情で早退することはありますよね。それと同じです。事情はそれぞれ違うけどお互い様だと思っています。

近藤
仰るとおりですね。
宿野部さん
「無理せず甘えず」という言葉を信条としてこれまでも働いてきました。

 

「無理はしないけど甘えちゃいけない」というバランスは常に意識していますね。できているかは別として、意識しておくことは大事だと思います。

近藤
仕事と透析の両立のために、どんなアドバイスはありますか?
宿野部さん
通院先と職場と家。この三角形の面積は小さい方が良いと思います。体に負担をかけずに長期的に働くためにも、それぞれが近いことは重要。

 

4〜5時間の透析が終わってから、電車に長時間乗って自宅に帰るのはやっぱりしんどいですよね。

 

また、透析の日は在宅ワーク、それ以外は通常どおり出勤という方もいます。その方は、自分の経験を社内で共有する活動をしていて、透析への理解を深める理想的な取り組みだと思っています。

近藤
リモートやテレワークの選択肢も当たり前になってくると良いですよね。
宿野部さん
ピーペックの職員でもリモートでしっかり働いている方がいますが、「自分も組織に所属してちゃんととやれているんだ」という気持ちを持てることが大事だと思っています。

 

新しいチャレンジに飛び込むまでの葛藤

近藤
14年勤めたソニーを辞めるに至ったきっかけは?
宿野部さん
ふたつあります。僕自身、3歳からずっと病院通いで、18歳からは透析で週3回の通院。医療の恩恵がないと生きていけないし、それだけお世話になっています。

 

その過程で、「患者って治療を施される受け身の立場だけってどうなんだろう」「患者だからこそ出来ることってあるよね」と思い始めるようになり、ソーシャルワーカーという存在に関心を持ったことがひとつ。

近藤
患者だからこその役割ってありそうですもんね。
宿野部さん
あとは、前職のときに休職する人の話を聞く機会が多かったこともあります。本人が泣きながら話して、僕も泣きながら聞くなんてこともありました。

 

その当時はかなり感情移入していましたが、「なんとかしてあげたい」という思いがすごく強くなっていったんですね。

 

この二つのきっかけから、自分の経験を通じて医療に貢献できる仕事をすることが人生のミッションじゃないかと思ったんです。

近藤
それからすぐに退職の決断に至ったんですか?
宿野部さん
いえ、最初に親に相談したんです。とんかつ屋さんだったんですけど、泣かれましたね。父親の泣く姿を見たことがなかったのでビックリしました。

 

心配かけてきた一人息子が世間的にも認められる会社に入って、親は喜んでたんですよね。それなのに辞めるとか言うから、「これまで頑張ってきたのになんで辞めるんだ」って。

 

その姿を見て「親不孝なのかなぁ」と思うようになり、自分の気持ちを抑えるようになりました。

 

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近藤
大きな決断ゆえにそう簡単にはいかないですよね。
宿野部さん
ところが、38歳で副甲状腺機能亢進症を発症してオペを受けることに。

 

全身麻酔前に万が一のケースに対して同意書に署名しましたが、そこで自分の「死」というものを意識させられたんですね。

 

「何かあってからでは後悔する」、と。

近藤
死への意識が改めてご自身の思いを強くしたんですね。
宿野部さん
そうですね。僕のミッションはやっぱり患者の立場で医療に関わっていくことだと。最終的には「そこまで言うなら」と親も納得してくれました。

 

当時、親に許しを得るような歳ではなかったんですけど、ずっと心配かけてきたので親には納得してもらいたかったという思いが強かったんですね。

 

退職後、腎臓にガンが見つかる

近藤
退職後はどのように過ごしていたんですか?
宿野部さん
社会福祉士は国家資格で、受験するためには国が定める養成校に行く必要がありました。

 

ところが退職してすぐに副甲状腺のオペだったので、タイミング的にすぐには入学できなかったんですね。

 

それで、九州大学の医学部で医療決断サポートという分野を学び、一年経ってから福祉の学校に入ることになりました。ただ…

近藤
ただ…?
宿野部さん
その後に腎臓のガンが見つかったんです。

 

今でこそ、2人に1人はガンになるって言いますが、告知された時は死ぬと思いました。ガン=死のイメージだったので。

近藤
これからというタイミングで、あまりに酷ですね。
宿野部さん
病院の会計を済ますときも、拳をぐっと握ってないと涙が出てくるんですよね。車に戻って号泣して。かなり精神的にショックでした。
近藤
ご両親には?
宿野部さん
それもすごく悩みました。今までも心配かけてきたのに、更に心配かけることになるじゃないですか。ガンなんて聞いたら僕なんかより大変なことになっちゃうので。

 

幸いにも初期のステージでした。親には「腎臓を取れば心配ない」ということを丁寧に伝えました。それでも心配したでしょうけどね。

 

「患者協働」の取り組み

近藤
その後、社会福祉協議会などを経て、ペイシェントフッドを設立。現在の活動の軸である「患者協働」について詳しく教えていただけますか?
宿野部さん
よく言われるのは、患者と家族が真ん中にいて、周りを医療者や行政や製薬企業などが囲み、サポートするイメージ。これは何も間違ってはいないと思います。

 

ただ、私のように長く病気と関わっている慢性疾患の場合、患者は真ん中ではなく、周りの医療者などの輪に一緒に参画することが大切ではないかと思っているんです。

近藤
患者と医療者・行政などと同じ目線に立つということでしょうか。
宿野部さん
医療者に言われるがままではなく、患者が自分の思いを伝え、それに医療者が伴走していく。そういった医療の在り方を患者協働だと考えています。

 

患者は受け身になりがちですが、本当は心の中にある希望や夢、大切にしたい生き方を持ち続けてほしいと思っています。

近藤
医療者などの輪に参画するために患者・家族側も変わる必要があるのでしょうか?
宿野部さん
「患者も医療に参画していく」と言うと難しく聞こえますが、例えば「なぜ、この薬を飲まなければならないのか」という疑問を医療者にぶつけてみることもその一つだと思っています。

 

それによって患者自身のリテラシーが上がったり、自己管理への意識も生まれます。

 

薬を飲まずに、医師や看護師に怒られることも減るでしょうし。笑

近藤
日頃の会話から少しずつでも地道に、ですね。
宿野部さん
それが難しいことは、自分の経験からもわかっています。

 

3歳から病院に通っていますが、医師を神のように思っていましたし、親も親で「先生の言うことに従わなきゃ」と思っていたと思います。

 

例えば、新しい治療法を始めるときや新しい薬を処方されるとき、わからないことを聞けず、「先生にお任せします」というスタンス。

 

まずはその意識から変えてみてほしいと思っています。

 

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近藤
宿野部さん自身の意識が変わったタイミングって?
宿野部さん
透析に関して、昔はどのクリニックも同じだと思っていたんですね。でも実際は治療方針をはじめ、異なる部分は意外とあります。

 

日本で透析を受ける場合、週3回4時間、血を取る量が1分間に200mlが一般的。現在の僕の場合、週3回5時間で1分間に350ml。何が違うかというと、毒素がたくさん取れるかどうか。

近藤
透析の方法を変えてどのような変化があったのでしょうか?
宿野部さん
透析って、腎臓が悪くて尿が出ないので体に溜まった水分を取るわけですが、時間をかけて体内の水分を取ることで、心臓に負担をかけずに済むようになりました。

 

食事制限もゆるくなって、しっかり食べれる分、体調も良くなる。病院が変わってから本当に人生が変わったと思っています。

 

でもこれは、実際に行動しないと分からないですし、そもそも透析の様々な情報を知らなければ分かりませんでした。

近藤
いきなり、そこにはたどり着けなさそうですよね。
宿野部さん
今はインターネットである程度知ることができますが、一昔前だと「透析はこういうもんだ」って無意識的に決めつけていたので、わざわざ新しい情報を知ろうともしなかったんですよ。
近藤
宿野部さんが、ご自身の透析を見直されたのは何年前から?
宿野部さん
10年も経ってないと思います。だから、その前の約20年は特に何も調べずに透析を受けていたことになります。

 

だけど、インターネットも発達してきて、もっと自分に合う良い方法があったんだと気づくことができました。

 

宿野部さんにとって「健康」とは?

近藤
長年、医療にかかってきた宿野部さんにとっての健康ってどんな状態ですか?
宿野部さん
自分が生きたいと思う生活を出来ている、と自覚していれば僕は健康だと思っています。

 

僕は慢性腎不全という病気を持っていますが、小児科でいつも泣いていた頃に比べれば、精神的にも不調ということはあまりありません。

 

「病気になっても大丈夫」という社会を実現するためにも、透析としっかり向きあえているという感覚があるので、病気を抱えていても健康だと思っています。

近藤
精神面での健康が重要ということですね。
宿野部さん
ただ、僕のところに相談に来る方でもメンタル不調の方は多いですし、実際、透析患者はメンタル不調になる方が多いというエビデンスも出ています。

 

サイコネフロロジーという腎臓病精神学という言葉があるくらいなので、週3回の通院が一生続くのはやっぱり軽くはないですよね。

近藤
メンタル的に落ち込んでしまう人の傾向ってありますか?
宿野部さん
透析でメンタル不調になる人に多いのが、24時間365日透析のことしか考えてない、ということなんですよ。

 

例えば透析が終わって疲れたなぁと思って、翌日になると「また明日透析か…」って考えてしまう。次の透析まで中二日の日があって、ホッとできるのはそのタイミングだけ。

 

病気中心の生活になっているので、本当は大切にしたい生活を諦めちゃってるんですよ。

 

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近藤
いかに透析や病気以外に目を向けるか、ですね。
宿野部さん
はい。相談にきてもらった人とよくやるのが、人生曲線を作ること。自分が何に夢中になっていたかを思い出すきっかけにしてもらっています。

 

「もう一度、◯◯をやってみたいな」というモチベーションに繋がれば、透析にもしっかり向き合おうと思ってもらえるんですよね。

 

落ち込んでいるとそういう観点で見れなくなっているんです。「他のことを考えてみよう」と言ってくれる人も周りにいなくて、自分の世界が透析ワールドみたいになっているというか。

近藤
一人で悩んでしまって、不安や心配が膨らんでいく感じですね。
宿野部さん
一方で、検査結果が悪かったとき、「こんな数値じゃダメじゃないか」「何を食べたんだ」って感情的に言ってくる医療者もいます。

 

でも、数値が悪いことくらい患者本人もわかりますよね。医療者だからといって、感情的にダメと言っても何の意味もない。

近藤
正論でも言い方ひとつで受け手の印象は大きく変わりますよね。
宿野部さん
僕たちは検査の数値を下げるために生きているわけじゃない。

 

命の関わる部分ですから数値がどうとかじゃなく、生きる楽しみや喜びを本人に気づかせてあげることが大事だと思っています。

近藤
一人の人間として患者を見てほしいってことですね。
宿野部さん
僕と同じような考えの医師ももちろんいて、まずは患者に「どういう生活をしたいのか」を決めさせるそうです。

 

このアプローチはすぐに結果が出るものではないですし、忙しい医療現場からすれば、そんなことやってる時間はないという本音もあります。

 

実際、周りの医療者は、「うちのクリニックはお年寄りばかりだし」とか「皆が皆、自己管理できる患者ではない」と口を揃えて言うと。

近藤
いい事例が出てくると医療のあり方も変わってきそうですよね。
宿野部さん
あるクリニックでは月に一度、個室で患者と面談すると聞きます。100人以上患者がいるのにです。そういった事例がどんどん出てきてほしいですね。

 

透析クリニックの回診って、「変わりないですか?」「変わりないです」と同じような問答を患者としますが、隣のベットが近いので聞かれたくなくて、当たり障りのないやり取りで終わっちゃうんですね。

 

やっぱり周りに聞こえるような状況だと言いづらいので、個室で話せると安心感がありますし、医療者に対する信頼感にもつながると思います。

 

患者には医療を支える役割もある

近藤
宿野部さんのお話を伺って、病気とどう向き合うか、すごく考えされられました。
宿野部さん
テレビに出てくる透析患者は具合悪そうに寝てる大変そうな人たち。その印象が多くの人に植え付けられていると思います。

 

どこか他人事に映る透析患者の姿を見て、「ああなるんだったら生きててもしょうがない」と思う人がいても全然不思議じゃない。

近藤
メディアを通している以上、何らかのバイアスがある前提で見る必要がありますよね。
宿野部さん
テレビでしか透析のことを知らない方が、実際にピアサポート来て驚くのが、サポートする側がほとんど透析患者ということです。ピアサポートなので当たり前なんですが。

 

みんな元気だし仕事もしてるんですね。なかには40年間透析してる人もいる。ノルディックウォーキングやってる人もいる。

 

現状を直に感じてもらうことで、「もう駄目かと思ってました」「大丈夫そうなので頑張れます」と言ってくれる人は多いです。

近藤
病気や透析と長い期間付き合う上で大切なことは何でしょう?
宿野部さん
病気と長く向き合うために、「リテラシー」「メンタル」「コミュニティ」がすごく重要だと思っています。

 

同じ病気をもった人と繋がることで、「頑張っているのは自分だけじゃない」と知れます。情報を共有することでリテラシーも高まるし、コミュニティに入ることでメンタルが整う人も多いと思います。

近藤
患者だからこそできる部分も多そうですね。
宿野部さん
医療現場は本当に大変で、皆さん頑張ってくださっています。

 

患者は治療は受けるけれども、医療を支えるという立場としての役割もあると思っています。日本の医療が崩壊してしまう前に、なんとかしないといけないし、少しでも役に立てればと思います。

近藤
ますます「患者協働」が求められてきそうですね。
宿野部さん
そうなっていくように頑張りたいですね。

 

「お医者様に全てお任せします」という姿勢を見直して、多職種連携のなかに患者もどんどん入っていってほしいと思っています。

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2019年11月7日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。

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