完璧主義で自責思考の私が「ほどほどで良い」と思えるようになれたきっかけ

2019.03.31公開 2020.05.15更新

自己肯定感との戦い

大学に入れなかったとき、人間失格的な烙印を自分で押したことが、自己肯定感の低さに大きく影響していると思います。

 

「挽回しよう」という焦りしかないので、から回って上手くいかず、また自己肯定感が下がってしまう…といった悪循環でした。

 

口では「焦らないようにします」と言うんですけど、もう癖になっているので。

 

「焦らないで」って言われると、焦っている自分を逆に責めちゃうんです。

 

焦っている自分は確かに存在しているので、「なんで焦らないことができないんだろう」って。

 

その頃は、常に焦りをひしひし感じていたので、外に出たり、バイトしたり、とにかく動いていましたね。

 

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19歳くらいのとき、思い立って1人でフィジーに行ったんです。

 

「大学受験ができなかった」とずっと悶々としていた時期だったんですが、バイトなども始めるうちに、海外ひとり旅もしてみようと。

 

不安もありましたが、フィジーという国も幸福度がすごく高いらしく、その旅の中で出会った人たちが自然体でキラキラして見えたんです。

 

「私なんて、大学受験ができなかったことでウジウジしているのに、この人たちは素敵だな」とすごく思えたんですね。

 

「私が全然知らない世界ってあるんだな」

「今まで小さい世界に生きていたんだな」

 

と実感したときに、前向きになれるきっかけをもらえた気がしたんですね。

 

移動中も不安を感じることが多かったんですが、人との出会いによって価値観が変われた経験だったと思います。

 

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次のターニングポイントは、住み込みで栃木で働いていた20歳頃の時期です。

 

そこでもすごく良いメンバーに恵まれて、初めて人に心を開けた感覚を持てたんです。自分の世界が広がったというか。

 

学歴とか関係なく、自分の好きなように生きている人たちばかりで、「こういう自由な生き方もあるんだな」と。

 

そのときも、仕事はビクビクしながら接客していましたが、価値観がすごく広がったし、何より超楽しかったですね。

 

その後、オーストラリアにも留学に行きました。

 

ただ、留学に行くために親戚にお金を借りていたこともあり、「勉強しなきゃ」というプレッシャーを自分に課してしまっていました。

 

「オーストラリアで何か身につけなければ、私には価値がない」

 

といった価値観はずっと根底にあって、1年行くはずだったのに3ヶ月くらいで、案の定ドクターストップに。

 

医師に「帰国しなさい」と言われて、すぐ日本に戻ってきちゃったんです。

 

自分を責める日々がずっと続きましたね。

 

毎日、「死にたい死にたい」ばかり言っていたら、当時同棲していた彼氏にもフラれて、さらにガツンと落ち込みましたね。

 

「もう、どうしていいかわからない」と、ズーンとなってしまって…。親に見せる顔がないなとも思いました。

 

「実家に戻る」と言っても「あんた何、勝手なことをやっているの」と許してもらえないだろうな、と。

 

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でも、実際は逆でした。

 

母は「すぐに戻ってきなさい」って言ってくれて。

 

「許してもらえたんだ」と、そのときにすごくホッとして実家に戻った記憶があります。

 

親も、少しうつっぽくなった時期があってみたいで、「気持ちがすごくわかった」と言われたんですよ。

 

ちょっと分かり合えた気がしましたね。

 

デザインの仕事を始める

そこから、今の仕事に繋がるんですけど、住み込みのときの思い出を自分で動画編集して、みんなに配ったんですね。

 

そしたら、すごく喜んでもらったんです。

 

昔からパソコンをいじるのも好きだったし、クリエイティブ系の仕事がしたいなと思って、会社を探し始めました。

 

最初は未経験のアルバイトだったので細々した作業の繰り返しでしたが、メンタル的には単純作業が逆に良かったですね。

 

上司の方もすごく良い人で、怖さが一切ない、ほわっとした良い人で「いいよいいよ。休んで」と言ってくれる存在はありがたかったです。

 

でも、やっぱり自己肯定感はずっと低くて、「やらなきゃやらなきゃ」という焦りもありました。

 

あとは気分の上がり下がりがすごく激しかったです。

 

「自分はすごい」「やれる! 」と思っていたら、突然ガクッとパワー切れして、全然動けなくなって何もできないってなったり。

 

落ち込んでダーンってなっているときは、死にたいと思って何もできないし…。

 

「どうしよう。このままこれが一生続くのかな」という不安になり、気分が上がれば「めっちゃやるぞ! 」と、躁うつっぽい感じになっていました。

 

最初に入った会社を辞めた後も、フラフラと色んな会社を渡り歩いていました。

 

最終的に落ち着いたのが、知人のツテで入社したベンチャー企業で3年ほど働きました。

 

「やれることは何でもやって」みたいな環境の中、アルバイトから正社員にもなり、3年続いたことは自信になりました。

 

「普通になりたい」というのが私の中で正社員だったんですが、正社員になっても自己肯定感ってそんなに上がらなかったです。笑

 

むしろタスク量が増えて、気分にも波があって、怒られていないのに、常に人に怒られているような感覚もあって、メンタルを崩したんです。

 

実際は違っても、人にずっと責められていたり、誰かに監視されている感覚が止まらなくなってしまって。

 

自分の勘違いだとは分かっているのですが、会社に行くのが怖くなってしまい、辞めることにしました。

 

ただ、辞めた後も「やらなきゃ病」は消えなかったし、「働いていない自分はクズだ」という思いも消えませんでした。

 

特に、辞めたてのときは、

 

「また、メンタルがきっかけで辞めてしまった」

「放り投げるように辞めてしまった」

「何度繰り返せば気が済むんだ」

 

と、すごく自分をずっと責めていました。

 

その時期を支えてくれていたのが、夫でした。

 

本音を話せる初めての存在

夫と出会ってから、すごく体調の波の強弱が減ってきましたね。

 

今までは、彼氏がいても自分のうつっぽい面が出て来るたびに別れていたんです。

 

自分のうつっぽい状態を見せるのが怖いのと、「たぶん嫌われるろうな」と勝手に想像して、こっちから別れたり。

 

その点、夫には仕事を通じて、自分の「底辺」を見せた状態からのスタートだったので、それが良かったと思います。

 

気分の上下に関係なく、「本音を話せる初めての存在」。

 

あと、良い意味で人の評価を気にしないんですね。

 

「人の評価は、自分の尊厳を落とすものではない」

「相手が何を思っていても、自分は生きていていい」

 

という、ポリシーというか自己肯定感がしっかりしている人で、私と真逆なんですよね。

 

「こういうときにこう思ったんだけど、あなただったらどう考える?」という会話で、私にない夫の良い部分を少しずつインストールさせてもらっています。

 

あとは、私のことを定点観測してくれる人がいるというのは安心感になっています。

 

例えば、落ち込んだときって「前に戻った」「進んでいない」と感じてしまうんですね。

 

「ああ、私また落ち込んでダメだ」って思っていても、他者からは以前の落ち込みよりは全然良いように見えることもあるらしいんですよ。

 

「この前の『今日、気分悪い』より、全然いいよ」って。

 

自分ひとりでは全然気付かない、客観的な視点で見てくれる存在は大きいですね。

 

あとは、否定を絶対しない。言ったことをちゃんと受け止めてくれる安心感もあります。

 

私の気持ちを1回受け止めた上で「僕だったらこうかな」と。それで傷ついたことはたぶん1回もないですね。

 

夫との出会いは、やっぱり一番大きなターニングポイントです。

 

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「自分を責めない世界もあるんだ」

ベンチャーを辞めた後は、傷病手当金を支給してもらっていましたが、

 

「仕事を辞めて休んでいる自分はクズだ」

「絶対に半年で社会復帰してやる」

 

と、思っていて半年くらいは自分を許すことができず、結構不安定でした。

 

ですが、心配して見守っていてくれる夫もいて、傷病手当金もある…。

 

そういう状況を理解したとき、

 

「無理して頑張らなくても生きていけるんだ」

「何に対してこんなに頑張っているんだろう」

 

という、気持ちが湧いてきて「ちょっとダラダラしてもいいかな」って休んでいる自分を許せてあげられたんですね。

 

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活動量を減らして、自分を見つめる時間があったからそう感じられたのかもしれません。

 

「無理して頑張って、いっぱい稼がなきゃ!」みたいな気持ちはもう無くなっていきましたね。

 

それまでの最上主義の考え方も「ほどほどにやればいいや」という感じになって。

 

そして選んだのが「フリーランス」という働き方でした。

 

フリーランスとして働く上で、1ヶ月にこれくらいのお金があれば、自分に罪悪感なく生きていけるといったラインを決めたんです。

 

そうしたら、すごく楽になったんですね。

 

たしかに、たくさん稼いでいる友達を見ると焦りが出ることもあります。焦りはやっぱり消えないんですよね。

 

焦り自体を無くすことはできない。でも今では「また出てきたな」と客観的に見れるようになっていると思います。

 

「現実的には生きていけているし、夫もいるし、住むところもあるし、幸せだな」

 

という意識に戻れるようになったというか。

 

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去年の秋頃、スキーマ療法の本を読み、夫と実践するようになるまで、そもそも自責をしていることにも気づいていなかったんです。

 

スキーマ療法を試す中で、自責している自分にようやく気づいて、かつ、自責を止めても、私の価値は変わらないって心底思えるようになりました。

 

それでようやく「自責をしなくていいんだ」という考えになれました。

 

じゃあスキーマ療法は万能かというと、そんなことはないと思っています。

 

私が19歳の頃、スキーマ療法や認知行動療法をやっていても、今みたいになれないと思うんですよね。自責の念があまりに強すぎて。

 

当時は「痛い」「辛い」「苦しい」に圧倒されて、考える隙がなかったんです。

 

自分の感情や自動思考を徐々に拾えるようになって、少しずつ自分を許せてきたタイミングだったから、効果があったんだろうなとは思います。

 

これも個人の感想ですが。笑

 

「自分を責めない世界もあるんだ」

「こういう世界観で生きている人もいるんだ」

 

というのが、この歳になってわかってきたというか。

 

スキーマ療法を夫とやると、過去の出来事について覚えてることが全然違うので面白いんです。

 

「これがめちゃくちゃショックで全然忘れられないんだよね…」と話すと、「そんなこと、俺は感じなかったなぁ」みたいな。

 

同じ出来事でも、記憶のされ方が全然違って、

 

「あ、私って悲しい出来事を拾いやすい体質なのかな」

「辛かったことをずっと覚えやすい体質なのかな」

 

と、気づけるのは良かったです。

 

そして、それを無理に変えようとするのではなく、一旦そんな自分も許せてあげられるようになりましたね。

 

何かに対して、感じたことや思ったことって自分の個性だと思います。

 

そこをあまり責めすぎたり、他人に合わせようとしすぎるとやっぱり辛いなと。

 

「ダメだな、私」となるのではなく、今はちょっと病気の自分を許すというか認める感じです。

 

自分を認めてあげられると、「よし、じゃあ治療しよう」と建設的に考えられるようになりました。

 

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実は、17歳から色んな治療法を試してきました。

 

精神科だけではなく自己啓発に走ったり、スピリチュアルのようなものを試した時期もあります。

 

カウンセリングも5ヶ所くらい行ったかなと思います。

 

特にカウンセリングは相性の合う合わないが分かれましたね。

 

例えば、傾聴だけのカウンセリング。

 

「辛かったね」とか言ってくれるものの、「それって結局なんの解決にもなっていない…」という思いが消えなかったんですよね。納得感が少ないというか。

 

もちろん、聞いてもらって、泣いて浄化する感じで楽にはなる部分はあります。

 

ただ、私が良かったと感じたのは、

 

「ここを目指すなら、あなたの考え方の歪みをこうした方がいいよ」

 

と具体的にアドバイスしてくれるカウンセリングでした。

 

ゴールの立て方や進み方、今の自分をどのように把握するかといった、すごく現実的なことを客観的に伝えてくれる方が合っていました。

 

そのカウンセリングは何年間か行っていましたが、やっぱり金額が高かったので頻繁には通えませんでしたね。

 

今は80点か90点

今の働き方は100点満点で言ったら……80,90点くらいかなという感じですね。

 

100点って言えない癖ですね。笑

 

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いつでもどこかに不満を感じているという悪い癖なんですけど、昔と比べたら良くなってると思います。

 

週2日の常駐のお仕事があり、お金に困らない状態で働けている安心感はすごく心強いです。

 

あとのお仕事は、頑張ったら頑張った分だけ自分を褒められる、という考え方ができているのはメンタル的に良いですね。

 

今でもやっぱり、会社に行くのは怖いんです。知らない間にすごく疲れていますね。

 

月曜の朝に嫌だなという気持ちにもなるし、人に会うというだけでストレスになります。

 

でも、週2くらいだったら大丈夫なんですよね。

 

責任の重さや信頼関係でも、ようやく自分にとって働きやすい環境と出会えたなと思っています。

 

実は、知り合いの方からお声がけいただいて、進めている計画があるんです。

 

「カウンセリングや病院に行くのはちょっと…」と思いつつ、日々無理をして疲れている人たちのコミュニティをつくっていきたいなと思っています。

 

その名も「とうふメンタルラボ」。笑

 

会社や学校では、人の目が気になって素の自分が全然出せない人が、自由に意見を言い合えるコミュニティにしていきたいなと思っています。

 

変なグループみたいにはしたくないんですよ。

 

例えば、音楽好きの人たちが好きな音楽を弾いて、1つのものを作り上げる「セッション」みたいなコミュニティ。

 

ただ愚痴を言い合うだけではなくて、一人ひとりの音色を壊さずに、自分の色や音を出せる場所として。

 

それも、100%を目指すとまた体調を崩してしまうので、「楽しむ」ことを目標に進めていければと思っています。

 

人生はらせんのように進んでいく

一つ大切にしている考えがあります。

 

それは、自分は人生を階段状ではなく「らせん状」で歩んでいるということです。

 

うつ病を説明するときによく、体調の上げ下げを繰り返しながら上がっていく…みたいに階段状で表現することってありますよね。

 

でも階段状の場合、もし体調が一気に落ちてしまったら、またゼロからやり直さなければならないようにも受け取れちゃうんです。

 

らせん状の場合、気分が落ち込んでも、「以前の落ち込みとは、1段階上のレベルの落ち込みをしている」って前向きに受け取れるんです。

 

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気分の落ち込みを上から下ではなく、右から左に移動しただけで、人生全体として上に上がっていると思えると言うか。

 

なので、気分が落ち込んだときには、階段状ではなくらせん状を思い浮かべて、

 

「今は落ち込んでいるけど、全体としては上に上がっていっている」

 

と、思うようにして、落ち込みに対して必要以上に悲観的にならずに済むかなと。

 

歳をとるって、ネガティブに捉えられることが多いと思うんですが、精神面ではらせん状のように成熟していくと思っています。

 

なにか行動していたり、「ちょっとでも良くなろう」という気持ちがあれば上に向かっていると信じてみることで、頑張って生きてみようという希望になっています。

 

落ち込むことはあっても、長い目で見るというのは、これからも心がけていきたいですね。

 

17歳の自分に声をかけるなら

個人的には、人へアドバイスをなるべくしないようにしているので、なんと声をかけるか難しいですね。

 

「どうとでも生きていけるよ」

「何かから外れても生きていけるよ」

 

ということは伝えたいかなと思います。

 

あと、世の中には自分が知らない人や世界がいっぱいいるから、

 

「1つの価値観に縛られないで生きたっていいんじゃない」とは言いたいですね。

 

でも、多分受け入れてもらえないかな…。笑

 

「こうやって今、ちゃんと生きているから大丈夫だよ」

 

とだけは、受け入れてもらえなくても伝えたいですね。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2019年3月31日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。