「生きてることが100点」父の虐待、ゲイ、うつの苦しさから解き放たれて

2017.08.21公開 2020.06.13更新

LGBT(ゲイ)の当事者であり、OUT IN JAPAN(※)にも参加された森田和弥さん。

 

(※)「OUT IN JAPAN」とは、日本のLGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティにスポットライトを当て、市井の人々を含む多彩なポートレートを様々なフォトグラファーが撮影し、5年間で10,000人のギャラリーを目指すプロジェクト(OUT IN JAPAN ホームページより)

 

セクシャルマイノリティとしての自覚、カミングアウトのきっかけ、そしてLGBTをきっかけに今感じている社会への思いについてお話しいただきました。

 

幼い頃の違和感と異変

初めまして、森田和弥と言います。埼玉県で生まれて、母と父と1個上の兄がいます。

 

自分がゲイであることは幼稚園くらいに自覚し始めていました。

 

男の子の水泳姿にすごく反応してしまって、「これ、やばいやばい」「恥ずかしい」「でも見ちゃう」みたいな。

 

自分は男の子なので、身体の反応も出てしまって、「これってなんだろう?」「きっとやばいやつだ」と本能的に思ったんです。

 

子どもながらにエッチなことだと分かって、「これは多分、言っちゃいけないものだ」とも感じていました。

 

学校ではトイレも行けませんでした。

 

僕にとっては、小便器で用を足すことがあり得ないことで。自分の中ではセクハラなんです。

 

でも、個室を使うと今度は「うんち野郎」とかあだ名が付いたりするのが嫌だから入れない。

 

トイレは全部個室であってほしかったです。

 

そういう自覚があって、自分としては、毎日お化粧してることや、時々可愛い服を着たかったことについて、親に聞いて欲しかったんですが、なかなか気付いてもらえませんでした。

 

そして、小学校の5~6年生の時、水道の蛇口が閉まっているのに何回も閉めに行ったり、家の鍵をかけたはずなのに「かかってないかもしれない」って何度も確認したり、ガスの元栓を気にすることが増えていました。

 

真っ暗なトンネルにいて何かから逃げている夢をよく見ることがありました。

 

最後に捕まるか、「わっ」て殺されるぐらいのところで起きて、気が付くと号泣していました。

 

そういった、発達障害やアスペルガーの特性で、何か気になるとずっと気にしてしまうことがありました。

 

父の虐待。耐える母と兄

家庭環境にも問題があって、父親が母親や兄に対して暴力を振るったりして虐待をしていました。

 

兄はすごく純粋で格好良いんですけど、中身はジャイアンみたいな人でいたずらばっかりするから、父の体罰がすごくて。母親も父に色々やられていました。

 

「このままお父さんといたら、お母さんが死んじゃう」と思っていたので、「離婚して欲しい」ってずっとお願いしていたくらいです。

 

それでも、お母さんはいつも笑って、苦労を見せませんでした。子どものために我慢して離婚しなかったのかもしれないですね。

 

自分が大人になってから、父親は病気で亡くなったんですけど、気性の激しい人だったので、病気で半身不随になっても凶暴でした。

 

ただ、そんなに先が長くない時に、父のいる実家に行ったら父親が号泣したんです。あんなに怖かった人が。

 

最期の言葉が、泣きながら「ありがとう」でした。

 

震える手で握手求めてきて、赤ちゃんみたいに泣いて。その時、いろんなこと父はをやっと克服したのかなと感じましたね。

 

ゲイを家族にカミングアウト

自分のことをゲイときちんとカミングアウトしたのは昨年(2016年)です。

 

ただ、小さい時に女の子みたいな感じだったので、「実はゲイなんだ」と打ち明けると、母親も1個上の兄も「話さなくても分かってたよ」と言っていました。

 

これは奥さんから最近聞いたのですが、カミングアウトのあと、母親と兄は「いつか僕がどこかの海外に行って女の子になって帰ってくる」と思っていたみたいです。

 

ゲイをカミングアウトしたのは、うつ状態にまでになって「なんでこんなに生きづらいんだろう」と感じていたタイミングでした。

 

病院やカウンセリングに行き、自分の癖みたいなものに向き合う中で、「他の人に言ってない、すごい秘密を持ってるよね、俺」と感じることが増えました。

 

「ゲイを隠してることが、うつの原因の半分くらいだったらどうしよう…」ってずっと思っていたんですけど、なかなか言う勇気なんてないんですよ。

 

066

 

でも結局、うつってすごく辛い。

 

寝ていても、半分起きている感じで。朝に寝て起きても、疲れが全く取れない。

 

死のうと思って、会社の車でアクセルをガーって踏みしめそうになったことが何回もありました。

 

人に会ったりもすることもできなくなってきましたね。

 

自分の中にある、隠しているものや怖いものに対して、ちゃんと向き合わないと解決しない結論に達した時に、とりあえず「実は男の人が好き」と言ってみようって思ったんです。

 

今こうして笑って話せてますけど、当時の自分からすると、神様にカミングアウトするように言われても、「ゲイじゃないって言おう」って思っていたぐらいでした。

 

「カミングアウトしたところで、堂々と生きていけない」と思っていましたし、想像がつかないことだったんですよね。

 

カミングアウトした直後は、人の反応が分からず、恐怖感がすごく出てきて、本当に「死のう」と思っていました。

 

逆に、感情がなくなって、真っ黒のトンネルみたいなものが見える感じでした。感動もないし、悲しみとかの感情も凍る感じで。

 

「死ぬ時って人はこういうふうになるんだろうな」って。

 

自殺する人って魔が差して、自分でも衝動的になって死んでしまうと聞いたことがありましたが、何となくその状況に近いように感じていました。

 

だけど、自分のお葬式を想像したときに、遺影として残せる写真がないと気付いたんです。「写真の1枚も残せなくて生きた人生って、絶対に呪縛霊になる」と思いました。

 

生きてるけど、いつも死にたいと思っていることって、「自殺しなくても死んでいるようなものじゃん」と思うようになって。

 

それから、「今の状況を受け入れて、自分が良い方向に変われるものなら飛びつく」って決められたんですよね。

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2017年8月21日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。