不登校の小学生の心理って?元不登校生が伝える3つの心理【一ノ瀬健太さん】
「不登校」という言葉を耳にして、身近な話題だと感じる方は少ないと思います。
確かに、文部科学省が発表した、平成28年度の不登校児童数(小学生)は1千人当たり4.8人、つまり0.5%にも満たない数です。
中学生になると、その比率は約2倍の1千人当たり10.1人になりますが、それでも全体の1%程度です。
不登校のことがよくわからないのも無理もありません。
しかし、不登校経験者の私としては、身近に感じられない問題だからこそ、多くの方に不登校の実情を知っていただくことで偏見を取り払いたいと考えています。
今回のコラムでは、私が不登校になった経緯とその心理についてお話しします。
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私が不登校になったきっかけ
私は小学校2年生の2月、ひょんなことから不登校になりました。
ある日のホームルールで、担任の先生から「明日の図工の時間に毛糸を使うから、必ず持ってくるように。」と言われました。
帰宅後、明日の朝までに、毛糸を準備しておいてほしいと母に頼みました。
そして明朝、母に毛糸を出してほしいと伝えると、「ごめん!準備するの忘れてた。友達に借りて。」とのこと。
とても些細なことですが、当時の私はそれが許せず、その日学校に行きませんでした。
以前から学校には行きたくないと思っていたため、この「毛糸事件」に乗じて、次の日も、また次の日も学校に行かず。
結局、そのまま5年間、学校に行けない日々が続きました。
不登校当時、感じていた3つのこと
そもそも、幼稚園児の頃から登園するのが苦痛で、毎朝起きると暗澹たる気持ちになっていたことを思い出します。
当時は「お母さんと離れたくない!」というだけの理由だと思っていましたが、大人になってから当時の思いを整理して、言語化してみると、以下のような思いが入り交ざっていました。
過剰な自意識
小学生の頃、あなたは毎朝どんな気持ちで学校に通っていたでしょうか。
「昼休みはドッヂボールをしよう!」
「今日の給食はなんだろう。」
などのポジティブな思いや、
「算数の授業が嫌だなぁ。」
「宿題できてないから先生に怒られるなぁ。」
といったネガティブな思いが交錯していたのではないでしょうか。
私もそんな思いを持っていたとは思いますが、最大の関心事は全く別のところにありました。
それは、“自分の姿がみんなからどう見えるのか”ということでした。
極端に言えば、
「学校に行くまでに誰に会って、その友達に会ったらどんな言葉をかけようか…」
「おはようと言えば相手はこう返してくるから、次はこういう話をすれば…」
というような予想で頭がいっぱいでした。
また、自分の言動が相手に対してどのような印象を与えるか、ということが異常に気になっていました。
そのため、常に人の顔色を窺い、相手の表情が変わると強い不安に襲われていました。
その不安と、失言に対する後悔をずるずると引き摺る毎日でした。
そういった毎日を過ごす中で、徐々に疲弊していき、毛糸事件を契機に不登校になりました。
自分からのプレッシャー
前項の過剰な自意識ともリンクしますが、“こういう自分でないと、周囲に認められない”という思いがありました。
私は元来、all or nothingな性格で、何事も完璧にこなさないと気が済まず、何かうまくできないことがあれば、自分のことを受容できなくなっていました。
親や周囲からのプレッシャーはほとんど無かったように思いますが、自分からのプレッシャーが常に付きまとって離れませんでした。
小学校2年生になると、九九の授業が始まりますが、私はどうしても7の段が覚えられず、苦しい思いをしました。
そんなある日、生徒が一人ずつ立って、九九を発表する機会がありました。
しかし、その時点でもまだ7の段は覚えきれていない…徐々に私の番が近づき、冷や汗が止まりません。
その時、プレッシャーに負けた私は、人生において、最初で最後のカンニングをしました。
机に7の段を書き、それを読み上げたのです。
何ごとも無かったように発表を終えた私ですが、内心、
「こんなこともできないなんて…それだけじゃなく、カンニングまでするなんて、自分は最悪だ。」
という思いがこみ上げてきました。
もちろん、誰にでも自分からのプレッシャーはあります。
しかし、私は幼い頃から、文字通り、胃がキリキリするようなプレッシャーがありました。それも不登校になった一つの要因です。
失敗に対する恐れ
自分へのプレッシャーは、失敗に対する恐れから来ています。
つまり、「かっこ悪いところを見せたくない」という思いから、自分に過度のプレッシャーを与え、そのプレッシャーが、過剰な自意識に繋がっていたように思います。
この恐れが何に起因しているかはわかりません。
しかし、私が3姉弟の真ん中に生まれ、3つ上の姉と、3つ下の弟がいることが関係しているように思います。
姉には逆らえない中で、弟につらく当たれば、親に怒られる…
そんなジレンマの中で育ち、“怒られないように”生きることが当たり前になっていたのかもしれません。
もちろん、両親のことを責めるつもりは毛頭ありません。
ただ、そういう環境に生まれただけの話です。
さいごに
今回コラムとしてまとめるために、不登校になった心理を3つに分けてみました。
少し乱暴に言い切ってしまえば、私は学校に行くこと自体、向いていなかったのだと思います。
両親の責任でもなく、私の過失でもない。
ただ、今回挙げたような思いを抱いているお子さんは少なくないはずです。
不登校であっても、そうでなくても、子どもと接する上で重要なのは、
“どんな状態でも、存在そのものを受け入れる”
ということです。
月並みな言葉になりますが、人間は何かができるから価値があるのではなく、存在そのものに価値があるという視点に立ってほしい。
そうすれば、不登校に限らず、どんな問題に直面しても、必ず立ち上がれると信じています。
事実、私の両親は私が不登校になっても、常に味方でいてくれました。
「お父さんとお母さんは僕のことを絶対に見捨てない。」という安心感があったからこそ、今の自分があります。
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- 本記事は2018年2月25日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。