多発性硬化症で自暴自棄だった過去。絶望の世界を180度変えてくれた存在

病気とは無縁だった大学生の頃に突如襲ってきた「多発性硬化症」。

 

今回のインタビューは大学生の頃に多発性硬化症の診断を受けた、池田竜太さん。

 

診断を受けた当初は自暴自棄になりながらも、今では難病に対する向き合い方も変わってきたと言います。

 

そこで今回は、多発性硬化症の前兆として感じたこと、治療と仕事の両立の苦労、そして難病との向き合い方の変えてくれた存在などについてお話しいただきました。

 

〈インタビュアー 近藤雄太郎〉

 

多発性硬化症診断前の異変と診断直後

近藤
多発性硬化症について、今思えば前兆と感じるエピソードや症状はありましたか?
池田さん
今27歳なのですが、最初の異変は高校生の頃でした。

 

手を触ってる感覚が弱くて、手のひらや指の感覚がありませんでした。

近藤
手や指の感覚がない…?
池田さん
手にビニールを被せて、物を触ったりする感覚に近いかもしれません。

 

例えば、お札を数えていても何枚か分からなくなったりもします。

 

ただ、ジーンとする手のしびれが続いているわけでもなく、最初はそんなに気にしていませんでした。

近藤
その異変が多発性硬化症だと分かったのは?
池田さん
多発性硬化症だと気付けたのは、大学3年生の時に行った海外旅行がきっかけでした。

 

帰国してすぐ、突然左足が引っかかるようになってしまったんです。

 

ただ、その時の診断は腓骨神経麻痺。最初は手の問題と関係しているとは思わなかったですね。

近藤
引きずって歩くような感じだったんでしょうか?
池田さん
そうですね。帰国後に足が上がらなくなって、びっこ引いて歩いていた状態でした。

 

親父はそんな俺を見て、ある有名な医師の講演会を聞きに新潟まで行き、「俺の息子が明らかにおかしい。頼むから診てください!」と直談判してくれたんです。

近藤
す、すごい…。
池田さん
打ち明けてから、父も母も協力すぎるくらい協力的でした。

 

そのおかげもあって、早期に医師に診てもらうことができて、早くから治療がスタートできました。

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近藤
ご両親は最初から協力すぎるくらい協力的だったのでしょうか?
池田さん
そうですね。笑

 

ただ、医師から「多発性硬化症疑いなので、精密検査をした方がいい」と言われた時は、衝撃が強すぎて父も母もさすがに呆然としていました。

 

母は号泣していましたし、父もかなり落ち込んだ様子でした。

近藤
それでもなんとか前を向いて治療に臨んでいこうと。
池田さん
はい。この病気になってから、さらに家族との繋がりは強くなったと感じています。

 

「なんとかなるはずだから大丈夫」

「私たちいるから平気だよ」

 

と、事あるごとに声をかけてくれ、ほんとに助けられてばかりです。

近藤
多発性硬化症という診断を受けて、ご自身はどのようにお感じになったのでしょうか?
池田さん
率直な思いとして、「なんで俺が?」と思いました。

 

いきなり足が上がらなくなって、治療が始まって、これからどうなるんだろうと。

近藤
それまでは健康そのものだったわけですもんね。
池田さん
そうですね。健康な状態からいきなり足が上がらなくなってしまった自分が信じられませんでしたし、絶望でした。

 

何もかもがおかしく見えてました。

近藤
日常生活での変化も大きかったですか?
池田さん
生活もガラッと変わりましたね。

 

自暴自棄にもなりました。もう全部やめてやろうかなと。

 

友人関係の変化と就職活動のこと

近藤
友達付き合いも難しくなったり?
池田さん
そうですね。難病だとしっかり伝えたところで、

 

「何をしていいのか、何をしちゃいけないか、よく分からない」

 

と思われている気がして、それまで通りの関係を続けるのが難しくなったこともありました。

近藤
腫れ物に触れるような?
池田さん
そうですね。

 

でも俺も同じ立場だったら「大変なやつとは遊べないかな」ってなるかもしれなかったので責める気持ちはないんです。

 

ただ、「今までみたいには付き合えないね」と言われてるようで、やっぱり無理か…と落胆したのは事実です。

近藤
両方の立場を理解できる分、苦しいですよね。
池田さん
そんな中、地元の同級生に打ち明けた時は全く違う反応でした。

 

伝え方も、重い話ではなく「こんな病気になっちゃったけど、よかったらまた遊んでね」と。

 

長い付き合いになるし、知ってもらっていたら助かると思って。

近藤
ふむふむ。
池田さん
そしたら、

 

「話してくれてありがとう」

「もしつらかったら言ってね」

「俺にできることがあればするから」

 

と言ってくれて。とても救われた気持ちになりました。

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近藤
素敵なご友人ですね!
池田さん
病気を悪いように捉えられなかったのが嬉しいし、精神的に楽になりました。

 

分かっているからこその気を遣わない感じが気持ちよかったですね。

近藤
必要以上に気を遣われてしまうとストレスにもなりますもんね。

 

当時は大学生とのことで、就職活動はどうしていたのでしょうか?

池田さん
ちょうど就職活動が始まる時だったので、だいぶ苦労しました。

 

病気のことを履歴書に書くと落ちる。履歴書に書かずに逆質問で「実は…」と言うと空気がガラッと変わってしまう。

 

1次面接で病気のことを言うと「ちょっと手に負えない」「うちでは厳しいかもしれない」という反応ばかりでした。

近藤
なにか工夫した点などはありましたか?
池田さん
ネットで「難病 就職」で検索して色々と情報収集しました。

 

そこで「難病患者就職サポーター」という存在を知り、ハローワークに行ってみることに。

 

1ヶ月に1回程度の面談で、履歴書の添削、病気の伝え方について教えてもらえました。

近藤
難病患者就職サポーター、良かったですか?
池田さん
大変助けて頂きました。話をしに行って良かったと感じていますが良かったと思います。

 

特に、受けたい企業に書類を送る前に、こちらの病気のことを含めて企業に連絡してくれたので、すごくスムーズに面接に臨めました。

 

あとは、希望する求人に対しても率直に意見を言ってくれたのも良かったです。

近藤
ご病気の開示の仕方に変化はありましたか?
池田さん
開示するタイミングは色々と試しました。

 

やはり、書類や1次面接だと門前払いされてしまうので、選考が進んでから伝えるようにしました。

 

企業からある程度、評価をいただいている状態なので、門前払いにはならず、「病気だろうとしっかり働いてくれれば」という反応が多かったですね。

近藤
とは言え、難病を抱えている状態での仕事への困難さもありますよね。
池田さん
はい。そこは面接の場でも、

 

「何か良くて何がNGなのか」

「薬の副作用にどんなものがあるのか」

「薬によって体調が悪くなることがある」

「3ヶ月に1度通院が必要なので休ませてほしい」

 

といったことは予めお伝えして、理解してもらうようにしていました。

近藤
ちなみに池田さんは、障害者雇用枠?一般枠?
池田さん
一般枠です。

 

難病であっても、俺の場合は障害者手帳が取得できないので、一般枠での就職をせざるを得ませんでした。

 

難病だけど、障害者手帳取れない。だから一般雇用でしか働く所がないという人は、実はいっぱいいると思っています。

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2020年7月3日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。

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