多発性硬化症の診断から6年。難病に泣き、難病を受け入れ、共に生きるまで

2020.02.12公開 2020.05.07更新

信頼できる先生との出会いと入院生活

近藤
今の信頼できる先生とはどうやって出会われたんですか?
狐崎さん
多発性硬化症に関する講演会に参加したときに無料個別相談会もあり、そこで出会いました。

 

相談時間が過ぎても丁寧に話を聞いてくれて、終わる頃には「先生に診てもらいたいです」とお願いしていました。

 

初めての診察でも、「いろいろ不安もあるだろうから、何かあったらいつでも電話をかけてきてくださいね」と言ってくださいました。

近藤
患者さんに寄り添ってくれる先生なんですね。
狐崎さん
今の主治医は、一生懸命治そうとしてくれるのがわかるので、「これで治らなかったらしょうがないな」と思えるくらい信頼できる先生です。
近藤
主治医を替えたことによる一番の変化は何でしょう?
狐崎さん
安心感ですね。

 

何度か症状で不安になった時に、病院に電話をかけると丁寧に話を聞いて下さり、的確な指示をもらえました。

 

また、先生が出られなかった時には折返し電話をかけてくださったこともあります。

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近藤
多発性硬化症での精神症状への影響についてお伺いしたいのですが、うつなどを併発される方もいるんでしょうか?
狐崎さん
薬の副作用でうつになる方もいるという話は聞きます。

 

私自身、初めの頃は、「この症状が一生続くのか」と毎晩泣いていたこともありました。

近藤
ずっと足が痺れていると生活にも影響が少なくないですよね。
狐崎さん
はい。痺れはじっとしている時に一番感じやすいので、本を読むことが苦手になりました。

 

また、痺れのせいで眠れない事もある為、睡眠導入剤も処方してもらっています。

近藤
入院時でのストレスもあるんでしょうか?
狐崎さん
病院にもよりますが、最初の病院では24時間ずっとバタバタしている感じがストレスでしたね。
近藤
なるほど…
狐崎さん
今の病院では、同病仲間が多いので自然と仲間が増えています。

 

1ヶ月単位での入院が多いので、毎回「目指せ!充実入院生活!」を目標に、いつも入院中にやる事リストを作ったりしています。笑

 

杖生活で感じられた優しさ・冷たさ

近藤
杖での生活の中で、どのあたりに一番不便さを感じられたことは?
狐崎さん
例えば、電車ですね。

 

でも、混んでいても気持ちよく譲ってくれる人もいて、申し訳無さと感謝が入り交じる感じです。

 

譲ってくれた気持ちを無駄にしたくないので、たとえ一駅でも座るようにしています。

 

譲ってもらった時と降りる時で、必ず2回お礼を言うように心がけています。

近藤
譲る方も譲られる方も、気持ちいい関係になれそうですね。
狐崎さん
「譲ってくれたらラッキー」くらいの方が喜びも倍増するし、譲ってもらうのが当たり前とは絶対に思わないようにしています。
近藤
それくらいの心構えのほうが、変に期待せずに済みそうですね。
狐崎さん
そうですね。

 

あと、人混みの中で歩く時は、ぶつかって杖が持って行かれていまい転びそうになる事は多々あります。

近藤
大きい駅だと人も多いし、歩くスピードも速いので、お互い気をつけたいですね。

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資格取得と理解ある職場との出会い

近藤
多発性硬化症の診断を受けたあとに、ピアカウンセラーの資格を取られたそうですね。
狐崎さん
いろんな人から相談を受けた時にしっかりと答えられるようになりたいと思っていたことがきっかけでした。
近藤
さらに看護助手の資格も。
狐崎さん
はい。入院生活中に看護助手の存在を初めて知りました。

 

入院患者の身の回りの世話や介助をする仕事なので、いろんな人の助けができる。

 

動き回っていた方が、痺れも気にならないのでいいなと。笑

近藤
看護助手としてリハビリ病院に就職された?
狐崎さん
そうですね。

 

リハビリ病院で看護助手を募集していたので、まず東京都の難病患者就職サポーターの方に相談に行きました。

 

当時は障害者手帳を持っていなかったのですが、同病仲間から難治性疾患患者開発助成金という制度を教えてもらい、それを活用して就職活動を進めていました。

 

ただ、面接のときに看護師長さんからは、病気のこともあるし厳しいと思うと言われました。

 

でも、誰かの助けになりたいという意欲を買ってくださって、リハビリ助手の仕事を紹介してくださいました。

近藤
熱意が伝わったんですね。
狐崎さん
ありがたかったですね。

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近藤
働いている時は、どういった配慮があったんですか?
狐崎さん
助成金制度を使って就職したこともあり、通院日は休ませてもらえたり、すごく気を遣ってくれました。
近藤
症状の波などで働きづらさみたいなものはありました?
狐崎さん
何回か再発して入院することもありました。

 

長い時は7ヶ月入院して休んだあとも、すぐに復帰できるような体制を整えてくれていたので本当にありがたかったです。

近藤
病院だからこそ、より配慮がしっかりしていたんですかね。
狐崎さん
そうですね。ただ、2019年5月に股関節を痛めて杖なしで歩けなくなり、通勤が難しくなりました。

 

しかし、傷病手当を使える期間が切れてしまっていたこともあり、退職を決断しました。

近藤
なるほど…。働く環境としては、いい病院でしたか?
狐崎さん
それはもう…感謝です。

 

杖なしで歩けなくなったときも、病院は「休んで良くなったら戻ってきてよ」と言ってくださって、とても理解のある職場でした。

 

患者会の立ち上げ

近藤
狐崎さんは、さらに患者会も立ち上げたんですよね。

 

いつ頃、立ち上げられたんですか?

狐崎さん
多発性硬化症の診断をされたのが2014年7月で、その翌年には立ち上げていました。
近藤
そんなに早かったんですね!きっかけは?
狐崎さん
何人かの同病仲間から、患者会を立ち上げて欲しいと言われたのがきっかけです。

 

人が集まらなかったらそれはそれでいいかなくらいの気持ちで始めたら、どんどん人が集まってくれるようになり、今では全国に379名のメンバーがいます。

近藤
そんなに!患者会ではどんなことをやるんですか?
狐崎さん
年に一回の集まりがあるんですが、他にも都合の合う人同士で集まったりしています。

 

facebookに交流グループがあり、そこでは質問をしたり、新しい情報をアップしたり、症状をシェアし合ったり、気軽にグチを吐ける場所になっています。

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近藤
男女比や年代はどんな感じですか?
狐崎さん
多発性硬化症って20〜30代の女性が発症する割合が多いみたいで、ランチ会を開催しても7:3で女性が多くなりますね。

 

もちろん中には50〜60代の方もいます。

近藤
どんな投稿が多いですか?
狐崎さん
お薬や仕事、障害者手帳のことが比較的多いかなと思います。
近藤
どれも気になるテーマですね。

 

障害者手帳は、福祉のパスポートって呼ばれたりもしますし、メリットも多そうです。

狐崎さん
そういう面もありますが、自分が障害者だと認めたくないから手帳を取りたくないという人は多いですよ。
近藤
狐崎さん自身は、そういった抵抗はなかったんですか?
狐崎さん
隠すのが苦手だし面倒なので、抵抗は全然なかったです。笑

 

すでにオープンにしていますし、それで離れていく人がいたらそれはそれでしょうがないかなと思います。

近藤
実際にオープンにされていかがですか?
狐崎さん
ボーカリストとして活動したり、患者会を立ち上げたり、私のそういう姿に勇気づけられたという声もたまに聞きます。

 

がんばろうって思ってもらうことで、私もがんばろうって思えるので、私の場合はオープンにしています。

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近藤
患者会に参加される方でも、普段からオープンにしている人が多いんですか?
狐崎さん
いえ、オープンにしている人の方が少ないです。

 

クローズで働く人の中には、通院する平日に休みを作るために、土日出勤をしてカバーしている方もいます。

 

ただ、クローズの状態だと再発した時に会社にバレてクビになるケースもあるみたいです。

近藤
なかなか厳しい現実ですよね…
狐崎さん
障害者手帳を持たない難病を抱える方は、就職で圧倒的に不利。

 

難病であることは、会社にとってメリットにならないですから…。

 

難病であることを開示せずに就職する方が多い現実がそのことを物語っていますよね。

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近藤
患者会として取り組んでいきたい活動はありますか?
狐崎さん
オンラインをもっと活用して、普段はお会いできない地方の方とも繋がりたいと思っています。
近藤
いいですね!
狐崎さん
「当事者会があって良かった」と喜ばれる方も多いので、繋がりは大事にしていきたいと思います。

 

家族や友人、恋人でも100%分かってもらう事は難しいです。これはある意味仕方のないと。

 

その症状を味わったことがない人に伝えるのって難しいんですよ。

 

患者会だと、「私もその症状あったよ」とか「痺れるよね」とか、自然に共有できて、分かり合えるのがいいなと感じています。

 

難病でも、前を向いて生きるため

近藤
難病と呼ばれる多発性硬化症ですが、完治させたいという思いはありますか?
狐崎さん
もちろんあります!

 

ただ、現状では病気と向き合いながら生きていくしかないので、完治に執着したくないなとも思っています。

近藤
毎晩泣いていた時期もあったと伺っていますが、どのように受け入れたんでしょうか?
狐崎さん
どちらかといえば前向きな性格ということもあります。

 

病気ではない人と比べたり、病気を恨むことに意味がないと思ったんです。

 

それなら、病気になったからこそできること、今の自分にしかできないことをしたいと思いました。

近藤
どこに目を向けるか、ですね。
狐崎さん
そうですね。

 

ただ、前向きに生きることができない方も少なからずいることも、多くの方と出会いを通じて知りました。

 

「難病でも前向きに生きる」というのは、あくまでも私自身の理想。

 

前向きになれない時があっても、それは当然だと思っています。

近藤
ちなみに、他人と比較しないために狐崎さんはどうしてましたか?
狐崎さん
病気を恨んでも、人と比べても意味がないと思っています。

 

そんな事に時間を使うより、自分が楽しくいられる事に時間を使ったり、同病仲間と話したりして、みんなも頑張っているのを知ることですね。

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これからのチャレンジ

近藤
シンガーでもある狐崎さんの歌詞に、

 

「名を残す事ではなくて 例えば1本の木を残す事が出来たなら 生まれてきた意味があるのかな…」

 

とあります。これからの活動で、狐崎さんはどんな木を残したいですか?

狐崎さん
人と人が繋がる場所を残したいと思っています。

 

そのひとつに「M-N Smile」がなれたらいいなと思っています。

 

いつか、世代交代で私が運営から抜けても、ずっと在り続けていたら嬉しいですね。

近藤
全国に輪が広がっていますし、ぜひ続いてほしいですね。
狐崎さん
病気でも頑張っている方、患者をサポートする為に頑張っている方。

 

沢山の素敵な出逢いがありました。

 

漠然としていますが、病気になったからこそ出来る事、自分にしか出来ない事をやりたいです。

近藤
最後に読者の方にメッセージをお願いします!
狐崎さん
これを読まれているのは、当事者か、身近に当事者がいるか、支援者の方が多いと思います。

 

病気になって出来なくなった事を探して悔やんだり、出来なくなったらどうしようと不安になるより、今出来る事に目を向ける。

 

それに感謝し、それを大切にする。どんな小さな事でもいいので、今の自分にしか出来ない事にチャレンジする。

 

それが、病気と共に生きるのに必要な事だと私は思います。

 

時には休みながら、無理はせず。

 

このインタビューが、皆さまのお役に少しでも立てたら嬉しいです。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2020年2月12日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。