【第24話:黙るしかできない】〜お父さんうつ日記〜

この4コマでは、これでもかってくらいに「つらい」「つらい」と綴っていますが、当時はそんなこと口にもしませんでした。

 

その理由は明白で、「自分にこの状況を“つらい”という資格はないんじゃないか」と思っていたからです。

 

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私が「つらい」なんて言ったら、父の気持ちは、母の気持ちは、どうやって形容したらいいんでしょう。

 

本当に辛いのは、うつ病と闘う父であり、その状況で過程を支える母であり、私には“辛い”という言葉を当てはめていい条件なんてひとつもないんじゃないか。

 

そんな風に考えていたら、何も言えなくなりました。

 

もうまさに、ドン詰まりという感じ。

 

前回の投稿では、苦しいことを誰かに話せたら良かったと書いていました。

 

そう思う気持ちは本当なんですが、きっとこの時誰かに話すチャンスがあっても、上手く気持ちを整理して話すことはできなかっただろうなと思います。

 

今振り返れば、私は何の躊躇もなく、「この時は辛かった」と言えます。

 

それは、“辛さ”を自分にとって絶対的なものとして捉える視点を持つようになったからです。

 

当時の私が「自分にこの状況を“辛い”という資格はないんじゃないか」と思ってしまったのは、無意識のうちに自分の辛さを相対化してしまっていたからなんだと思います。

 

自分にとってはとても辛いことのはずなのに、他の人と比べてしまい、その結果「自分なんて大したことないのに」と、その状況を辛いと感じてしまう自分に罪悪感を覚えていました。

 

相対的に捉えようと思えば、いつだって自分より辛い思いをしている人は地球上に沢山います。

 

だから「まぁいっか」と思う考え方もあるけれど、だから「取るに足らない」とは思いません。

 

他の人と比べれば、ちっぽけかもしれないけれど、自分にとっては大きなこと・重要なことって沢山あると思うからです。

 

当時の私の“辛さ”も私にとっては絶対的なものでした。

 

あの時は受け入れられなかったけれど、今やっと自分の気持ちを向き合えるようになってきたかなと思います。

 

 

【第25話を読む】

 

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【執筆】

シブ子

 

 

 

 

 

 

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  • 本記事は2017年6月11日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。