新聞奨学生として進学。35歳で理学療法士の資格を取る【稲葉政徳さんPart2】

2018.02.04公開 2018.04.03更新
 
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お金がない…けど進学したい

ファミレスの仕事は冬まで勤めましたが、自分の中で色々と模索して、進学したいと思うようになりました。

 

でも、親は「金がない」と言う。

 

そこで親に頼らずに進学をする方法を探して、各新聞社がやっていた「新聞奨学生制度」を使うことにしました。

 

新聞屋さんに住み込んで、新聞配達をしながら大学に通う、という制度です。

 

私が受験したのは国士舘大学の短大でした。

 

当時は静岡大学の短大もあって、その2つに絞りましたが、私立のほうが結果が出るのが早いので、国士館に決めました。

 

数学、体育の成績はどん底でしたけど、国語、英語は得意だったので、国文科に入りました。

 

神奈川の大和市の新聞屋さんに住み込んで、新聞配達をしながら町田市にあるキャンパスに通っていました。

 

 

短大で女子と仲良くなるチャンス

短大では1クラス180人のうち男子が10人しかいませんでした。

 

知らない人は「ハーレム状態だね」と言いますが、男子は結構、肩身が狭い思いをしていたんですよ。

 

実は、こんな私でも女子と仲良くなるチャンスがありました。

 

当時、ヘビーメタルに傾倒してまして、「一緒にライブ行かない?」と女子2人から誘われたんです。

 

誘われたら、それは行きたいじゃないですか。

 

でも僕は夕刊の配達があるから、15時までには帰らなければならなかったので、1回も行くことはできませんでした。

 

新聞配達をやっている以上、集金も拡販もしなきゃいけなかったんです。

 

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短大に行けただけで良かった

新聞奨学生制度を使っている以上、コンパとか飲み会の経験は全くありませんでした。

 

でも、経済的な理由で進学できず、就職先でいじめられて引きこもってしまった同級生もいて、自分は短大に行けただけ良かったんだ、と思っています。

 

ただ、1年生の冬、新聞配達中に車との衝突事故に遭い、足を複雑骨折し、さらに後遺症で障害が残ってしまったんです。

 

ただ、怪我の功名でなんと保険金で200万円が下りたんです。

 

その200万円は次の学校に行くための費用にして、短大卒業後にまた進学しました。

 

 

カイロプラクティックの学校へ

二度目の進学先は、信濃町にあったカイロプラクティックの学校です。

 

理学療法士は諦めましたが、カイロプラクティックという資格を目指すことにしました。

 

カイロプラクティックは欧米では国家資格化されていますが、日本では民間資格でした。

 

 

当時は「カイロプラクティックで開業しよう」という夢もありましたが、それは実現できず、生活費はアルバイトで稼いでいました。

 

 

6年間続いた、吉野家のアルバイト

短大を卒業してから、吉野家でアルバイトをしていて、合計6年間続いていたんです。

 

吉野家でも仕事が覚えられなくて、1年目は強烈に怒られました。

 

牛丼のご飯を盛るのが汚かったり、具が玉ねぎばかりになったりして。

 

そこで、ご飯をよそって量ることを人一倍練習したら、不器用な僕でも3年目ぐらいには店長代行になっていました。

 

それでも、お金の管理ができなかったり、いろいろとミスをしたことで後輩に責められてしまい、居づらくなって辞めてしまいました。

 

 

ある理学療法士との出会い

吉野家を辞めて途方に暮れていた時に、横浜の病院でリハビリ助手の募集を見つけ、応募したら、正社員で採用されました。

 

そこで日系ブラジル人の理学療法士の方と出会いました。

 

私が、高校時代に理学療法士になることを断念した話をすると、

 

「もう1回チャレンジしてみたら?」

「君だったら性格的にも良いし、良い理学療法士になるよ」

 

と真剣に言ってくれたんです。

 

それから、白衣のポケットに英単語の本を入れたりして勉強していましたが、独学では厳しいと感じて、看護医療予備校に行きました。

 

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「お金なんかどうにでもなる」

英語と生物だけは偏差値70まで上げました。

 

そして、英語と生物、小論文で受けられる4年制の大学があったので、そこを受けることにしました。

 

昼は稼がないと授業料が払えない、生活できないと思いましたが、挑戦したいと思って。

 

「お金なんてなんとでもなるんじゃないか」、と思っていたんですね。

 

ただ、受験当日に寝坊をして、そこは受けることができませんでした(笑)

 

結局、その前に受けていた名古屋の夜間の専門学校に合格したので、31歳で相模原から名古屋に引っ越しました。

 

その後、35歳でついに理学療法士の資格を取ることができました。

 

続きは第3回へ

 

 

稲葉政徳さん全インタビュー

【Part1】発達障害、うつ病、いじめ、パワハラ…短大の先生になるまで

【Part2】新聞奨学生として進学。35歳で理学療法士の資格を取る

【Part3】「発達障害は生まれつきだから仕方がない。俺は俺だ」

【番外編】復職から仕事継続まで。「自分トリセツ」の活用術

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

 

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