「人に受け入れられたいと思う人ほど、自分を受け入れてないのかもしれない」

2016.11.06公開 2020.07.11更新

ベビーマッサージで親子の絆づくり

現在の個人での活動では、私も一児の母として、子供の世代から、心が健康に育って欲しいなと思いもあり、ベビーマッサージの資格も取って仕事をしています。

 

ベビーマッサージを始めた理由として、最初にできる人間関係の基礎は、母と子供の関係だと思っているからです。

 

実際に、子供の頃からの母親との関係や家族との関係が、成人してからのメンタルヘルスにも大きく影響していると感じることが多くあります。

 

子供が心身共に健やかに成長するために、母親の心の健康は不可欠です。

 

育児は重労働ですし、母親自身が悩みを抱えていることも多い。

 

だから、母親の心に寄り添える活動をしたいと考え、育児中の母親が気軽に相談できる場所づくりとして、ベビーマッサージを始めるに至りました。

 

実際、「カウンセリングします」と言っても、なかなか人は集まってくれないのですが、「ベビーマッサージ会しますよ」と言うと、気軽に参加してくれる親子が増えました。

 

ベビーマッサージでは、母親が子供に触れたり、話かけたりと、親子で触れ合う手段としてとても有効だと思っています。

 

また、ベビーマッサージをしながら、親同士で色々な話をすることもリフレッシュになります。

 

ベビーマッサージを通じて、母と子供の絆もできていくので、母親自身が子供に笑顔で向き合ったり、子供のことを純粋に可愛いって思えるような、そんな場を作れればいいなと思っています。

 

人に受け入れられたいと思うほど…

私も人のことを言えないんですけれど、社会人になって仕事をする上で、やっぱり精神的にも身体的にも健康じゃなきゃダメだと思っています。

 

日本の特性なのかもしれませんが、寝ないで仕事するとか、残業するとか、とにかく頑張るとか、自己犠牲が美徳な文化があるように思えてならなくて。

 

健康を疎かにしても仕事をすることを良しとする風潮は、まだまだ根強いように感じています。そういった社会の一面を変えていってほしいなって思う部分ですね。

 

病気を予防するためには、まず自分を知ることからだと思います。特性や考え方の癖を知る。そのためには、見て見ぬふりをしないことですね。

 

日々の自分の状態に、ちょっとずつ目を向けることができるようになると、自分をコントロールができるようになり、予防にもつながっていくと思います。

 

ただ、やっぱり自分の弱いところや、自分の嫌なところを認識する作業は、結構苦痛だったりしますし、骨が折れますよね。

 

「こうありたい自分」と、「そうなれない自分」みたいなギャップに苦しむことってないですか?「こんなはずではない」みたいな。

 

例えば、朝早く起きたいと思って起きれない時に、「こんなはずではない」と思ってしまいがちです。

 

でも、そこで「自分は、こういうところが弱いな」と受け入れてみるなどして、日々の自分の状態にちょっとずつ目を向けることが出来るようになると予防にも繋がっていくのではないでしょうか。

 

たとえ完治はできないとしても、ある程度、体調を回復させるために、抵抗をなく自分の弱みを受け入れることは大切だと思います。

 

自分の弱みを受け入れることは、プライドが邪魔したりして、すごく難しいです。

 

メンタルが不調になる人は真面目な人が多くて、プライドが高い人が多い。私もちょっとそういうところがある。

 

「ありたい自分」みたいなのが結構強くて、プライドも高くて、よく思われたいし、人に受け入れられたい。

 

でも、人に受け入れられたいと思う人ほど、自分を受け入れてないんですよね。

 

人に受け入れられたいことは、自分を受け入れてないので、受け入れられた自分を見て安心して、承認欲求を満たす感覚かもしれません。

 

一方で、自分で自分を認められてる人は、人になんて思われようと気にしていないように思います。

 

それに、人の目なんてコロコロ変わりますし、今日思ったことと明日思うことが全然違うことだってあります。

 

周囲に左右されてすぎてしまうと、振り回されてしんどくなる。

 

自分で自分を受け入れられないから、「あの人にどう思われてるかな」って顔色を伺って、余計苦しくなるんです。

 

自分はずっと自分のそばにいるわけですし、自分を大切に、自分を愛せる人は心が強いように思います。

 

自分で自分を認めてあげて、受け入れる習慣をちょっとずつ身につけられると、心の健康状態も安定していくのではないでしょうか。

 

プライドの高い人は、理想も高いところにあることが多いと思います。

 

ただ、理想がすごく高い人は、結局その理想に向かえてないことも多いんですよね。

 

その一方で、ダメな自分とも向かい合わなきゃいけない。そうすると、自分が自分でわからなくなってしまうと思います。

 

自分の嫌な部分があるから、「この人に好かれなきゃ」みたいなものが増えてくるのですが、それで誰かから嫌われた時に、ものすごいダメージを受けるんです。

 

私も結構、自分を認められないから、周りをすごく気にするタイプなんです。周りの言われたことに、左右されて人生を送ってきた面もあります。

 

私の夫は正反対で、「俺は生きたいように生きてきたし、周囲にどう思われようと、自分がやりたいようにやってきたから、何の悔いもない人」です。

 

これにはもちろん、一長一短ありますが、周囲の目を気にしすぎない気持ちだったり、自分の存在をもっと大切にしても良いんだという思いを持つようになりましたね。

 

心の病気が特別視されない社会に

病気になった人の周りにいる人ができることは、特別視しないことだと思います。だからといって、病気になる以前と同じように仕事させられたら困るんですけれどね。

 

周囲の人も同じように精神疾患になるかもしれないですし、病気になった人も、たまたま今は状態が悪くなっただけの側面もあります。

 

だからこそ、腫れ物に触るように…ではなく、まずは特別視しないことが大切だと思います。

 

うつ病などのメンタル不調に対する偏見的な部分もまだまだあると思います。

 

身体の病気だといたわれるのに、心の病気だといたわれないって人結構いるんですよね。

 

心の病気ってどうしてもイメージしにくいのもあると思います。それにどうしても「甘えだろ」って受け取ってしまう人もいます。

 

その点は、周りの人も、心の病気と身体の病気と区別や特別視をせずに、「自分もそうなるかもしれない」と考えてほしいですね。

 

風邪や骨折のような怪我だったら誰でもなりうると思うじゃないですか?

 

そういうものと、一緒にみてくれればいいなと思います。

 

それは自分自身も一緒です。

 

体の不調で病院に行くのと同じ感覚で、心の不調でも、相談や病院に行くなどして自分自身の心もいたわってほしいなと思っています。

 

心の病気も、身体の病気と何も変わらないようになればいいなと思っています。

 

風邪を引いた時は、薬をもらいに行こうってすぐ病院行けるのに、眠れないから病院に行こう、とはなかなかならないんですよね。精神科や心療内科に行くのだってすごくハードルが高いと思います。

 

あとは、精神科に通ってるっていう方でも、実際に話をしたら、全然普通に話せるんだっていうことを知らない方も多いと思います。

 

勝手な先入観で、メンタル不調の人は、くだらない話も何もできないといった認識が付いている気がします。

 

心療内科のクリニック行って、待合室見てほしいと思うんですよね。実際は、精神疾患を抱えているなんて、見た目では分からない方が圧倒的に多いんですよ。

 

でも出来れば、風邪を引いたり、喉が痛いなと思ったら、

 

「ちょっと休もうかな」

「飲み会はやめようかな」

 

とコントロールが出来るように、メンタルの不調を放置せずに「休憩しようかな」って思えるようになったらいいですね。

 

おそらく、メンタルの調子が悪い時には、調子が悪いサインが出てると思います。

 

そういったサインを本人はもちろん、周囲の人も気づけて早めに対処できる社会になっていけばいいなと思います。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2016年11月6日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。