小学校の先生がゲイをカミングアウトして変わった世界、変わらなかった世界
LGBTという言葉はよく聞かれるようになりましたが、性に関する悩みをなかなか人に打ち明けられずに苦しんでいる人も少なくありません。
今回のインタビューは、ゲイであることをカミングアウトされた鈴木茂義さん。
鈴木さんは、10年以上の公立小学校教諭や大学非常勤講師としてのキャリアや、LGBTと教育について考える「虫めがねの会」を主宰するなど、幅広く活動されています。
インタビューでは、性の悩みに気づき始めた小学生時代にはじまり、カミングアウトに至った背景、カミングアウト後に見えた世界の変化などについてお話しいただきました。
目次
小学生時代に感じた「性」の揺れ
出身は茨城県の片田舎。そこで生まれ育ちました。
小学校1年生ぐらいで「自分が好きになるにはどうやら女の子ではない、なんか周りとだいぶ違うぞ」と。気になるのは、近所のお兄ちゃんたちばかりで。
何となく「ゲイ?」と思う反面、好きな女の子はずっといたりとか。
性に対してちょっと揺れてる時期が、中学・高校ぐらいまで続いていたんです。
でも、そのことを友達にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、苦しかったですね。
その分、勉強のほうで認めてもらおうと頑張っていた、もがいていた子ども時代でした。
割と勉強はできるほうでした。友達関係を構築するのが、あまり得意ではなかったので、クラスの中のヒエラルキーでいうと、下のほう。
そして、周りの友だちと好きな女の子の話になったとき、
「あれ?自分は女の子よりむしろ男の子が好きだな」
と思ったんです。
テレビのヒーローものを見ていても、ピンクレンジャーじゃなくて、赤レンジャーが気になるみたいな。
男らしさとか、男の子の部分にひかれている部分があって、周りと違うことがすごく怖かったです。
語れない、相談できないのがすごく大変でした。
「これは人には話してはいけないことだな」と何となく思いながら子ども時代を過ごしました。
小学校も全学年一クラスしかなくて、人間関係がとても狭く、自分と同じような人がいるかどうか探すこともなかったですね。
運動ができるクラスのリーダー的な存在の人から、「キモい」「オカマ」という言葉を投げかけられたことはありました。
先生からも「男らしくしなさい」とか、「もっと強くなりなさい」ということは言われていたことはありました。
誰に聞いても優しい子だったと、いまだに同級生からは言われる一方で、何となくナヨナヨしていて、男らしさが足りなかったのかもしれないです。
ただ、自分はそんな意識は全くなかったんです。普通の男の子として生活していると思っていたので。
好きな人に好きと言えないつらさ
中学校になると、一気に規模が大きくなり、1学年7クラスになりました。
当然、関わる人の数も増え、さらに思春期で好きな人がどうのこうのという話で、みんな浮き足立ってるわけですよ。
私も好きな女の子はいたけれども、本当に気になるのはやっぱり男の子。
好きな男の子を女の子に置き換えて、友人たちと当たり障りなく過ごしていた。
でも、相談できない苦しさもあるし、好きな男の子は当然できてくるので、好きな人に好きと言えないつらさは、苦しかったですよ。
せっかく仲良くなったのに告白なんてしたら、それこそ軽蔑されるんじゃないかという怖さがありました。
伝えたいけど、伝えられない。伝えられないけど、伝えたい。常にその葛藤がありました。
だから、好きな女の子を作っていけば、自分もそちらにシフトしていくんじゃないかという思いもありましたが、年を取れば取るほど、だんだんそれが難しいなと。
気になる、好きになる人はどう考えても男の子。
性的な芽生えも出てくる時期、自分の体とか意識の反応を見ていると、やっぱり好きになる対象は女の子じゃないなと。
中学校のときは、特に男の子と人間関係を作るのがとても苦手で、特に中3のときが一番大変でしたね。
自分をアピールしながら、友達関係を何とかつなぎとめるために、嘘をついてみたり、人の気を引くような発言をして、友達を困らせたりすることがあったんです。
それが明るみに出たときに、やっぱりいじめられました。クラスの男子全員から無視されたりとか。
本当は僕に手を差し伸べたい友達も、僕に手を差し伸べたら、その友達もいじめの対象になってしまう。
どこで助けようかと、周りの友人たちも迷っているようでした。
そのくせ、勉強はある程度できて、先生たちにもかわいがられるタイプの私は、クラスをまとめたりする役割もあり、いじめっ子にとってはさらに面白くないわけですよね。
「いいかっこしい」みたいな。
自分らしさより我慢を選んだ高校時代
私は4人兄弟の長男で、経済的にあまり恵まれた家ではありませんでした。
そういった事情からも、地元の進学校に行くのは諦めて、レベルを落として私立の学校の特待生で高校に進学したんです。
それが、よりによって男子校だったんですよ。右を見ても、左を見ても、男しかいない。
1学年だけで17クラスもあり、680人ぐらいいました。40人近い男だらけのクラスで過ごしていく生活です。
そのときも好きな女の子はずっといて、文通を続けたりしていたんですね。
だけれども、体とか性的な部分で反応するのは男の子。通っていた高校は、ある意味で天国な部分もありました。
ただ、中学校時代に男の子と友達関係になるのが苦手だったので、高校は失敗しないようにしようと、とにかく気を付けて慎重に過ごしていました。
実際、男の子で好きな子はずっといました。でもやっぱり言えない。
周りの会話を聞いていても、「ホモ、気持ち悪い」みたいな話はしょっちゅう出てくるんです。「男同士、あり得ない」とか。
その話を聞くたびに、言っちゃだめだ、言っちゃだめだって。
自分らしさを失いつつも、周りとある程度、調和して生きていくためには我慢を選ぶしかなかったですね。
頑張って、勉強や生徒会の活動に意識を向けて、何ともならないようにしていました。
家族は、僕の性について何か言うこともなければ、そもそも気付くこともなかったですね。
大学進学にむけて、中学生のときに出会ったある若い理科の先生の影響を受けて「将来なるとしたら教員しかない」と思っていました。
そこで、埼玉にある教員養成系の私立大学に進学。私の専門は特別支援や障がい児教育で、同級生のほとんどは女性でした。
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- 本記事は2017年1月28日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。