もっと早く病院に行きたかった…統合失調症と向き合う日々【あやなさんPart1】
目次
統合失調症とうつ病と向き合う
はじめまして。元ウェブデザイナーの専業主婦、あやな(@ayana_sm_sz)と申します。
統合失調症とうつ病を抱えており、趣味でペットの飼育サイトなどを運営しています。今年で28歳になります。
1番最初に入社した会社(以下、A社)で2年くらい働いていた時に病気になってしまって、会社を辞めて専業主婦になりました。
その後、元気になる度にウェブデザインのアルバイトをやっていたのですが、2,3ヶ月すると「もう無理!」となって辞めるということを繰り返していました。
ウェブデザイナーという職業が合っていないとと思い、接客業を始めてみたんですが、1日で辞めてしまいました(笑)
接客業のアルバイトでは、色々と覚えなきゃいけないことがいっぱいあってパニックになってしまったんです。
「私にはとてもじゃないけど無理だ」という弱音をツイッターでつぶやいたら、「無理しないほうが良いですよ」ってみんなに言われて辞めてしまいました。
尊敬する父、病気がちな母
幼少期から父親がすごく大好きだったんです。よく遊んでくれたからですかね。
私、一人っ子なんですけど、友達と遊んだりする前は、ずっとお父さんと遊んでもらっていました。
習い事も強制せず、勉強も無理にする必要はないといったスタンスでした。
特に働くことに対して、中学校の頃から尊敬の念が強かったんですよ。
父親はプログラマーだったこともあり、ゲームキャラクターのデザイナーになりたいと思って、絵を描く勉強をしていました。
母親については「そういえば、いつも薬飲んでるな」とは思っていました。
でも、母が病気だとは思ってなかったんですね。
薬を飲んでいるのが当たり前になっていたので、最初のうちは「うちのお母さんは薬を飲む生き物なんだ」くらいに思っていました。
それでも高校生の時に、
「お母さん、やっぱ病気なんじゃないの?」
「薬飲んでるってことは病気でしょ?」
ってストレートに聞いてみたんです。
そしたら、「お母さんは精神病だ」って聞かされたんです。自律神経失調症だって。
お母さんに病気のことを話してもらってから、精神病に興味を持つようになって、色々調べるようにもなりました。
「子育てに失敗した」
それから、これも高校生の時なのですが、尊敬してる父親から突然「子育てに失敗した」って言われてしまって。
尊敬する大好きなお父さんにとって、私は失敗作なんだって。すごくショックでした。
後々聞いてみたら、仕事のストレスから、愚痴を怒鳴りながら掃除機かけることが多かった父親は、娘である私に
「楽しく掃除するやり方を教えてなかった」
「家事を手伝わせることを教えてなかった」
ということを言いたかったらしいのですが、それでも私にとってはすごくショックで。
母の病気は私のせい?
しかも、お母さんが病気になった理由について、父親から「私を産んでから病気になった」「子育てが辛くなったから」と聞かされたんです。
「私が生まれたせいで、お母さんは一生、薬を飲むことになっちゃったんじゃん」
と自分を責めるようになり、その頃からちょっと心が辛くなってきました。
私は自分のことを罪人って思ってました。1人の人間の人生を狂わせた、生きててはいけない存在だって。
でも、そのことをお父さんは気付いてなかったです。
亡き祖母に監視されてる感覚
そして、働き始めてから1年目の冬。
亡くなったおばあちゃんに、ずっと監視されているような日々が始まりました。
例えば、繁忙期に先輩が風邪をひいた時です。
「この忙しい時に、先輩は何やってんだ」と思ったら、次の週に、私はもっとひどい風邪をひいて休んでしまったり。
これは、悪い心が働いた私をおばあちゃんが監視して叱って、因果応報みたいにしているんだみたいな感覚になっていたんです。
またある時は、先輩のパソコンが壊れてしまったことがありました。
「この忙しい時にパソコン壊すなんて、先輩は何やってるんだ」と思ったら、私のパソコンがインターネットに繋がらなくなって、仕事にならなくなってしまったんです。
その時も、「またおばあちゃんに怒られた」「やばい、監視されてる」って。
精神科に行きたかったのに
さすがに、亡くなったはずのおばあちゃんに監視されてるっておかしいと思い始めて、お父さんに「精神科に行きたい」と言いました。
しかし父からは、「精神科に行ったら、薬漬けにされるからだめだ」と言われてしまって。
冷静に考えれば、20歳過ぎた人間が父親に「病院に行って良いか?」と聞くのはおかしな話なのかもしれません。
しかし、私の中でお父さんは絶対だったんで、お父さんがだめって言うなら精神科は諦めよう、苦しいけどちょっと我慢してみようと思ってしまったんです。
ただ、病気を疑うほど、割と自分の中では深刻度は高かったんです。
「次ミスしたら飛び降りろよ」
私はほぼ知識ゼロの状態で、ウェブデザインの会社に入ったんです。
若さもあったと思いますが、先輩たちのプログラムやデザインを見て、足元にも及ばないと思っていました。
最初の3ヶ月は本当にミスばかりしていて、自分が情けなかったんです。
それでいて、ミスをしても先輩や上司は怒らなくて。
ミスに対しては、私に非があるんだから怒って欲しかったんですが、「大丈夫だよ」とか「ここはこうやって直そうね」と言われることに逆に罪悪感がありました。
そして、周囲から怒ってもらえないことで、自分が怒るようになってしまったんです。
「こんなミスをして、お前、給料泥棒だな」
「お前、許されると思ってるのか」
「先輩はああ言ってたけど、死んだほうが良いぞ」
という声みたいなのが、常に頭の中で聞こえてくるようになっちゃって。
会社がビルの7階だったんですけど、トイレ行った帰りにふと窓を見たら、
「お前、ここから飛び降りなきゃだめだぞ」
「次ミスしたらここから飛び降りろよ」
といった声が聞こえるんです。
私の中でアヤナ様って呼んでいたんですけど、絶対的な自分、なんでもできる完璧な自分が自分の中に存在して。
そのアヤナ様が私に指示を出してきたり叱咤してくるので、「これはやばい」と。
アヤナ様からの声を止めたくても止められなくなって、仕事がどんどん怖くなっていきました。
病院でポロッと出た本音
その頃、彼氏と毎晩メールしていたのですが、その彼氏が海外旅行に行くということになり、連絡が取れない状態になってしまったんです。
苦しい時、いつも連絡していた彼との連絡が取れない…。しかも1週間も。そう思ったら、どうしようもなくなってしまって。
それで上司に、「ちょっと今、こういう状態なので心の平穏を保つことができません。仕事になりそうにないです」と、ボロボロ泣きながら伝えました。
上司からは、「早退して明日は休んで、病院探したほうが良いよ」みたいに言われて。
仕事中でしたが、すぐに父親に「精神科に行っても良いですか?とても辛いです」ってメールをしました。
仕事中にメールが送られてきたことに「何事か?」と思ったんでしょうね。
すぐに「良いよ。行って良いよ」という返信が父親から来ました。
会社からなんとか帰ってからは、「辛い、辛い」という感じでずっと泣いていました。父親も母親もすごくびっくりしていましたね。
次の日、母の通っている病院に行くまで、電車の中や病院の待合室でずっと泣いていました。
苦しくて、苦しくて。涙が止まらなかったんです。
受診した時に、先生にポロっと、「私、いつまで良い子でいなきゃいけないんでしょうね」っていう言葉が出てきて。
それが私の本心か、とその時感じました。
もっと早く病院に行きたかった
ようやく精神科に行けたのが、2011年11月でした。監視されていると感じるようになってから、1年は経っていましたね。
病院に行くまでの間、アヤナ様からの声は頭の中で聞こえていました。
途中からは、私に対する先輩たちからの悪口が、私の頭の上に雲のように集まって、雨を降らしてくるように私の頭の中に聞こえてくることもあって。
その他にも結構奇怪な行動をし始めていました。
例えば、体の調子が悪くなった時に、父親から「もしかしたら、こういう病気かもしれないよ」って言われて、「怖い、怖いよー!」って絶叫しながら泣いたり、パニックになってしまったり。
私がウサギが飼いたいとなった時も、早くペットショップに行ってお迎えしないと誰かに飼われちゃうと思って、「うわーっ」って泣きながら床を転がったり。
本当に精神がもろくなっていて、ちょっとしたことで泣き出すっていうのがありました。苦しかった思い出しかないですね。
「病院行きなよ」ってもっと早く言ってほしかったです。
何かストレスがかかると、例えば、立った状態だろうと食事中だろうと、固まってしまっていたんです。
無表情で、何も動かなくなって、足の色もどんどん白くなっちゃって。それって明らかに異常じゃないですか。
お母さんが「どうしたの?」とか言ってくれたりはしますが、10分ぐらい固まり続けた後に、やっと動き出して、「なんでもない」みたいな感じになったりして。
それだけおかしい行動をとってるんだから、やっぱり早く病院に連れて行ってほしかったですね。
「なんで、そんなに放置したの?」という、恨みみたいなものも正直あります。
もし病院に行ってなかったら…
お医者さんとの会話の中で、病名は教えてくれませんでした。
先生は「うーん、うつ病かな」「抑うつ状態だね」みたいな感じで、本当の病名は教えてくれなかったです。
でも、なんとなく自分の中でうつ病という病名があんまりしっくり来ていなかったです。
昨年になって「あなたの症状は統合失調症です」って言われた時は、「やっぱり」「分かってました」という感じでした。
でも、「統合失調症だけじゃ説明できない症状もあって、だからうつ病もある」というのが医師から伝えられた内容でした。
ただ、やっぱり病院に行ってすごい良かったです。病院に行かなかったら死んでたと思います。
それでも最初の頃は、薬の副作用に苦しんだ時期が結構ありました。
副作用で、めまいがあったり、気持ち悪くなってしまったり。当時は、薬を飲んだら寝るという生活をしていました。
「給料泥棒」という内なる声
当時、1ヶ月の休職を1回しただけでしたが、復帰した頃は薬を飲むと眠くなってしまって、午前中はまともに仕事できない状態でした。
上司に、「すみません、薬の副作用で眠くなっちゃうんです」と言っても、「良いんじゃない。眠くなるぐらい」みたいな感じでした。
それでも私の中で許せなくて、
「そんな奴は会社にいらない」
「給料泥棒」
「午前中寝てるなんて、何考えてるんだ」
といった声は自分の頭の中で聞こえていました。
その後、少しの期間お休みをさせてもらいました。でも休職するということは、会社の席を空けておくことじゃないですか。
小さな会社だったので、いつ治るか分からない私の病気のために、席を空けておくなんてもったいないと。
それから、私の後輩も成長してきていたので、私が職場復帰するのをお待たせするのも申し訳なくて、ついに辞めることにしました。
退職後、彼氏と同棲スタート
仕事を辞めてから、彼氏と結婚を前提に同棲を始めました。
平日は仕事で彼は外出するのですが、今度は一人で家にいられなくなってしまって。それで毎日実家に通っていたんです。
同棲したのは結婚式の準備をするためでもありましたが、それがストレスにもなって辛い時期もありました。
病院には、2週間に1回程度通っていました。
初めて行った時は、「私なんかのために…」という感じでした。
他の人は長い待ち時間の中、待っているのに、先生に私の相談なんかしてたらだめだ、って。
なので、「大丈夫です。今週も同じ薬出してください」みたい感じで、逃げるようにして病院を後にしていました。
そんな中、彼氏に「ちゃんと先生に症状、話してる?」「言わなきゃだめでしょ」と言われてしまいました。
「1回、ちょっとメモしてみな」って言われて、スマホにメモをしてみたんですよ。
「こういう症状があります」って彼氏に見せて、「うんうん。これ以外にない?」「あっ、あります」「じゃあ付け足して」みたいなやり取りを繰り返してメモを付けてみました。
そのメモをもって、先生に会った時に、「こういう症状があります」とスマホを見せました。手紙を見せる感覚にも近いかもしれません。
元気な時は、診察の前日あたりに言うことを書いておいて、明日はこれを相談するぞという感じで臨めるようになりました。
「死ななくて良いよ」の一言
診察の時間自体は短かったです。5分もあるのかなという感じでした。
でも相談したい時は、最初に「今日は相談したいことが3つあります、先生お願いします」とか言って、最初に時間を確保するようにしていました。
書いてきたメモを見て、お医者さんも「こういう症状が出てるんだね」という感じで、より深い会話ができるようにはなったと思います。
ある時、主治医の先生が「死ななくて良いよ」って言ってくれたんですよ。その一言から先生のことを絶対的に信頼するようになりました。
「私は死ななきゃいけないんです」って泣きながら言った時に、「そんなことないよ。なんで死ななきゃいけないの?」みたいに言ってくれて。
この先生は私が生きてることを許してくれるって思ったら、先生の言うこと聞いていたら、いつかは良くなるという気持ちを持てるようになっていました。
あやなさん全インタビュー
【Part1】もっと早く病院に行きたかった…統合失調症と向き合う日々
【Part2】今の自分を受け入れられるようになったカウンセラーの一言
インタビューを受けてくださる方、募集中です
臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。
また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。
これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。
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- 本記事は2018年4月21日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。