不注意による苦しみ…私が発達障害と確信するまで【野中麻衣子さんPart1】

2018.02.15公開 2018.06.05更新
 
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今回のインタビューでは、発達障害の当事者である野中麻衣子さんにお話を伺いました。

 

 

発達障害の当事者として

初めまして。野中麻衣子と申します。

 

現在、就労移行支援事業所でピアスタッフとして働いていたり、発達障害の当事者の会の運営もしています。

 

精神保健福祉士、社会福祉士の資格、数学と情報の教員免許も持っています。

 

 

多動で不器用だった幼少期

子どもの頃は、割と落ち着きがない子でした。

 

幼稚園時代は、手先が不器用でハサミでうまく切れなかったり、のりを使ってもベチャベチャになったりしていました。

 

幼稚園の入園式の日に、みんなが集まった教室で、なぜか教室を一人でぐるっと回ったというエピソードを母から聞いたことがあります。

 

なぜそんなことをしたのか、今となっては覚えてないのですが、多分「多動」だったんだと思います。

 

 

「自分はダメな子」

多動傾向が出てきている中で、小学校に入りましたが、自分ではそのことに気付いていませんでした。

 

それよりも、たびたび先生から注意を受けていたので、「自分はダメな子なんだ」と感じていました。

 

授業中いつもそわそわしていたり…

気が付いたらぼんやりして窓の外を見ていたり…

ノートもぐちゃぐちゃだったり…

 

机の中から、カビのはえたパンが出てきたこともありました。

 

そういったことを先生に注意されて気を付けようと思ったのですが、うまく出来なくて落ち込みましたね。

 

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ばい菌扱いされ、いじめの対象に

高学年になったころからいじめにも遭いました。

 

何がきっかけだったのか自分でも覚えていませんが、いつの間にかそういう空気になっていたと思います。

 

ばい菌扱いをされたり、「あいつに触ったら汚い」と言われたりしました。

 

先生に相談したことで、ある程度はおさまりましたが、親に相談したら、親が学校に相談して、自分が思ったより大きな騒ぎになってしまったんです。

 

その結果、いじめは一応終わりましたが、周りに避けられるようになりました。

 

それでも、いじめられている頃よりはよかったですが。

 

 

「先生」からのいじめ

正直、先生からもいじめに近いことをされました。

 

隣りのクラスの先生に目の敵にされていて、学年で集まった時に、わざとみんなの前で注意をされたりして、結構つらかったですね。

 

他にも、詩の朗読発表会で、先生が勝手に、私のパートを他の人に替えたりすることもありました。

 

そんなことが続いていたので、なかなか学校に居場所が見出せなくて辛かったです。

 

小学校の低学年のときは多動のほうが強かったのですが、5~6年になるとそれを抑えつけて、逆にふさぎ込んでいました。

 

 

人に負けないものが出来た中学時代

中学校に入学したことで環境が変わっていじめから解放され、友達も出来ました。

 

発達上の影響だと思いますが、小学校時代から疲れやすいところがあったので、中学校では部活に入りませんでした。もう本当にいっぱいいっぱいで。

 

ただ、今になって、部活は入っていたらよかったなと思っていますが。

 

中学生のときは英語が一番得意で、通知表で5を取りました。

 

最初は英語で5を取って、次に数学でも5を取って、初めて人に負けないものができました。

 

自分の自信になるし、周囲からも認められて、素直に嬉しかったです。

 

取り柄が1つはできた、という気持ちでした。

 

 

ADHDの特性?努力不足?

しかし、そこでも難しい場面がありました。

 

ADHDというのは不注意と衝動性と多動性の3つが組み合わさった障害だと言われています。

 

・ノートが汚い

・物をなくす

 

といった不注意の衝動があるのですが、私は計算ミスという形であらわれて苦しめられました。

 

その頃は発達障害という言葉は知らなくて、動いてしまったり、不注意になってしまうことで、周囲との違和感はずっとありましたが、まさか病気だとは思っていませんでした。

 

「努力不足だ」「自分が駄目だからだ」と思っていたので。

 

周りにも、発達障害だと気づく人はいませんでした。

 

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「好き」と「負けず嫌い」

それでも英語で5を取れたのは、その頃好きだった邦楽に英語の歌詞が多く出てきて、「その意味を知りたい」と思ったのがきっかけです。

 

数学はちょっと違う動機で、父がもともと数学が得意だったんです。

 

父に「何でこんなのも分からないんだ」と言われたりしたのが悔しくて、「この野郎、やってやる」と負けず嫌いが出て頑張りました。

 

ただ、発達障がいの特性から、英語と数学ばっかりになってしまって、全体の成績はばらつきがありました。

 

 

女子校での仲間はずれや嫌がらせ

高校時代はしんどかったですね。

 

受験に失敗してしまって、不本意で女子校に入りましたが、その女子校が合いませんでした。

 

女子だけの独特な雰囲気の中で、仲間はずれや嫌がらせに遭ったりしました。

 

進学校でもあったので、勉強についていくのも大変でした。

 

成績が悪くて、親からプレッシャーをかけられて、先生からも成績のことを言われるし、友達ともうまくいかなくて辛かったです。

 

唯一の逃げ場が、ほかのクラスにいた中学時代からの友達でした。

 

「学校へ行きたくない」と何度も思いましたが、ちゃんと学校へ行こうと自分の中で決めていたので、頑張って通いました。

 

 

引きこもるしかなかった浪人時代

大学受験はうまくいかず、浪人しましたが、予備校に行くのが嫌で引きこもっていました。

 

高校を卒業した後に、家庭の事情で愛媛から福岡に引っ越して、知らない場所で友達もいなくて、引きこもるしかなかったんです。

 

ずっと家にいて、結局、全然勉強をしませんでした。とても勉強ができる精神状態でもなかったんですけど。

 

浪人中は精神的に不安定で、ひたすら家で寝ているのに近い状態でした。

 

 

メンタルの問題かもと気づく

引きこもっていたので、その1年はほとんど親との関わりしかなかったですね。

 

高校のとき、親は「〜という大学でないとお金は出さない」と言っていましたが、浪人時代になって、「もういいよ」と受けさせてくれました。

 

そのときの私は、毎日毎日泣いている状況で、さすがにこれは性格的な問題じゃなくて、もしかしたらメンタル的に問題があるのかもしれない、ということは思いました。

 

でも、精神科とか心療内科に行くのを親が賛成していなかったので、受診することはありませんでした。

 

精神科などの存在自体、身近なものではなかったので。

 

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「あれ、これって私のこと?」

そうして浪人生活を過ごして、大学に入って、教員免許を取りました。

 

発達障害のことは教員免許を取るときに知ったんです。

 

教育心理学という授業で、ADHDなどの説明が細かく出ていて、「あれ、これって私のことじゃないのかな」と思って。

 

でも、大学のときは比較的成績もよくて、人間関係もあまり不自由がなかったから、そのときは、「違うのかな」とかと思って、病院に行くことはありませんでした。

 

このときはまだ「発達障害イコール知的障害」みたいなイメージだったので、私は成績もいいし違うんじゃないかな、と思って。

 

 

自分のペースで勉強。A評価が8割に

大学ではすごく勉強を頑張って、成績の8割がA評価でした。ADHDのいい面が出たのかなとも思います。

 

集中力が続かなくて困ってはいましたが、数学はあまり文字を読まなくていいのと、大学は自分のペースで勉強できることが多いので、夜中に勉強したりしていて、成績に繋がりました。

 

これだけ成績が結果として出たので、それは自信につながりました。

 

人生で2番目によかったときですね。

 

後にも先にも、こんなに勉強を頑張ることはないと思います。

 

 

母の乳がん、大学院での挫折

大学は、親が希望しているようなところには入れなかったわけなので、その代わり、大学院に行くと約束して、東京に出してもらいました。

 

約束したからには大学院に行かなくてはと思って、必死にやっていましたし、私自身も特技を1つ作りたかったというのもありました。

 

でも、大学院に入ってすごい挫折を味わったんです。

 

実は、大学の後半に母親が乳がんになってしまいました。

 

一応、寛解して命は助かりましたが、経済的に今までどおりにいかなくなって、「大学院は自分で学費を出して行こう」と考えるようになりました。

 

アルバイトをしながら勉強することを目指したのですが、それがどうしてもうまくいきませんでした。

 

 

ADHDと思って病院に行くと

勉強とアルバイトを両立している人もいるのに、自分はできない…。

 

部活動も入れなかったし、「やっぱりおかしいな」と思ったときに大学時代に習ったADHDのことを思い出しました。

 

自分はADHDかもしれないと思い始めたら、今度は勉強せずにそっちばかり調べるようになってしまいました。本を買ったり、ネットで調べたり。

 

調べれば調べるほど、自分はADHDじゃないかと思って、診断ができるところを友人に探してもらって初めて病院に行きました。

 

そこで最初についた診断名が「自律神経失調症」でした。

 

ずっと、「私のこのしんどさは何なの?」と思っていたので、理由がちゃんと分かってほっとしました。

 

でも当時は、ADHDの薬は認可されていなくて、そのことに気が付いたときはもう絶望でしたね。

 

「今までのしんどさがこれからも続いていくのか」、と。

 

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大学院を中退するまで

大学院は結果的に中退してしまいました。

 

中退する前の1年は、大学院に通いながら教員の仕事をしていました。

 

教員をする前はアルバイトで塾の先生をしていましたが、やはり両立がうまくいきませんでした。

 

でも、「職歴にきちんとしたものを書きたい」という焦りもあって教員をすることにしました。

 

動機が焦りだったとはいえ、教員を3年できたのはよかったと思います。

 

 

教員生活でつらかったこと

その3年間で一番しんどかったのは、ADHDとか自律神経失調症だということを隠しながら働いていたことですね。

 

周りにはなかなか言えないし、言っても理解されないだろうと思っていました。

 

あとは、逆説的なのですが、自分が勉強することや数学に対してコンプレックスがあるのに、それを教えないといけないこともつらかったです。

 

生徒に「どうして数学を好きなの?」と聞かれたときに何か理由をつくらなきゃいけなくて。

 

ある意味、全て演じなければできないような状況でした。

 

そもそも、勉強でつまずいて克服できてない人間が、勉強を教えなくてはいけないという事実もつらかったです

 

 

甘さと優しさは違うことを学んだ

でも、その中で、人を育てるには、一定の厳しさが必要であるということを学びました。

 

本当の優しさというものには、厳しさも含まれるということに仕事を通じて気が付いたんです。

 

それは実際にそう接している先生を見たり、自分でやりながらそう感じましたね。

 

教員をした3年間は本当に得るものが大きかったですね。

 

言いづらくても、人として間違ったことをしているときは、注意をしなければならないし、それが集団全体にとって必要だということに気付きました。

 

「甘さと優しさは違う」ということ。

 

このことは、現在取り組んでいる当事者会の運営や、今の仕事においても大切にしている考えの1つです。

 

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当事者会との出会いと確信

当事者会は、ADHDのことを個人的に調べ始めた中で見つけました。

 

病院に行く前に先に当事者の人に会ってみて、自分は本当にそうかを確かめようと思って行きました。

 

実際に行ってみると、当事者会に参加している方たちが、思っていた以上に自分に近い、という印象を受けました。

 

ADHDかもと思って行ったのが、確信に近づいた感じでした。

 

 

 

「受け入れられた」という安心感

当事者会に行くと、とても安心しました。「受け入れられた」という安心感がありましたね。

 

そのときの「受け入れられた」という安心感を、現在運営している『つむぎ』という当事者会の理念にしていて、それを今後も継承したいと思っています。

 

当事者会の集まる頻度は月に1回くらいでした。

 

当事者会に出ていた知人が「常設の場を作ろう」と言い始めたことがきっかけで、当事者会の運営側になりました。

 

 

同じ当事者の役に立てて嬉しい

当事者会運営のお手伝いをしている中で、精神保健福祉士の資格を知ったんです。

 

就労支援の中に、就労継続B型というものがあるのですが、その施設を作るには精神保健福祉士が必要という条件がありました。

 

「こういうところで働く道もあるんだ」と知って、仕事としてやってみたいという気持ちが芽生えました。

 

そこではお茶会を開いたり、山登りに行ったり、しっかり企画をたてて活動していました。

 

活動を通して「同じ当事者の役に立つことができて嬉しい」という気持ちがあって、現在のピアサポートの原点になっています。

 

続きは第2回へ

 

 

野中麻衣子さん全インタビュー

【Part1】不注意による苦しみ…私が発達障害と確信するまで

【Part2】「傷つけるのも人だけど、癒やすのも人」

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

 

ご興味をお持ちいただけましたら、下記フォームよりお問い合わせください。24時間以内にご連絡いたします。

 

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