お父さんが笑わない…うつ病が平和な家族を変えた【クローバー さん第2回】

2017.06.12公開
 
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わたしの父は、もともと家族想いの人です。小学校の頃は、休日は頻繁にドライブへ行ったり、年に1度くらいのペースで旅行に連れて行くほど、家族との時間を大切にするやさしい人でした。

 

わたしはかなりのお父さんっ子で、家族といる時間がなによりも大好きでした。

 

ですが、15年前、平和な家族の生活が一変してしまいました。

 

>>前回のコラムはこちら

父のうつ病とわたしたちの15年間【クローバー さん第1回】

 

 

お父さんが笑わない…

わたしが小学校6年生の頃です。

 

父は転職をしましたが、新たな職場環境、仕事内容、人間関係で相当悩んでいたようでした。

 

夏休みのある日、わたしがリビングに向かうと、出勤前の父が今まで見たことのないすごく怖い顔をして、テレビを見ていました。

 

「なんで笑わないんだろう」

「なんで怒りっぽいんだろう」

「なんで元気ないんだろう」

 

小学生ながらにも、見たことのない父の姿に違和感を覚えていました。

 

その1ヶ月後、父は出張先で行方不明になってしまい、その翌日、学校から帰宅すると、母から父がうつ病になったことを告げられました。

 

 

うつ病闘病生活のはじまり

そこから、父の闘病生活、そして家族の闘いがはじまりました。

 

当時は、入院生活も主治医からは提案されたようでした。

 

しかし結局、最初の数ヶ月だけは、徒歩10分の距離にある祖父母宅(実家)で、療養生活を送ることになりました。

 

毎日、わたしは父に会いに行きました。

 

わたしは正直、「うつ病ってなに?」という状態でしたが、「がんばって」と言わないように気をつけていた記憶があります。

 

 

大好きな父がどんどん変わっていく

少し良くなったかなという時期もありましたが、それは躁状態でした。

 

昔のアルバムを開きながら、思い出話を一気に話し出したり、大音量で音楽を聴いたり…。

 

明らかに変化する父の姿が、当時はとても怖く感じていました。母も、どう接したらいいかわからず、悩んでいました。

 

この期間で、わたしが一番ショックだったのは、躁状態の父が、ささいなケンカから母へ離婚を切り出したことです。

 

大好きな父がどんどん変わっていく。

大好きな家族がバラバラになる。

 

わたしはそんな恐怖で、ひとりこっそり泣いてしまいました。

 

幸いにも、父が冷静を取り戻したことで、すぐに離婚の話はなくなったのですが、病気によって、平和な家族がさまざまな危機にさらされることになりました。

 

 

うつ病の闘病生活で大事なこと

そんな紆余曲折ありながらも、約1年の闘病生活を経て、父は職場復帰することになりました。

 

発症当初の父の病状で、1年で復帰したのは、いま考えると割と早い回復だったように思います。

 

それは、祖父母宅での療養など、周りの人たちに支えられたことが、家族を大事にする父にとって、なによりもエネルギーになったのかなと感じます。

 

そのときのその人に合った療養生活というのが、きっとあるのだろうと思います。

 

また、母も、「あのとき、自分一人だけだったら絶対に共倒れだった」とよく言っています。

 

こうした闘病生活はレアケースかもしれません。

 

しかし、家族だけで孤立しないことは、病気と闘ううえで本人も家族も必要だと思います。

 

闘病中にはいろんな出来事があり、支える人の精神面も不安定になるはずですので、家族が理解し、協力し合うことが乗り切る上で大事なんだろうなと感じています。

 

ペンネーム:クローバーさん

 

 

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