うつで休職、退職。復帰への不安を自信に変えた拍手と雑談とカレー作り

2019.02.17公開 2020.05.11更新

「もう1週間働いてください」

「とにかくどうにかしてほしい。助けてほしい」と心療内科へ。

 

ところが、最初に行った心療内科で「〜ということがあって、今すごく辛いんです」と伝えても、「ちょっと様子を見てみましょう」と薬だけ出されて、

 

「もう1週間働いてみて、それでも良くならなかったらまた来てください」

 

と、その日は帰されたんです。

 

通常の感覚だったら、1週間働くってそれほどハードルが高くないかもしれません。

 

ただ、藁にもすがる思いで心療内科に行っているのに、「もう1週間働いてください」と言われて追い返された感覚でした。

 

家に帰ってからは、さすがにベッドから出られなかったですね。次の日も会社に行けず、ずっと家にこもっていました。

 

次の土曜日、違う心療内科に駆け込みました。

 

そこでも事情を話すと「抑うつ状態なので、診断書を出すから休んでください」と言われ、「1ヶ月の休職を要する」という診断書が出ました。

 

週明け、最後の力を振り絞って出社して、朝一番に上長に診断書を提出しました。

 

すごく驚かれましたが「今日から休みなさい」と言われ、休職期間に入りました。

 

それから数日、誰にも何も言わず、一人暮らしの家にこもってずっと寝ているような日が続きました。

 

休職から10日間ほど経ったとき、友達に誘われて外出する機会が、そこで初めて休職していることを話してみました。

 

休職経験がある友達だったこともあって、「そうなんだ〜」と素で反応してくれたんですね。

 

そんなに深掘りもされず、かといって全く触れないわけでもなく会話ができて、気分が楽になった感覚でした。

 

今振り返ると、本当にキツいときは休むことに専念するのが一番だと思いますね。

 

あとは、なるべく早い段階で誰かに相談できると尚良いですよね。

 

休職中の会社とのやり取り

それから休職から1ヶ月が経ち、ちょっとした外出くらいはできるようになりました。

 

ただ、気持ちの部分で復職に全く前向きになれず、そこから3ヶ月単位で休職期間が伸びることになりました。

 

休むことに前向きだったわけではないのですが、休職期間が延長になり少しホッとしたのはありましたね。

 

休職する前、上長に「休みの間も何かあればこちらから連絡するから」と言われて休み始めたんですね。

 

ただ、休職期間中に上長から連絡が来たことが一度もなかったんですね。

 

人によって捉え方は全然違うと思うんですけど、僕の場合は、

 

「もう戻らなくていいと思われているんじゃないか」

「必要とされていないから連絡が来ないんだ」

 

という感覚になって、そこが逆にストレスになってしまっていましたね。

 

保健師さんからは月1回で連絡をもらっていたのですが、休職期間が延びてくると、連絡の頻度が1ヶ月半に1回になり、2ヶ月に1回になり…。

 

そこでも「必要とされていないんだ。もう辞めると思われているんだ」と余計に思ってしまっていましたね。

 

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退職を決意し、転職活動

結局、休職は1年5ヶ月間になりました。

 

休職3ヶ月目くらいで図書館に通えるようになっていましたが、睡眠が全然安定しなかったですね。

 

「会社に戻らなきゃ」という思いはあるけど、家にある会社の資料を見ると手が震えていました。

 

職場復帰や転職を考えられるようになったのは半年ほど経ってからで、転職エージェントに会うところから始めました。

 

転職のときに、オープンかクローズかという選択肢があると思うんですけど、当時はそういう概念が自分の中になかったですね。

 

とりあえず、転職エージェントから送られてきた求人の応募ボタンをポチポチ押している感じで、100社以上は応募しました。笑

 

ただ、体調や生活リズムは安定せずで、昼頃になんとか起きて頓服を飲んでなんとか面接に向かうという…。

 

無理をしていたなというのはありますね。休職中に転職活動をしていることへの罪悪感もすごくありました。

 

内定はトータル9社からもらいました。

 

働く意欲はあったので面接でもアピールできたんですけど、いざ内定が出て働くことがリアルになってくると、

 

「やっぱり、自分はやっていけないんじゃないか」

 

と不安が高まってきて、内定受諾の連絡ができずに期限を過ぎてしまうということが結構何社かありましたね。

 

就職ではなく、リワーク施設へ

どうしても就職の最後の一歩が踏み出せない自分に、

 

「今は就職という選択ではなくて、就労の支援施設にお世話になった方が長い目で見て良いんじゃないかな」

 

と考えるようになり、リワーク施設に通うことになりました。

 

休職してリワーク施設に通い始めるまでの1年間は、

 

「復職しなければいけない」

「早く転職を決めないといけない」

 

と、「すべき思考」に囚われたままだったと思います。

 

リワーク施設を利用するにあたっても、不安はすごくたくさんありました。

 

まず、そういう施設があること自体、うつになる前は知らなかったので、

 

「何をするんだろう」

「どんな人がいるんだろう」

「どうなるんだろう」

 

という思いはありましたが、実際に体験に行ってみると、全然ネガティブではなく、前向きな空気感で安心できました。

 

自分がうつであるということを躊躇せずに話せますし、そういった前提で会話が始まるので、ハードルは低かったです。

 

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働くことへの自信が持てるように

最初は緊張することが多かったのですが、1ヶ月ほど経ってから昼休みに他の利用者さんと雑談することがありました。

 

雑談できたことが僕にとってすごく大きな出来事で、日記にも「雑談ができた」と書いたくらいです。笑

 

当たり前のかもしれないですけど、挨拶がちゃんと返ってくるし、笑顔で話してくれるし、受け入れてもらえる雰囲気は嬉しかったですね。

 

通っていたリワーク施設では、目標や夢を語りながらも「現実はこういう状況だから、◯◯を次のステップに設定しよう」という部分も良かったです。

 

拍手が飛び交ったり、お互いに尊重し合う空気感のおかげで、働くことだけではなく、ストレスにもなんとか対処できそうという自信を持てるようになったと思います。

 

また、履歴書上で職歴のブランクがあってはいけないと当初は考えていたんですけど、最近はそのブランクの長さに比例して焦ることは少なくなりましたね。

 

開き直りかもしれないですけど、ブランクに囚われていないという感覚は持てています。

 

リワーク施設に通うことで、ストレスのない環境の大切さを実感しましたが、実家もそのひとつです。

 

実家に戻ったのは、休職後9ヶ月ほど経った頃。

 

休職して9ヶ月間は、一人暮らしでしたが、転職活動を始めて不採用通知をたくさん受け取ると、どうしても生活の質が下がってきてしまい…。

 

睡眠の質をはじめ、部屋もぐちゃぐちゃで、友人にも迷惑をかけてしまったり。

 

休職初期よりひどくなって、「もう言うほかあるまい」という感じで家族に打ち明けました。

 

そのときの話を後日、家族に聞いたら、

 

「顔面蒼白で帰ってきたので、何事か起きているんだろうな」

 

とわかっていたみたいで、「まず休みなさい」と言ってもらいました。

 

実家に戻ってから、親から「早く職場に戻りなさい」と言われないか不安だったのですが、以前と同じように接してもらえたのは良かったです。

 

実家での焼肉事件とカレー作り

仕方のないことではあるんですが、何気ない一言で一気に体調が悪くなって、感情がコントロールできなくなるということもありました。

 

今では自分でも笑えてくるんですけど、家族で焼肉を食べた日、豚肉から焼き始めたら、父親に「普通、牛肉からやろ」と言われて。

 

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本当にどうでもいいことなんですが、その一言で気分が下がり、自分の部屋に戻ってしまったんです。

 

当時はそのくらい感情をコントロールできていなかったですね。

 

今では「どっちでもいいやん」って言うと思いますが。笑

 

ただ、家事の手伝いなどで段階的に負荷をかけてくれてたことはありがたかったです。

 

実家に帰った直後は、本当にただ休んでいるだけでした。

 

少し体調が回復してくると、「ちょっとキャベツの千切り手伝って」とか言われるようになったんですね。

 

料理全部ではなく、キャベツの千切りだけ。

 

しかも、千切りが終わるとすごく「ありがとう」と感謝されたり褒めてくれて。

 

キャベツの千切りを続けていくと、また少し調子が戻ってきて「ちょっとこの1品手伝って」と、少しレベルが上がるんですね。

 

自分の回復具合にちょうど良くて、最終的に「カレー、作って」になって。

 

自分でカレーを最初から最後まで作ると、またすごく感謝されたり、褒められたり。

 

この感じは僕にちょうど良かったですね。

 

体調の波の沈みかけに気づく

今は、いかに「このままいくとマズいな」という兆候を自分で気づいて、色々できることがあるうちにできる対処を持っておくことを心がけています。

 

「気づいたら、体調が落ちていた…」では、できる対処も少なくなってくるので体調の波の沈みかけでいかに気づくかですよね。

 

ケースバイケースですけど、僕の場合、体力的にちょっと無理しているなという兆候のサインとして、コンビニに寄ることが増えます。

 

帰り道、甘いものを求めてコンビニに寄ることが増えてくるんですよね。

 

それを自分で気づけると、「ちょっと疲れてきているな」と意識できるので、睡眠や日々の活動量を抑えてみたりしています。

 

ストレス対処法で、僕がやっている一番手軽なものは「顔を洗う」ことです。

 

外に出たくない気分のときに、外に出ることを目標にするのではなく、顔を洗うことを目標にしています。

 

顔を洗うとすっきりして、気分も持ち上がってくる気もします。

 

体調が良ければ、

 

「顔をせっかく洗ったんだからヒゲを剃ってみよう」

「せっかくヒゲを剃ったんだから歯を磨こう」

「せっかくだから髪も整えて、服を着て」

 

と、ちょっとずつできることが増えていくんですよね。

 

それで「準備が整ったから、少し外へ出てみよう」と外出できることもありますね。

 

「うつ病のたこすけ」じゃない

人からの見られ方や、自分自身のアイデンティティからも、「うつ病のたこすけ」と言ってしまうと「うつ病の人」と自分自身でレッテルを貼ってしまっているように感じるんです。

 

何をするにつけても、「うつ病だから」というのが付いてまわってしまって、それこそうつに囚われてしまって

 

「自分は怠けているんじゃないか」

 

みたいな考えに引っ張られてしまうこともあります。

 

なので、「うつ病のたこすけ」ではなく「たこすけのうつ病」

 

うつと診断されて休職していた事実もありますが、それはあくまで1つの側面にすぎないと思うようにしています。

 

たまに、自分がうつであることを忘れる瞬間もありますが、その方が僕にとっては生きやすかったりするんですよね。

 

うつが顔を覗かせるときもあるけれど、一人の人間としての人生が続いていることは心がけていたいなと思っています。

 

今、29歳なんですけど、正社員として働いた期間が1年しかなくて、一般的に見れば年齢と職歴にギャップがあるんですよね。

 

もし、次に働く会社が決まれば、俗に言う「オールドルーキー」みたいな感じになると思うんです。

 

押し付けるわけではないですけど、オールドルーキーでもやっていける姿を誰かに見てもらうことで、何か良いことがあるかもしれない。

 

Twitterやブログで情報発信をし始めてから、誰かと繋がっていると感じられるからこそ、自分も誰かの力になれたらと思います。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2019年2月17日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。