とりあえず1日1日をちゃんと生きてる。今はそれでいい【山口理子さんPart2】

2018.06.25公開 2018.10.31更新
 

吐きたい欲求がなくなった

入院してから3ヶ月半経ち、体重が10kgほど増えて33kgぐらいにまで戻ってきました。

 

当時は高校生でしたし、3ヶ月も入院をしていると「学校に行きたい」と思うようになってきました。

 

ちょうど進級の季節。高校2年の新学期を迎えるタイミングで退院が決まりました。

 

退院に向け医者からは「まだまだ身体は栄養不足だから、こまめに食べるように」といった生活指導を受けました。これがゴールではない、と。

 

入院中の3ヶ月間はずっと吐かない生活を送っていました。

 

嘔吐の習慣を是正して生活習慣が正しく改善されたことと、親や治療者と対話して気持ちをぶつけ合ったことで精神的にも肉体的にも安定したため、体重が少しずつ増えつつも、吐きたい欲求はもうなくなっていたんです。

 

そして、体重が増えることがあれだけ嫌だったにも関わらず、体重が増えていく自分を受け入れることもできるようになっていました。

 

今までは食べることが怖かったけれど、頑張って食べてみよう、人と一緒に食事をしてみよう、など気持ちに前向きな変化が起こりました。

 

人生をリセットできたんだと思います。入院生活で。

 

>>【Part1】12歳で摂食障害に…家にも学校にも居場所がなくなった

 

066

 

 

看護師と接して文転を決意

退院後には、進路のことも考えるようになっていました。

 

実は、高校入学当初は看護師を目指していたんです。

 

それで高校1年の時は理系を選択していましたが、入院中に看護師さんと接する中で、

 

「私が誰かを看護できるほどの精神の強さと体力を持ち合わせているのか」

 

と思うようになって、文転して進路を変更することを決めました。

 

現実的な選択をしたつもりですが、妥協の思いも当時はあったかもしれません。

 

でも、これで良かったのだと思います。

 

このとき夢を諦めなければ、今の道を歩むこともなかったでしょうから。

 

 

「とりあえずちゃんと生きてる」

高校2年になって、すごくお世話になっていた保健室の先生が転任してしまったんです。

 

新しい保健の先生も悪い先生ではなかったんですけど、寂しく寂しくて。

 

その後は保健室ではなく図書館に行くことが増えていきました。

 

図書館では、自分の病気に関する本を読んだり、自分のやりたいことって何だろうと考えたりして過ごしていました。

 

将来どんなことをしたいかは、まだ特にはっきりとしたものはありませんでした。 当初は大学に行くつもりもなくて。受ける前から諦めていましたから。

 

「じゃあどうするの?」って言われても、よく分からず…。

 

ただ、3ヶ月前まで死ぬか生きるかの境目を彷徨っていた自分に比べたら、幸せな悩みだなぁと思えてくるんです。

 

だって今の悩みはより良く生きる為の悩みであって、生きる選択が前提なのだから。

 

「とりあえず、1日1日をちゃんと生きてる」

 

今はそれで良いです。当たり前なのですが、これって実は凄いことなんですよね。

 

 

病気は常に一緒に行動する相棒

大学に行こうと決めたのは、高校3年の5月頃でした。

 

きっかけは母の言葉。

 

「高校時代に満喫できなかった普通の学生生活を大学で過ごして欲しい」と言われたことがきっかけで考え直して予備校に通い始めたんです。

 

勉強を始めたは良いものの、摂食障害は完治の難しい病気で、ちょっとしたきっかけですぐに症状がぶり返してしまいます。

 

結局、受験期のストレスで一時的にまた入院前のような状態に戻ってしまいました。

 

ある日突然、衝動が起こって、行動に出て、浄化して。ああ何してるんだろうと自己嫌悪して、その繰り返し。

 

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、もうずっと病気の魂が肩に乗っているような感覚です。

 

嬉しいときも辛いときも常に一緒に行動している感じがしますね。

 

辛いとき、最も自分に寄り添い共感してくれるのはこの子なんだって。病気だけど相棒みたいな存在なのかもしれません。

 

そんなちょっと厄介な相棒とともに受験を終え、無事志望校に合格して大学に入学しました。

 

003

 

 

見た目は病人ではないけど

大学でようやく、友達関係をそれなりに築けるようになって、初めて恋人ができたりもしました。

 

その間も症状が良くなったり、悪くなったりを繰り返しながらではありましたが、大きく身体の不調が起こることはありませんでしたね。

 

体重が減り過ぎることもなく、はたから見たら全然病人じゃない時期でした。

 

ただ、突然、すごく気分が落ち込んだりするときは、どうしても病気に頼ってしまいます。

 

一通り終えた後で「やっぱり人とは違うんだな」と絶望した数は数え切れない程です。

 

家族の反応も変化を見せ始めました。 親や兄弟も、私の病を受け入れるようになったというか、理解したというか。

 

おそらく、ちゃんと理解はできないんだろうけど、「この子はそういう子なんだろうから仕方ないね」と捉えてくれていたのかも。諦めもあったと思います。

 

 

病気を隠さないようになった

発病してから現在に至るまでの15年間、ほとんど理解者はいなかったです。

 

いなかったんですけど、もはや摂食障害がアイデンティティになってしまったのか、不思議と自分の状態を隠さなくなりました。

 

「聞いてみんな、私、こういう病気なんです」って大々的に言うことはないけど、会話の中のふとした瞬間にカミングアウトしてみることは増えていきました。

 

仲の良い友だちに素を見せられるようになったことが、むしろ自分自身を見つめ直すきっかけになったり、原動力になっているように感じています。

 

病気のことを隠さずにいこうと決めてから、摂食障害である自分が前ほど嫌いではなくなりました。

 

むしろ、誰かに聞いてもらうだけで、結構楽になったりするんです。モヤモヤを発散できるんですよね。

 

…ってことに、この歳になってようやく気づきました。

 

ほとんどの人は、解決しなくても誰かに言うとちょっと楽になるじゃないですか。

 

多分、カミングアウトもそれと同じような原理だと思っています。

 

 

治らないなら受け入れるしかない

私は、摂食障害を完治させることは極めて困難だと思っています。

 

もちろん、治る人もいるけれど、私みたいにこじれた場合は尚更難しいのかなって。

 

だったら事実を受け入れて一緒に生きるしかないんですよね。

 

だから、「摂食障害が私のアイデンティティの一部なんです」っていう風に発信しちゃったほうが楽になるかなって思ったんです。

 

今回のインタビューも、自分がそもそも病気になったことで、 「この病気をもっと知って欲しい」「発信したい」という原動力から実現できたと思っています。

 

084

 

 

書くことが好きで決めた就職先で

話は大学時代に戻りますが、就職活動は受験以上に大きなストレスでしたね。

 

世の中的にも厳しいタイミングだったこともあり、ことごとく不採用。

 

胃が痛くなって食べられなくなっていった時期もありました。

 

なんとか入社することになったのは、Webサイトを運営する小さな企業。私はライター兼企画として採用頂きました。

 

記事1の冒頭で少し触れましたが、書くことが好きなんです。

 

小4の頃から小説を書いていましたし、高校でも文芸部で小説を書いたり、詩集を出したり。

 

何かを発信できる仕事は良いなと思って入社したものの、打たれ弱かったところがあって、うつ状態になってしまいました。

 

社長は普段はとても朗らかだけど仕事のことには厳しい方でした。

 

直々に指導を受けたり、怒られたり、自分の甘さを痛感して、悔しくて、またどんどん自分が嫌いになっていきました。

 

そのうち、仕事している間の記憶が飛ぶようになってきて、ああ限界かもしれないと悟りました。

 

精神科へ行ったら、お医者さんに「辞めたらいいよ」って言われて。それからすぐに報告し、退職することになりました。

 

親も、私がかなり疲弊し憔悴していたのは知っていたので、「すぐに仕事を探さないで少し休んだら?」と言ってくれました。

 

でも休んだら、絶対また引きこもって食べ続けちゃうのは分かっていたので、二週間後に転職を決め資格の勉強を始めました。

 

 

医療×ライターの仕事との出会い

最初の会社では挫折しましたが、やっぱり発信したり、書く仕事がしたいという気持ちはありました。

 

そしてできれば、摂食障害と関連する医療分野でのライティングを希望して、仕事を探していたときに見つけたのが、あるベンチャー企業でした。

 

当時は、生まれたての会社でした。一般社員はまだいなかったんじゃないかな。

 

面接の時に「摂食障害で入院していたことがあった」ということを正直に話してみたところ、すごく理解を示してくれて驚きました。

 

その後、入社を決めました。

 

そして、その会社での経験は、間違いなく人生の糧になっていると思います。

 

社会的に自分が必要とされていると思うことができたのが、その会社だったんです。

 

今も在籍している元同僚の人からたまに連絡をいただきますが、

 

「理子さんには良い報告がしたいから頑張るよ」

 

って言ってもらえるのは、やっぱり嬉しいですよね。

 

そういう意味でも、その会社で初めてまともに自分の社会的価値を見い出せたんじゃないかと思っています。

 

当時の摂食障害学会の会長さんに取材する機会を持てたり、いちからウェブメディアを作っていくことに携われたり、本当に初めての体験をいっぱいさせてもらいましたね。

 

040

 

 

今、大事にしている価値観

変な言い方かもしれませんが、「頑張らないことを頑張る」。

 

これまで、相当無理をして良い子になってたので(笑)

 

頑張って自分を作ろうとしない。 良い子になりすぎない。

 

等身大の自分でいることを大切にしています。

 

「別に休んだって良いじゃん」

「疲れたら寝坊したって良いじゃん」

 

今ではこう思えるようになってきたかなと思っています。

 

摂食障害である自分を良いとは思っていないけれど認めてはいる。そんな感じです。

 

 

病気で自分を責める必要はない

これは私の経験からになりますが、過食してしまう方は、その行動が必ずしも全てマイナスじゃないと思って欲しいなと思っています。

 

「もし、過食がなくなったら、次は別の行為であなたの心のモヤモヤを出すことになる。それは、もしかしたら他人を傷付けることかもしれないし、自分を直接身体的に傷付けることかもしれない。もっとひどいことかもしれないから、無理に止めないほうが良い場合もある」

 

これは実際に私が医師からもよく言われてきたことなんです。

 

もちろん、あまりにも自分でコントロールできなくて、昔の私みたいにどんどん体重が減ってしまっている状態ならすぐにでも病院に行ったほうが良いと思います。

 

私自身も、入院して症状が安定したのに、またぶり返しちゃった時は、「なんだ、結局治らないんじゃん」って絶望したこともありました。

 

ただ、自分を保てていて社会生活を送れているのなら、「それはすごいですよ」って言いたいです。

 

病気のことで自分を責める必要は一切ないですし、周りの友だちもちゃんと伝えれば、受け入れてくれる人は自分が思っている以上にいるってことはぜひ知ってもらいたいですね。

 

064

 

 

ひとりじゃないことを伝えていきたい

これからのことですが、いつか、摂食障害のことをはじめ、経験してきたことをもっともっと発信する人間になりたいなと思っています。

 

拒食症や過食症の人って、世界でひとりぼっちみたいな孤独感を抱えている人が多いと思うんです。

 

寂しいという感覚が、一番この病気を支配していて、孤独で、寂しくてしょうがない…。

 

それで食べ物は裏切らないから、食べ物に意識が向いていく一面もあると思います。

 

でも、本当に1人なわけではないし、あなたを気にかけてくれている人はきっといると思うんです。

 

私も、保健室の先生から手紙をもらって、学校が動いてくれたのを見て、「誰かしらが必ず見ててくれている」と思えたんですよね。1人じゃないんだなって。

 

だからこそ、いつか私自身が今困っている人の味方になって、役に立てるような存在になれたらいいなぁと思っています。

 

あとは、この病気になってから、すっかり小説を書くことから遠ざかっています。

 

なので、いつかまた小学生の時みたいに、いっぱいいろんな小説を書きたいなって思いますね。

 

おばあちゃんになってからでも良いですし。まだまだ長い人生なので。

 

【山口理子さんインタビュー完】

>>【Part1】12歳で摂食障害に…家にも学校にも居場所がなくなった

 

058

記事をシェア
記事をツイート
記事をブックマーク
  • 本コンテンツは、メンタルヘルスに関する知識を得るためのものであり、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題について責任を負うものではありません。
  • ユーザーの皆様へ:ご自身のお悩みについて相談したい方は、こちらからご登録をお願いします。
  • 専門家の皆様へ:コンテンツついて誤りや誤解を招く表現がございましたら、こちらよりご連絡ください

関連記事