父の再就職。平穏な日々に戻って感じた「うつ病」のこと【クローバー さん第4回】

2017.07.05公開 2018.08.09更新

前回は、中学時代に感じていた家族の葛藤をお話させていただきました。

 

自分自身の難しい年齢とも重なり、苦しい我慢の日々だったなと思いますが、今回はそこから徐々に平穏が戻り、自分のことに集中できた高校時代、進路選択についてお話します。

 

>>前回のコラムはこちら

うつ病の父。思春期の私。家族みんな必死だった【クローバー さん第3回】

 

 

父の再就職と家族それぞれの想い

父は2度目のうつ病発症後、会社を退職し、半年ほど自宅で過ごしていました。

 

そして、わたしが高校1年生の春、うつ病を患う前にいた会社(A社とします)から声がかかります。

 

しかし、母は納得していませんでした。

 

「A社を辞めなければ、転職してうつ病にならなかったかもしれないのに…」

「この3年間は何だったんだろう…」

 

と、わたしに愚痴をこぼしていました。

 

一方、父としては、「子どもたちもまだ高校や大学でお金がかかる、だからこそもう病気になりたくない」という強い気持ちで、母に懇願していました。

 

3年間、自身の病気と闘い続けた父、それを支えた母だからこそ、ぶつかってしまったのだと思います。

 

ふたりとも家族を想ってのことです。

 

それを目の前で見ているわたしも複雑な気持ちでした。

 

でも、内心ほっとしていました。「あ、これで平穏になるのかなあ」と。

 

結局、母が折れて、父は古巣のA社に戻ることが決まり、その後10年間、父は落ち着いた日々を過ごすことになりました。

 

 

落ち着いた日々と大学受験

わたし自身はといいますと、中学から比べるとだいぶ平穏に過ごしていました。

 

人間関係に苦しんだ中学時代とは違い、幸いにも、いまでも仲良くする友人に巡り合うことができました。

 

加えて、当時は大学受験のことで頭がいっぱいでした。

 

父の病気も落ち着いて、家族の生活も落ち着きつつあったことも影響し、憧れていた東京へ行きたい気持ちと、一方で家族を心配させないため、「良い大学に行きたい」「上を目指したい」と思っていました。

 

そこで、高校3年生の夏には「大学は地元を出て、親が誇れるような子でいよう」と、東京の難関私立を目指すことに決めました。

 

父の一言があったからこそ

ところが、力及ばず、第一志望の大学には落ちてしまい、意気消沈。

 

受験に関して、口を出さなかった父ですが、唯一「この大学受けてほしい!」と言われてたまたま受けた大学に、進学が決まりました。

 

そして、大学では、いくつもの一生の出会いを果たすこととなります。

 

お父さんの病気がなければ、家族の期待に応えるため、わたしは猛勉強することはなかっただろうな…。

 

お父さんの一言がなければ、進路が決まることもなかっただろうな…。

 

 

全てのことは無駄ではなかった

これまで、うつ病によって大変な生活を送ったり、両親のけんかなど、つらい思いをすることも多くありました。

 

また、自分に変なプレッシャーをかけるのは決して良いとは言えないかもしれません。

 

ですが、その道を通ったことで、わたしは自分の進路に出会えたように思います。

 

病気も家族の葛藤も、費やした時間も無駄なんかではなかった。

 

あのころの経験が、勉強をがんばる自分をつくってくれた。

 

そして、誰より家族の存在が自分を支えてくれた。応援してくれた。

 

いまなら心からそう思える自分がいます。

ペンネーム:クローバーさん

 

 

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  • 本記事は2017年7月5日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。