「死んでしまえ」「生きていたい」…二人の自分に板挟みです
返信ありがとうございます。こんな乱文に丁寧に対応してくださり、恐れ多い気持ちでいっぱいです。
自分の存在価値への疑問、生きていることへの罪悪感は、つい最近までは私自身の体と一心同体でした。
しかし、よくよく自分を分析してみると自分の中には、「お前は存在価値がない」「死んでしまえ」と語りかける自分と、それに弱々しく対抗する2人の自分がいることが分かりました。
私は今、死んでしまえといつも言っている自分のことを最近「声」と呼んでいます。
なぜかと言うと、その声は普段の自分では考えられないような乱暴な口調で私の脳内に語りかけてくるからです。
その声は何か注意されたり(すごく些細なことですが)、引き金があると「それ見ろ、やっぱりお前は生きている価値がない、罪を償え」と私を脅してきます。
それに負けて衝動的に自傷行為、自殺未遂をするのですが、もう一方の自分が何とか反発して(本当には死にたくない、誰か助けてほしいという気持ちから)意図的に人が発見しやすい場所や状況でそれを行なったり、その気持ちを誰かに伝えたり、あと一歩の所で踏みとどまったりします。
その自分のおかげで今生きている部分もあるのですが、やはり本当に死ぬ人というのは、人にはそれを打ち明けないものです。
そして相当の覚悟が要ります。
さらに、その自傷行為や自殺未遂を人が目撃するやり方でやると言うことは、周りに相応の迷惑がかかります。
そうすると、その自分は私の「甘え」という事になります。
その考えもやはり声に唆されて出てきた物なのですが、いつか声にもう一方の生きようとする自分が抹消されてしまうのではないかと恐れを感じています。
実際、何か引き金があって自暴自棄になると生きたいと思う自分も無力化してしまいます。
しかしまた、その恐れを感じる自分にも罪悪感を感じ…といった風にぐるぐると自分の中でループが始まり、「死んでしまえ」という声と「生きていたい」という自分に板挟みになってもうどうすれば良いのか、何が正解なのかわからない状態です。
今も声が「そんなに生きることに執着しやがってお前は卑しい人間だ、今すぐあの窓から飛び降りてしまえ」と言ってきます。
必死に抵抗していますが、負けてしまいそうです。
誰かに助けを求めようにも、まさに言われておられた通り孤島に取り残されている様な感覚になり、周りの人が果てしなく遠く感じます。
自分の視界もどんどん狭くなっていきます。
今は精神科の病院の中におり物理的には安全ですが、家にいる時は母親はパートに出かけており、父親は双極性障害を患って寝ているだけなので、私のこの衝動を止める人は誰もいません。
健常者ならなんて自由な状況だと思うでしょうが、私にはその自由がとてもプレッシャーなのです。
生きる自由とともに死ぬ自由もあるのですから。
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再度、ご質問いただき、ありがとうございます。
まず、ご相談者さんの文面を読ませていただき、自分の内面をよく分析できていると思います。
これだけ説明できれば、立派なものです。
ご相談者さんが書かれていた内容ですが、私たち心の専門家からすると、とても分かりやすく心の構造を説明できていたかと思います。
決しておかしなことを書かれているわけでもなく、変なことを言っているわけでもないと思いますよ。
心の構造…
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