「頑張れ」ではなく「頑張っているね」と肯定してほしい【Aさん第2回】

2017.06.16公開 2018.08.20更新

ご覧いただきありがとうございます。今回は、自覚症状が出る以前の自分についてお話しいたします。

 

 

これからお話しすることは私の現在の主観であり、当時の状況や事実を客観的に述べる術がないということをまずはお伝えします。

 

 

当時の自覚症状

私が、「このままではやばい」と漠然と思ったのは約5年前のことです。

 

私の自覚症状に「妄想」「記憶喪失」「解離性遁走(フーガ)」などがあり、自分の記憶していることが、事実かどうかすら分からないという状態がとても恐怖でした。

 

自分の記憶や発言、友人知人にかけてもらった言葉が、時間を経て次第に曖昧になるのはよくあることですが、それがまずとても怖くなりました。

 

これらは元からの性格に加えて、アルバイトや就職活動・新社会人生活など、働くことにも関係していきます。

 

 

生真面目で頑張り屋な性格

私は「生真面目」で「頑張り屋」、「人に喜ばれる・頼られるのが好き」です。

 

個人的興味から精神医学に関するエッセイや新書は以前から読んでいて、そういった性格は気持ちが追いつめられやすいということは何となく理解しているつもりでした。

 

中学高校では部活動に熱中し、全国大会に何度も出場しました。

 

「努力は必ず報われるとは限らない。でも、報われた人は必ず努力している」ということを学びました。

 

また、団体競技なので、部員の士気を一緒に高めて、有効な練習・効率的な時間の使い方をしようと日々頑張りました。

 

一方、自分については「一人では何にも成しえない」と次第に消極的になってきたように感じます。諸先輩方という大変尊敬する方々が身近に多かったからです。

 

先輩や同期に比べて、経験が少ない二軍選手のような劣等感はよく感じていました。

 

 

自分の「好き」を見つめ直す

大学に入学して、そんな自分自身をもっと高めようと、好きなことを見つめ返すことから始めました。

 

沢山の友人たちに出会い、毎日喧々諤々、授業に真面目に臨んでいました。日々の課題をこなし、ディスカッションもしたし、留学もしました。

 

恋にも遊びにも全力投球でした。

 

今振り返っても、駅のホームでひとり泣いたりして、感情の起伏は激しかったかもしれません。でも、そんな自分も当たり前のように感じていました。

 

全力で、常に120%フルスロットルで生きていたことに、全く後悔していません。

 

むしろ、そんな私自身だったからこそ、沢山の経験ができ、沢山の友人ができたこと、社会人になっても連絡を取る仲間が沢山いること、それらは心から誇りに思っています。

 

 

頑張っているねと肯定してほしい

未だに、自分自身は生真面目で頑張り屋で、人に喜ばれることが大好きです。

 

そんな自分自身を、否定しません。

 

むしろそんな自分が大好きだと、自分自身をまず肯定できるようになりました。

 

ある時、沢山泣いたあとで、友人に「Aはちょっとネガティブな頑張り屋さんくらいだと思っているよ」と言ってもらったことが心に残っています。

 

そのちょっとネガティブな部分を、ちょっとフラットに直しながら、これから生きていきたいと思っています。

 

よく、こころの弱った人になんと声をかければいいのか迷いますが、「頑張れ」と自他ともに鼓舞するのではなく、「(今現在)頑張っているね」と肯定してほしいと思います。

ペンネーム:Aさん

 

 

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  • 本記事は2017年6月16日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。