
LGBTと教育に向き合う小学校の先生【鈴木茂義さん Part1】
今回は、LGBT当事者で小学校の教員をはじめ、多方面で活動されている鈴木茂義さんのインタビューです。全4回シリーズでお届けします。
性の揺らぎを感じて過ごした学生時代。周囲の生徒や先生からの冷たい視線や周囲と違うことへの恐怖にどう立ち向かっていったのでしょうか?
目次
LGBTと教育
はじめまして。鈴木茂義といいます。現在、公立小学校の非常勤職員として働いています。
もともと、大学の専門が小学校の全科を見つつ、障がいを持った子どもたちの教育支援を行うといったものでした。
それまでの14年間は公立の小学校で、フルタイムで教員をしていたんですけれども、色々な新しいことにチャレンジしようと思って退職したんです。
そうしたら教育委員会から、「非常勤でいいから発達障がいの子どもたちの支援をやってくれないか」というお話をもらうことになり、また教員としての仕事が始まったという感じです。
誰にも言えなかった性のこと
出身は茨城県の片田舎。そこで生まれ育ちました。
わりと早い段階、小学校1年生ぐらいで、「自分が好きになるにはどうやら女の子ではない、なんか周りとだいぶ違うぞ」と。気になるのは、近所のお兄ちゃんたちばかりで。
何となく「ゲイ?」と思う反面、好きな女の子はずっといたりとか。ちょっと性に対して揺れてる時期が、中学、高校ぐらいまで続いていたんです。
でも、そのことを誰にも言えず、当然、友達にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、そこがちょっと苦しかったところです。その分、勉強のほうで認めてもらおうと頑張っていた、もがいていた子ども時代でした。
割と勉強はできるほうでした。友達関係を構築するのが、あまり得意ではなかったので、クラスの中のヒエラルキーでいうと、下のほう。活発な男の子の中に入りたいなと思っていたけれども、入れないといった感じです。
放課後に友達と遊ぶのが、やっぱり一番楽しかったです。それが、サッカーだったり、鬼ごっこだったり。そのときだけ仲良くしたい子たちと一緒に遊べたのは、とても楽しかったですね。
周りと違うことがすごく怖かった
周りの子と、好きな女の子の話になったときに、「あれ、自分は女の子よりむしろ男の子が好きだな」と思ったんです。テレビのヒーローものを見ていても、ピンクレンジャーじゃなくて、赤レンジャーが気になるみたいな。
男らしさとか、男の子の部分にひかれている部分があって、周りと違うことがすごく怖かったです。語れない、相談できないのがすごく大変でした。
これは人には話してはいけないことだな、と何となく思いながら子ども時代を過ごしました。小学校も全学年一クラスしかなくて、人間関係のとても狭いところだったので、自分と同じような人がいるかどうか探すこともなかったですね。
「男らしくしなさい」
それでもやっぱり、ナヨナヨしている部分があったようなので、「キモい」とか「オカマ」とかいうのは、それこそ運動ができるクラスのリーダー的な存在の人から投げかけられたことはありました。
何となく男らしさが足りないところがあったかもしれないです。誰に聞いても、優しい子だったというのは、いまだに同級生からは言われます。
ただ、自分はそんな意識は全くなかったんです。普通の男の子として生活していると思っていたので。先生からは「男らしくしなさい」とか、「もっと強くなりなさい」ということは言われていたことはありました。
好きな人に好きと言えないつらさ
中学校になると、5・6校の小学校の子どもたちが集まるので、一学年7クラスになりました。当然、関わる人の数も増え、さらに思春期で、好きな人がどうのこうのという話で、みんな浮き足立ってるわけですよ。
私はそこでも、好きな女の子はいたんだけれども、本当に気になるのは、やっぱり男の子だなというのを、好きな男の子を女の子に置き換えて、友人たちと当たり障りなく過ごしていた。
でも、相談できない苦しさもあるし、好きな男の子は当然できてくるので、好きな人に好きと言えないつらさは、苦しかったですよ。
せっかく仲良くなったんですけど、告白なんてしたら、それこそ軽蔑されるんじゃないかという怖さがあったので、伝えたいけど、伝えられない。伝えられないけど、伝えたいみたいな、常にその葛藤がありました。
好きな女の子を作っていけば、自分もそちらにシフトしていくんじゃないかという思いは、何となくありました。でも、年を取れば取るほど、だんだんそれが難しいなというふうになってきて。
気になる、好きになる人はどう考えても男の子で、性的な芽生えも出てくるので、自分の体とか意識の反応を見ていると、やっぱり好きになる対象は、女の子じゃないなと。
中学で味わった「いじめ」
中学校のときは、特に男の子と人間関係を作るのがとても苦手でした。色んな面で、中3のときが一番大変でしたね。
自分のいい部分をアピールしながら、友達関係を何とかつなぎとめるために、嘘をついてみたり、人の気を引くような発言をして、友達を困らせたりという部分があったんです。
それが明るみに出たときに、やっぱりいじめられました。クラスの男子全員から無視されたりとか。
本当は、僕に手を差し伸べたい友達もいるんだけれども、僕に手を差し伸べたら、その手を差し伸べた友達も、今度はいじめの対象になってしまうので。どこで助けようかという周りの友人たちも迷っているようでした。
そのくせ、勉強はある程度できて、先生たちにもかわいがられるタイプの子で、クラスをまとめたりするような感じだったので、そういう部分がさらに面白くないわけですよね。
本音の本音ではずるいことをやったり、人の噂を勝手に流したりとかしているくせに、「いいかっこしい」みたいなところで。
仲のいい友達とお泊まり会をしたときに、僕が友達のプライベートなこととかを、夜寝ているときにべらべらしゃべっちゃったんです。
そしたら、それを寝ていたと思った本人が聞いていて…。そこから一気に友達との人間関係が難しくなっちゃいましたね。卓球部だったんですけど、卓球部とか、勉強のほうでなんとかストレスを発散している感じでした。
特待生で男子校へ進学
私は4人兄弟の長男なんですけど、家が経済的にあまり恵まれた家ではありませんでした。そういった事情からも、地元の進学校に行くのは諦めて、レベルを落として私立の学校の特待生で高校に進学したんです。
それが、よりによって男子校だったんですよ。右を見ても、左を見ても、男しかいない。1学年だけで17クラスもあり、680人ぐらいいました。40人近い男だらけのクラスで過ごしていく生活です。
そのときも好きな女の子はずっといて、文通を続けたりとかはしていたんですね。だけれども、体とか性的な部分で反応するのは男の子でした。ですので、通っていた高校は、ある意味で天国な部分もありました。
ただ、中学校時代に男の子と友達関係になるのが苦手だったので、高校は失敗しないようにしようと、とにかく気を付けて、余計なことは言わずに、みんなと仲良くなるチャンスを常に伺って、慎重に過ごしていました。
高校は特待生で入ってしまったので、部活禁止って言われたんです。大学進学の実績をきちんと残してほしいから、勉強してくれ、と。ただ、生徒会はやっていいというふうに言われたので、生徒会で活動していました。
我慢することを選ぶ
実際、男の子で好きな子はずっといました。でもやっぱり言えない。
普段の周りの会話を聞いていても、「ホモ、気持ち悪い」みたいな話は、しょっちゅう出てくるんです。「男同士、あり得ない」とか。
その話を聞くたびに、言っちゃ駄目だ、言っちゃ駄目だって、絶対言えないっていう思いが強くなっていきました。自分らしさを失いつつも、周りとある程度、調和して生きていくためには、我慢を選ぶしかなかったですね。
頑張って別の方向に意識を向けて、何ともならないようにしていました。それが勉強だったり、生徒会の活動だったりしたのかもしれないです。
その頃、男の子とようやく遊べるようになってきたので、学校が終わってからカラオケに行ったりとか、ゲームセンターに行ったりしていました。遊びすぎって注意されたこともありましたよ。
それでも家族は、僕の性について何か言うこともなければ、そもそも気付くこともなかったですね。
>>【Part2】ゲイをカミングアウト…その時の率直な思いや周囲の反応とは?
鈴木茂義さんのインタビュー
【Part1】LGBTと教育に向き合う小学校の先生の葛藤とは?
【Part2】ゲイをカミングアウト…その時の率直な思いや周囲の反応とは?
【Part4】いろんな人が世の中にいることをポジティブに伝えたい
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- 本記事は2017年1月28日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承の上、お読みください。