ゲイのカウンセラーとして生きる決意【村上裕さんPart2】

2017.03.17公開 2017.05.03更新
 
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大学で引きこもり

もともと虐待環境に育ち、思春期にゲイということを知り、恋はしたものの、初恋の人が死んでしまう…。

 

福島を出たことによって、ようやくという感じですけど、自分の人生をやっと振り返ることができるようになったんです。

 

その一方で、自分が育った環境があまりにも人と違い過ぎて、うつや対人恐怖症、社交性不安障害、パニック障害…そういったものを発症しました。

 

それで大学に行けなくなってしまい、1年か2年ぐらい、引きこもりになりました。

 

▼村上裕さんの著書『孤独な世界の歩き方』はこちら▼

 

 

リストカット、人への恐怖

そのとき、何で自分が苦しいのかも分からないし、なぜ人が怖いのかも分からない…。でも、まともなメンタリティーではないことはよく分かっていて。

 

グリーフケアの中でもよくいわれますが、安全な環境になって初めて人間は悲しむことができるんですね。

 

福島を離れたことで、やっと初恋の彼が死んでしまったことの悲しみ、いじめを受けたことの悲しみ、虐待を受けたことの悲しみが一気に感じられるようになったんです。

 

この時、自傷――リストカットが始まるんですけれど、

 

そのときに、福島を出たのはいいんだけれど、このままだと自分が自分を殺してしまうなということが分かって。

 

でも、どんどん外にも出られなくなっていくし、人とかかわっていても怖くなってしまう…。

 

二丁目に行くと、確かに自分と同じゲイの人はいるけれど、彼らは自分のような環境で育ったわけではないので、同じゲイだけど、でも違うという、そういう違和感がどんどん強くなっていました。

 

このままだと死んでしまうなという予感すらある状況でした。

 

 

「自分で何とかして」

大学に相談室があったので、そこでカウンセラーの方に、自分に起こっている出来事を話したときに、その大学が提携している、近くの国立病院を紹介されました。

 

そこの精神科を受診したときに、薬を処方されて、これを飲んでくださいと。

 

抗不安薬なので、確かに一時的にはすごく感情が穏やかになるんですけれど、効果が切れると、また一気に恐怖がやってくる日々を過ごす中で、これを一生続けていてもなぁと。

 

「薬は出されるけれど、先生はいっこうに治してくれない」みたいな感覚がありました。

 

あるとき、先生にそのことを聞いてみたら、「病院でできるのは薬を出すことだけで、心の課題は自分で何とかしてください」的な説明を受けたときは途方に暮れましたね。

 

 

ゲイを知らないカウンセラー

そこでカウンセラーへ相談しに行くと、自分の精神障害や虐待のこと、好きになった人が死んでしまったことは話せても、自分がゲイだということはどうしても言えませんでした。

 

ただ、トラウマの話をしていくときに、自分がゲイだっていうことは、どうしても言わざるを得なくなって、

 

「実は、亡くなった好きな人というのは男の人で、自分はゲイなんです」って言ったんです。

 

すると、「じゃ、村上さんは女装がしたいの?」とか「女性になりたいの?」みたいなことをカウンセラーの人が言ったんです。

 

それはゲイではなくてトランスジェンダーだぞと思いながら、「ああ、そうか、知らないんだな」ということをすごく実感しましたね。

 

 

ゲイを病気扱いされた

それで他のカウンセラーだったら、わかってくれるかなと思って、違う所に行ったのですが、今度はそこで

 

「ゲイなんですね、じゃあ、それも治していきましょうね」

 

と言われ、深く絶望しました。

 

もともと、DSMの中で同性愛は治療する精神障害とされていた時代があったので、今思うと致し方なかったのかもしれません。

 

ただ、自分の性的志向というものは、病気のたぐいではない感覚があったので、「治す」という言葉にすごく違和感がありました。

 

当時、精神医学では「同性愛は病気ではない」と知っていたので、そのカウンセラーがゲイを病気扱いにされたことがショックで、今度はカウンセラー不信になってしまいました。

 

 

人生を終えるかチャレンジするか

カウンセラーがゲイということをよく知らない。じゃあ、どうすればいいんだろう…というところで、またリストカットを繰り返すようになりました。

 

そのまま人生を終えるか、それとも、もう少しチャレンジしてみるか悩んでいる時に、「チャレンジするとしたら、どうすればいいのかな」と考えてみたんです。

 

そのときに、この社会の中に自分を助けてくれる人や自分の求めるカウンセラーがいないなら、自分で自分を助けられる存在になれば良いんじゃないかなと思ったんです。

 

「それがうまくいかなかったら死のう」みたいな感じで、カウンセリングや心理学をちゃんと勉強してみようと思ったときに、外にも出られるようになりました。

 

 

生き延びることに必死

その決意が引きこもりを抜けるきっかけにもなったんですけれど、貧乏だったので、大学に通いながら、心理学の勉強をすることは、すごく難しいことでした。

 

奨学金をもらい、アルバイトをしながら学費を払っていたので、そこに新たに心理学やカウンセリングの勉強って難しいなと思いましたし、心理学部に転校するというのも、ものすごいお金がかかるので難しいみたいな。

 

だったら、大学を卒業して、働いてお金をためて、そして勉強しようと思ったときに、何かすごく前向きになれたと思います。

 

その後、働き始めて、自分を助けるために心理学やカウンセリングを勉強し始めたのが、2005年ぐらいだったと思います。

 

人を助けるとか、そんな大それたことは、当時は考えることもできなくて、ただ自分が生き延びるために必死でした。

 

 

ゲイを公表してカウンセラーに

2007年には自分の状態がよくなっていたのですが、インターネットで「ゲイ カウンセリング」「ゲイ カウンセラー」と調べてもカウンセラーもいなかったんですね。

 

「自分が求めている存在がまだいないんだな」と思ったときに、自分がすごく欲しかったものがまだないんだったら、自分がそれをやろうと。

 

家族にはゲイであることをカミングアウトしていましたし、友人も同じゲイの方たちが多かったので、「自分がゲイだ」ということをあらわにしても、それ以上悪くなることは少なくともなかったので。

 

なので、ゲイということを公表しつつ、カウンセラーの仕事を始め、今運営しているカウンセリングルーム「P・M・R」を創ることに至りました。

 

続きは、最終回へ

 

▼村上裕さんの著書『孤独な世界の歩き方』はこちら▼

 

 

村上裕さん全インタビュー

【Part1】ゲイ、いじめ、母子家庭、二丁目との出会い

【Part2】ゲイのカウンセラーとして生きる決意

【Part3】「命を捨てる勇気を声を上げる勇気に」

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

 

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