全否定する母、小学校でのいじめ、うつ病のこと【朝倉美保さん Part1】

2017.09.15公開 2017.09.20更新
 
シェア
ツイート
はてブ
お気に入り
共感
31

今回は、双極性障害・発達障害の当事者で、発達障害などの情報を発信する雑誌、「きらり。」を出版する、みのりの森 代表の朝倉美保さんにお話を伺いました。

>>みのりの森ホームページ

 

 

「うつ病」に気が付いたとき

私が自分のうつ病に気付いたときは、24歳でした。

 

当時、管理栄養士の資格を持っていて、新卒で入った健康食品を扱う会社で働いていました。

 

商品の在庫や品質の管理などをしていたのですが、仕事量が増え始めてから、夜中まで仕事をしたり、電車がなくなっても仕事をするような状態が続いていました。

 

そんな中で、新しいプロジェクトにも携わり始めたことがきっかけでパンクしてしまったんです。

 

過呼吸から始まって、「何かちょっとおかしいな」と思っていたら、今度は眠れなくなってしまって。

 

部下からの電話もかかってくるので、どんどん休めなくなってしまい、気が付いたら、周りからも「何かちょっとおかしいよ」と言われるようになってしまいました。

 

245

 

 

食べても食べても痩せていく

もともと大食いだったのに、食べても食べても痩せていくのでおかしいな、とは思っていました。

 

それに加えて、急に悲しくなったりすることもあって、どうしたんだろう…とも思っていました。

 

そんな中、会社の同期でうつ病になったことのある子が、「あなた、多分うつだと思うから病院へ一緒に行こう」と言って、一緒に病院へ行ってくれたんです。

 

その時、どの病院に行ったらいいのかも分からなかったので、とても心強かったことを覚えています。

 

 

うつ病と診断。休職に

病院でうつと診断されて休職するように言われたのですが、その時は仕事がすごくたまっていた状態だったので、戸惑いました。

 

でも、周囲からは「とにかく休め」と言われたので、「この際だから休んじゃえ!」と決心して休職することにしました。

 

休職後は、「いつもの休みの日のような過ごし方をしたらいいのかな」と、気楽な感じで考えていましたが、実際はそうではありませんでした。

 

そのとき、私は実家に住んでいたのですが、

 

「うつ病で休職するとなったら、おとなしく過ごしなさい」

「活動的になってはいけない」

 

と、母親が過剰反応してしまっていたんです。

 

 

母に全否定されたショック

私としては、旅行に行ったりして、のんびり休暇を過ごそうと思っていたんですが、「旅行に行くなんてとんでもない」と母親に止められたことは結構ショックでしたね。

 

それからは、「もう何もするな」と母親に色々と制限されてしまって。

 

もちろん、旅行に行っても疲れてしまうようだったら、旅行に行っては駄目なんです。

 

なので、旅行に行くことを母が止めたのは正解だったと今だったら思えます。

 

ただ、そのときはまとまった休みが取れていなくて、「せっかくだから沖縄や海外にも行きたいな」と考えていたのに、それを全否定されたショックが大きかったですね。

 

221

 

 

小さい頃から、常に怒っていた母

もともと小さい頃から、母親との関係があまりうまくいっていなかったので、それもあって、うつ病が悪化してしまった、と言える面もあると思います。

 

母親がヒステリックなところがあって、私が小さい頃の母には穏やかなときがあまりありませんでした。

 

私が幼稚園くらいの頃から、母は「何かよく分からないけど、常に怒っている」という状態だったので、びくびくしながら過ごしていたんです。

 

母親と目が合うたびに、「あそこが悪い、ここが悪い」と言われることもよくありました。

 

 

怒っている状態が普通という感覚

中学の友達がうちに遊びに来たときに、母が私を呼ぶときの言い方がすごく怖かったらしくて、

 

「お母さん、何であんなにいつも怒ってるの?」

 

と、言われたこともあります。でも、私は「あれが普通なんだよ…」と。

 

小さい頃から常にずっとそんな感じだったので、もはや怒りとも感じず、普通になっていたんです。

 

手が出だしたらさらに怖いので、言っているだけのときはまだ良い時でした。

 

 

「母は何かの病気ですか?」

話は戻りますが、うつになってから母親の干渉が過剰になりました。

 

うつにいいと言われるものが本に載っていると、「これは絶対に食べなさい」とか「朝昼晩、しっかり日光浴をしなさい」とか…。

 

すごく徹底していて、私はそれが嫌で精神科医の先生にも母親について相談していました。

 

「母は何かの病気ではないですか?」と聞いたことがあるんですが、「あれはもう性格になってしまっているから治らない。もうしょうがないね」と言われてしまいました。

 

ちょっと絶望でしたね、「もう、治らないんだ」と思って…(笑)

 

 

母親から離れようとするも…

病院では「とにかく母親から離れなさい」と言われました。実際、母親が原因で病気が悪化することも多々ありました。

 

そういうことが多過ぎたので、「一人暮らしをしてみたら?」と何回も勧められました。

 

実際に、うつがよくなったときに一人暮らしができる会社を探したりもしました。

 

それで新しい会社に入ってから、実家を出ることができたのですが、週に1回は母親が一人暮らしの家まで来ていました。

 

日曜日になると必ず来て、部屋の状態とか冷蔵庫とか全部チェックされました。せっかく実家を出ても、気が休まらなかったですね…。

 

実家には、病院に行くときに寄るようにしていたので、「こっちには来なくていいじゃない?」と母に話をするんですが、「信用ならない」と聞く耳を持たずといった状況でした。

 

182

 

 

活発に動き回る子どもだった

少し自分のことを振り返ると、幼稚園のころの自分は、ジャングルジムなどで活発に遊ぶ子でした。公園に行っては木登りをしたりもしました。

 

とにかく動き回っている子でしたね。やりたいと思ったらすぐやってしまう子で、今で言えば「多動」だったのかもしれません。

 

幼稚園の頃の勢いのまま、小学校では学級委員長をしていました。運動会などでも、生徒を代表して挨拶の言葉も言っていましたね。

 

 

女子集団からいじめのターゲットに

周りからはあこがれとして見られる一方で、“できる子”と思われて、ねたまれることもありました。

 

実際、「運動神経のいい、人気の男の子からあこがれられている」という噂が出回っていて、その男の子を好きな女子の集団からいじめられることもありました。

 

最初は、色々なものを隠されることから始まり、お道具箱の中身の半分ぐらいが無くなってしまっていました。

 

それ以来、その子たちと一緒にいたくなかったこともあり、親に適当な理由を言って、私立の中学校を受験させてもらいました。

 

 

母に言えなかったいじめのこと

実は当時、いじめられていたということを母親には言えませんでした。

 

大学生になってから、「何で中学の時に私立に行きたいって言ったの?」と聞かれて、その時にやっといじめられていたことを伝えられましたが、逆に「何で言わなかったの」と怒られてしまいました。

 

でも、いじめられていることを言ったら、相手の家に乗り込んでいきそうなお母さんだったので、今振り返っても、いじめを受けていたことは、やっぱり言えなかったと思います。

 

 

勉強漬けを余儀なくした2つの条件

中学は、「この学校じゃないとダメ」と親が決めていた女子校に進学しました。

 

女子の集団が苦手だったので、「どうしよう」と思っていましたが、性格が似ている子が沢山いたので、すごく気楽で、良い環境の中で楽しく過ごすことができました。

 

中高の間は平和な学校生活を送っていましたが、親から、

 

・京都にある、国公立の大学に入れなければ学費を全部返しなさい

 

・そこの大学に合格しなければ大学には行かせません

 

という条件が出されていたので、中高は勉強ばかりしていました。

 

181

 

 

先生の前で私を怒鳴る母

母親は勉強に関してもかなり干渉してきて、テスト結果を見て、80点以下があると、三者面談で先生の前でも怒られました。

 

「なんでできないの!」と怒られて、先生が動揺しているという状態でしたね(笑)

 

そういう時は、とりあえず「はい。すいません。頑張ります」と答えていました。

 

怒られることに慣れてしまっていたせいか、「どうしよう」と焦ったりすることはありませんでした。

 

 

母の言動に対して冷静でいる自分

自分自身は勉強を頑張っていた気でいましたので、テストの点数が良くなくても、「これ以上は無理だったんだけどね」という気持ちでしたね。

 

実際、良い成績を取るために、朝早くから学校に行って勉強をして、授業後はクラブ活動をして、夕方また勉強をして、家に帰ったら寝る、という生活をしていました。

 

母親は勉強に関して全否定はしていませんでしたが、「その生活リズムは変だ」「なんであなたはそんなに変なことするんだ」と言っていました。

 

私も「お母さんが成績を取ってこいって言うから、私なりに頑張ってるんだから放っといて」と言い返していましたけど。

 

 

大学入学。管理栄養士の資格を取得

大学は府立大学に行って、管理栄養士を取りました。

 

もともと私は、数学の教師を目指していましたが、親に「就職先が教師か学者しかない。先がないからやめてくれ」と言われました。

 

「他のことにしてほしい」と言われて、他に好きなことを考えた時に、料理していたときが一番楽しかったと思いだしたんです。

 

管理栄養士になろうと決めたのはそんな単純な理由でした。

 

先生になる夢を閉ざされたときは、ちょっと引きずりましたが、先生と同じ「教える仕事」ということで、塾の講師のアルバイトをすることにして、気持ちを切り替えました。

 

母親は大学の成績表を気にしたことはなかったですね。

 

ただ私自身、成績が良いほうが就職に有利だと思っていたので、大学でも成績はいい方だったと思います。

 

大学生活だけは親からのプレッシャーもそれほどなく、すごく自由に過ごせました。

 

弟がいるのですが、私が大学に入ってからは、母は弟の大学受験にかかりきりになって私のほうは結果として放任という形になっていたのだと思います。

 

とにかく弟は勉強詰めだったみたいでした。

 

続きは第2回へ

 

 

朝倉美保さん全インタビュー

【Part1】全否定する母、小学校でのいじめ、うつ病のこと

【Part2】うつ病で休職、死産、離婚…リセットできたきっかけ

【Part3】「障害者でも『きらり』と輝ける」

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

 

ご興味をお持ちいただけましたら、下記フォームよりお問い合わせください。24時間以内にご連絡いたします。

お名前
メールアドレス
保有資格・所属・ご要望など

LINEバナー
シェア
ツイート
はてブ
お気に入り
共感
31

関連記事