本気でプロミュージシャンを目指した…心理学の道を歩み始めるまで【杉山崇さん 1/3】
今回は、Remeの「こころ百科」などを監修し、著書『ウルトラ不倫学』も大好評発売中の、臨床心理士で神奈川大学の杉山崇教授へのインタビューです。
3回シリーズで、プロミュージシャンを目指した学生時代、「心の時代がくる」と思ったきっかけ、『ウルトラ不倫学』について伺いました。
第1章では、杉山先生の幼少時代から心理学を志すまでのお話です。
目次
研究者としての活動
現在、取り組んでいることは研究者として、「シアター・アンド・スポットライトセオリー」という新しい理論の研究をしています。
「シアター・アンド・スポットライトセオリー」というのは、「僕たちの頭の中には大きなシアター、つまり劇場がある」という風に仮定する理論のことです。
この劇場では、僕たちが気が付かないだけで、いろんなものが同時上映されています。このあたりのことは脳の研究で明らかになったことなんですが、僕たちが気が付かないところで、脳はさまざまな情報処理を同時にやってるんですね。
シアターの中には注意のスポットライトみたいなものがありまして、この注意のスポットライトが当たったところだけが、私たちが意識できるところなんです。
頭の中にあるシアター
そして、シアターの中にある注意のスポットライトを操っているものが、「目的意識」と「感情」です。本当はもっと細かく分けられるんですが、大きく分けるとこの2つ。
この2つがスポットライトを奪い合っていて、スポットライトが特定の何かに固定されると、私たちは苦しくなってくるんです。例えば、目的意識に固定されると「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」というような、ずっと緊張感が高い状態。
一方で、感情に固定される、特に「求める感情」と「嫌がる感情」がスポットライトを乗っ取ってしまうと、手に入らないものとか嫌なものにスポットライトが当たってしまいます。
そうすると「あれが足りない」「これが足りない」「あれが嫌だ」「これが嫌だ」という感じになって、心を乱されてしまうんですね。そういう状態にならないように支援するのが、私たち臨床心理士の仕事という風に考えています。
田舎でのんびり過ごした幼少時代
私の田舎は山口県で、ゆったりとのんびり過ごしてました。
小さい頃の記憶で覚えているのが、ある時、目を覚ましたら周りに誰もいなくて、大きな鏡があって、鏡を見たら自分の顔が映って、「これが自分なんだ」って初めて認識したこと。それが一番はっきりとした記憶の一番古いものです。
山口の山奥で祖父母とのんびりと過ごしていて、特になんのストレスも感じていなかったんですが、小2の時に両親が住んでいる下関に引き取られて、それからがちょっと辛かったですね。都会のすごく大きな小学校だったんですよ。1学年13クラスある小学校で。
そこの学校が落ち着きのない雰囲気だったので、だんだんとストレスを感じ始めるようになりました。中学校に入学しても同じような感じでした。
「ヤンキーになるしかない」
中学校にはヤンキーグループが3つあったんですよ。3人番長がいるような感じですね。時々グループ同士で小競り合いをしたり。その中学校で生き残るには「ヤンキーになるしかない」って。
ヤンキーになるか、スーパー優等生になって先生たちに可愛がられるか、そうでなければヤンキーの餌食になるだけなので、ヤンキーにならざるを得なかったっていう過去があります。と言っても、私の場合はヤンキーのフリですが。
そういう環境はあんまり好きじゃなかったんですけど、他の学校に行くわけにもいかないのでその中で生き延びるために仕方なくやっていました。時々自分が標的になっちゃうこともあったので大変でしたね。
私はヤンキーにしては成績がよかったのでつい目をつけられてしまうことが多くて。友人が、「お前シメられるから逃げろ」って教えてくれたんですが、逃げるのも面倒だったし、逃げてもまた追いかけてくると思って、逃げずにやられたこともあります。
自由気ままな高校時代
高校に行ってからは、環境も変わったので楽しかったですね。本当に悪い奴らは高校に行かず働いていましたから。それで縁遠くなりました。
高校は男子校だったので自由気ままで楽しくて。文芸部に入って映画を作ったり、バンドを組んだりして、自由に好きなことをやって満喫していました。
私が進学した高校は、一応進学校だったのですが、そういう自由な校風がゆえに、「4年生高校」なんて揶揄されることもあって。ほとんどが大学進学するときに浪人するので「4年生」(笑)。
私も例にもれず4年生をやって、予備校でもバンドを組んだりして。予備校だけど大学みたいに楽しかった時代でした。
大学入学を機に上京
田舎育ちということもあり、日本一の都市「東京」には何でもあると思い込んでいました。
世界有数のものが集まる東京で、世界に通用する仕事がしたいという野望があったんです。当時は、生活費がカツカツだったので、バイトもしていて。
大学1年の終わりくらいに、ベンチャービジネスをやっている社長さんに可愛がられて、付き人みたいなことをした経験もあります。その社長さんには本当に可愛がってもらって、愚痴を聞いたり話し相手になることも良くありました。
昔から私、初対面の人と会ってもあまり気にしないタイプで、そういうところを面白がってくれたみたいです。ほかにも金融関係のバイトをしたり。当時はバブル時代ですので、金融関係のバイトは羽振りが良くて、月に20万円稼げたこともあったんですよ。
プロミュージシャンを目指す
そうやって大学生活を満喫しながらも、当時は音楽を仕事にしようと思っていたので、ミュージシャンの専門学校に行っているメンバーと本格的にバンドを組んだりもしていました。
本気でプロを目指していたので、ライブをしたりオーディションを受けたりしていたのですが、途中で仕事にすると音楽が嫌になる、というのが分かって。
レコード会社に受かって、結構具体的な話が進んだりもしたのですが、売れる音楽をやらなきゃいけないというのは何だかつまらない気がして。音楽は趣味で楽しもうと決めました。
2番目になりたかったのが学者
じゃあ何を仕事にしようかと考えたときに、その時2番目になりたかったのが学者だったので、そうしよう、と。中学生の頃から、ニュートンという科学雑誌が大好きで毎月届くのを楽しみにしていたんですよ。
でもバンドの練習ができなくなるからと文系に進んだのに今さら理系には進めないし、将来どうしようと大学卒業の直前に部屋に一人こもって考えた時がありました。
そんなときに学生時代にボランティアで出会った知的障害者の方たちを思い出して。彼らって、いつもすごく楽しそうなんですよ。余計なことを考えないせいかな、すごくキラキラと笑うんですよ。自分もそんなふうに楽しくすごしたいな、なんて考えながら。
バブルがはじけて気づく、心の大切さ
大学3年の時にバブルがはじけて日本は大混乱。当時は金融関連のバイトをしていたので、人ってお金が絡むと性格変わるな、というのを毎日ひしひしとかんじていた時期で。
そんなときにバブルがはじけて、世の中が大混乱しているとき、当然バイト先の社員の方はひどい顔をしていました。もう、死んじゃいそうな顔。でも、知的障害の方はそんな時でもニコニコしているんですよ。
そういうのを目の当たりにして、私たちは心の使い方を間違えているんじゃないかって。それで、「金の時代が終わって心の時代が来る」って感じたんです。それで心理学の道に進むことに決めました。
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山口で生まれ育ち、様々な葛藤や人との出会いの中で、大学入学を機に上京された杉山先生。本格的な音楽活動、バブル時代のアルバイト、ボランティアでの知的障害者の方との出会いを経て、心理学の世界にどっぷり浸かることになった大学院での生活や新たな出会いから得たこととは?
続きは、第2章へ
PHOTO by 齋藤郁絵
杉山崇教授の最近の著書
ウルトラ不倫学
記憶心理学と臨床心理学のコラボレーション
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- 本記事は2017年1月3日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。