【第25話:ゆっくり休んで】〜お父さんうつ日記〜
母が父と衝突したあの日(第19話イタみ)の2日後、母は体調を崩しました。「だるくて仕方ない」と言って、仕事も休んでた気がします。
この時なんとなくですが、母に寄り添っていなければいけないような感じがしました。
そして、母のそれまでの努力を認めないといけないと思いました。
「お母さんが一番頑張ってるよ」という言葉は、なんとなく、その時母に必要な言葉かもしれないと思って発したものです。
それがベストだったかは全然分からないんですが。
この時、母が抱えていたものはとても大きかったんだろうと思います。母が頭を抱えざるを得ない事情は沢山あったから。
病気の夫を心配する気持ち
夫の服薬状況の不信についての不安
夫の休職期間中の収入の減少
家事負担の増加
などなど、大きなものだけ数えていってもざっと10個くらいはあるような気がします。
そんな中、夫は相変わらずだし、兄は無関心だし、娘は夫の肩を持つし…となれば、母にとってストレスフルな状況であったことは間違いありません。(お母さん、本当にごめんなさい。)
それでも母は全く弱音を吐きませんでした。
「人間は、口で伝えられないことは身体で伝えようとする」と聞いたことがあります。
母が体調を崩したのは、「もう厳しい」というサインだったのかもしれません。
そうなるまで、全部を母一人だけに抱え込ませてしまったことは、本当に申し訳ないなと思います。
今振り返って考えると、素直に反省する気持ちが湧くけれど、当時の私は自分のことばっかりで、全然母の気持ちを慮るようなことをしていませんでした。
ひとえに自分の未熟さが原因なんだと思いますが、「家族同士支え合う」という行動を取るのは、当時の私たちには難しいことだったんでしょうね。
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【執筆】
シブ子
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- 本記事は2017年6月19日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。