小学校の先生がゲイをカミングアウトして変わった世界、変わらなかった世界
目次
ゲイの自覚と受け入れる覚悟
高校までは外界からの情報が全く入ってこなかったんですけど、大学に入ってから、初めて書店でゲイ向けの雑誌を見つけたんです。
それがすごく衝撃的で、その日は怖くて買えなかったです。
でも、やっぱり気になって、次の日また書店に行って、こそこそしながら買ってダッシュで家に帰って見たら「ああ、これか」と。
ゲイ雑誌と出会って腑に落ちたというか、今まで自分が悶々としてきた部分はやっぱりここだったかという、最終確認というか。
当時は「おめでとう、やっと気付けたね」みたいな感じだったでしたね。
雑誌を通して、文通みたいなこともできて、編集部が回送してくれるんです。ようはゲイ同士の出会いの場をつくってくれるシステム。
私もその雑誌の文通で初めて、自分と同じ境遇の人に会いました。
でも、そういう世界の人たちと会うことに対する怖さもありました。
勇気を出して文通をしてみて、やっぱり同じ境遇の人に会えてうれしかったですね。
その反面、「これからどうなるんだ」という不安もありましたが。
ちょうど同時期に、友達に紹介されて大学の後輩の女の子と付き合ったんです。
デートに行ったんですけど、手もつなげませんでしたね。
女の子の方から手をつながれたんですけど、全身に鳥肌が立ってしまって、「本当に女の子が無理なんだ」と。
女性に対して、心の部分で好きになることはあっても、身体の部分で女性を受け入れることができないんです。今でもそれはあります。
女の子を身体が受け付けないと気づいた時に、自分の「ゲイ」の部分を受け入れざるを得ない、覚悟を決めないといけないなと確信しました。
それで、長年悶々としていた性の部分が、確信に変わってスッキリした感覚はありました。
と同時に、小学校からずっと言えなかった性のことをそろそろアウトプットしたい、誰かに聞いてほしい、誰かからフィードバックしてほしいという気持ちがどんどん強くなってきたんです。
それで、大学3年生ぐらいのとき、初めて同じ学科の同級生の女の子に「実はゲイなんだ」とカミングアウトしました。
身近な人にゲイをカミングアウト
カミングアウトしたその女の子はとても仲のいい子で、もう20年ぐらいの付き合いになります。
その子とは、青春18きっぷというフリー切符を使って、東京から北海道まで旅行したりもする仲でした。
「男と女だけれども、間違いの起こる関係じゃないから旅行しよう」と、新宿駅で出発の時間を待つためにお茶をしていたんです。
そこで、カミングアウトしました。
まさか、私がゲイだなんて微塵も感じていなかったようで、カミングアウトしたときはすごくびっくりしていましたね。
でも、それは最初の何分かだけ。その後は「別にいいんじゃない」って言ってくれたんです。
その言葉と態度でとても安心したのを覚えています。
「別に、あなたが変わるわけじゃないから、まあ、いいんじゃない」と。
そのカミングアウトがきっかけで、お互い相手の懐にさらに踏み込んで、旅行ができたのでとても良い思い出です。
ゲイのカミングアウトのきっかけは、「覚悟ができたから」だと思います。
大学に入ってから、「カミングアウトしたときに、僕を傷つけないで受け止めてくれる人は誰かな」というのをずっと思っていました。
本当のことを伝えられるチャンスとタイミングをずっと探っていたんです。
それで、一番仲が良い女の子に伝えられたことで、今度は仲の良い同級生、サークルの後輩、大学の教授など、自分の身近なところから、カミングアウトをしていきました。
大学の後輩にカミングアウトしたときに、すごくびっくりされたんですけども、同時にすごく喜んでくれたんです。
さらにその大学の後輩たちが、ジェンダー論を専門とする大学の教授を紹介してくれました。
その人と飲みに行く機会をつくってくれて、その教授にも、「実はゲイなんです」とカミングアウトして、いろいろな話をしました。
そのときに、その大学の教授が、
「私は今までいろんなゲイとかレズビアンの人に会ってきたけども、あなたぐらい楽観的に生きている人は初めて見た」
と。それがすごくうれしくて。
あんなに思い悩んでいた割には、人の目には楽観的だとに映ることもあるんだと思ったら、とても救われました。
「やっぱりこのままで大丈夫なんだな」と。
生き方が肯定され、自分を取り戻す
僕のことが人の目には楽観的だとに映ったのは、悲観的な部分を周りに見せないために、頑張って振る舞っていた結果かもしれません。
それでも自分の生き方が肯定されたのはうれしかったですね。
最初のカミングアウトで大きな皮がむけて、ようやく自分らしく振る舞えて本来の明るさが出てきていたと思います。
その教授は、なかなかあっけらかんとカミングアウトできないのだと仰りました。
確かに私にもカミングアウトへの壁はありましたが、それよりも「自分を分かってほしい」という気持ちのほうが勝っていました。
カミングアウトは高い壁だったけれども、自分が生きていく上で必ず超えなければいけないものだろうなという意識があったからこそ、カミングアウトができたのだと思います。
カミングアウトの思いとしては、ただただ、自分のことを理解してほしかったですし、「あなたは、そのままで大丈夫だよ」と言ってほしかったんです。
周りとの調和を大事にするあまり、自分のありのままの部分を小学生の頃からずっと隠してきました。
だから、カミングアウトのたびに、一つずつ、その皮がはがれていくみたいな感覚でした。
それはありのままの自分を取り戻していくための作業だったんだと思います。
ゲイの告白に怒り狂った父
ゲイの告白をして、良いことばかりなわけではありませんでした。
一番嫌悪感を示したのは、両親…特に父でした。
すごく驚いて、がっかりして、なかなかすぐには受け入れられないという感じでした。
母は、何となく気付いてたと言っていました。
「何で?」と聞いたら、「座り方が女っぽいから」と。自分では全くそんな意識なかったんですけどね。
その時は、母は「あなたを男子校に行かせたから、そうなってしまったんだ」と自分を責めていました。
「全然、違うよ」と言っても理解はしてもらえませんでしたね。
両親にゲイを告白したときは32歳。
32年間、普通に子どもを見てきて、いきなりゲイですって言われても「ああ、そうですか」とは、当然ならないですよね。
父親は「二度と家に帰ってくるな」「情けない」「実家の周りを歩くな」と本当に怒り狂っていました。
ひと通り怒った後は、今度は悲しみがやってきて。「もう自殺してやる」とまで言っていました。
そんな父に「そんなに怒ったり、落ち込むということは、よっぽど私にやってほしかったことがあるんだね」と聞いたんです。
すると父親は「長男の孫を抱きたかった」と。
父親にとっては青天の霹靂。そういう態度になるのも仕方がないのだとも思います。
「言わなきゃ良かった」という人もいる
ゲイの人の話を聞くと、リスクがあまりにもあるから、カミングアウトしないという人がほとんどです。
カミングアウトできないのは、やはり勇気の問題が大きいと思います。
自分のことを語ることって、すごく勇気がいることですよね。
誰だって、周りの人に引かれるんじゃないか、周りの人に責められるないだろうかと不安になります。
気軽に相談できるような存在が身近で見つけられないことにも原因があると思います。
勇気をもって頑張ってカミングアウトしたけれども、やっぱり言わなければよかったという人ももちろんいます。
カミングアウトする内容は、その人それぞれで全然ストーリーが違うので、私がほかの人のことを語ることはできません。
例えば、結婚適齢期になってくると「結婚しないの?」「彼女いないの?」と聞かれることがあります。
社会人になってからパートナーできたときも、そのパートナーのことを女性に置き換えて話をしなければいけませんでした。
別に悪いことをしているわけじゃないのに、本当のことが言えないというところが、社会人になってからの悩みでしたね。
でも、私がいつも周りの人に言われているのは「ゲイであろうがなかろうが、あなた自身がどういう人かを知っている」ということです。
どんなふうに仕事をして、どんなふうに生きているかを見てくれているから「ゲイであることを知ったところで、何も変わることはない」と。
カミングアウトすると、やっぱり最初はびっくりされるけれども、
「あなたが変わるわけじゃないから、そのままでいいんじゃない」
って言ってくれる人が必ずいます。そして、そのたび僕は自信をつけていきました。
カミングアウトフォトプロジェクト
2015年4月ぐらいから始まった、カミングアウトフォトプロジェクトというものにも参加しました。NPO法人が主催しているプロジェクトです。
今まで1,000人ぐらいの人の写真がアップされているんですけど、学校の先生がいなかったんです。だから私の番かなと。笑
自分はいろんな人にカミングアウトできていて、割とポジティブにオープンにできているので、そういう学校の先生がいてもいいだろうと思いまして。
LGBTの問題を語ると、必ず「学校時代つらかった」「学生時代つらかった」という話がいろいろな人から出てくるので、これは自分がやるしかないと、ある種、使命のようなものが湧き出てきたんです。
もう一つは、このイベントに参加することである意味、社会的なカミングアウトになります。
そうなったら、また自分の今まで隠してきた部分がありのままになるための、また大きなものが抜けるんじゃないかと。それで、決意しました。
渋谷区の同性パートナーシップ条例の制定は、かなりセンセーショナルな出来事でした。
あれをきっかけに、世田谷区やほかの市区町村にも広がりを見せているので、おそらく、2020年のオリンピックまでは、この勢いは止まらないと思います。
私は今、生きることがだいぶ楽になりました。もう隠すことはほとんどありません。
ただ、ありのままの自分を探す作業をしていくと、まだいろいろと出てくるんですよ。
むいてもむいても、なかなか核心にたどり着かないこともあります。
だから「死ぬまで勉強」ということなのかもしれませんね。
100%理解する必要はない
小学校の先生という立場からも、子どもたちが生きやすくなる世の中をつくるために、「世の中には色んな人がいる」ということをポジティブに伝えていくことの大切さを感じています。
特に、去年はちょうど卒業学年の6年生を担任していて、「実は先生はゲイで悩んでいたんだ」というのを伝えた上で、マイノリティを抱えた人たちが世の中にいるということを教えたかったんです。
でも、子どもたちにその問題提起ができなかったんですね、怖くて。
子どもたち自身の生き方とか在り方を考えるきっかけにしたかったんですけど、子どもに対してカミングアウトするということは、学校の中では影響が大きすぎると感じました。
そして、子どもの後ろにいる保護者たちにも、とても大きい影響を与えるだろうと。
今振り返ると、授業をやったほうがよかったなと思っています。
当時の私は、「自分がカミングアウトしなきゃ」と思っていたんですが、カミングアウトをしなくても、そういう授業はいくらでもできたんですよね。
今の職場で、発達障がいの子どもたちをみていて気を付けていることは、「決めつけないで接する」ということ。
自分で勝手に思い込むと、相手の話を丁寧に聞いたりするところがおろそかになります。
まずはその子どもや保護者のありのままをよく見るようにしています。そして話を徹底的に聞くこと。
どれだけ待てるか、どれだけ聞けるか。
先生が生徒の話を聞くときって、トップダウンになりがちですが「どれだけしゃべらないか」が先生の質を決めるのではないでしょうか。
多分、自分が小学生のときにそういう先生に出会いたかったという願望なのかもしれません。
いじめの問題も同じで、自分との違いを認められないことから始まると思うんです。
その違いを認められないのは、違いを感じることができていないからかもしれません。
「あなたの100%は理解できないけれども、40%だけは理解できたよ。でも、まだ60%は理解できてないよ」
と、理解できてないということを正直に伝えることも大事ですよね。
話をしたことによる理解の伸びが、だんだん時間をかけて増えていけばいいのかなと思います。
学校現場から、より良い社会を
これからは、学校現場を通してより良い社会を実現していきたいです。
より良い社会をつくっていくのは、一人一人の個人。
その個人の力を伸ばして、その個人が豊かに成長するところを通して、豊かな社会に貢献できればいいですね。
私の生きづらさの入り口はたまたまLGBTでしたが、教員をやっていると子どもも保護者もいろんな困り感を抱えていることを実感しています。
なかなか素直に困っていると言えないまま、なんとかうまくやろうと生活しているのがよく見えてくるんです。
保護者から相談を受けることも結構ありますが、必ず「こんなことを相談していいか迷っているんですけど」という枕ことばが付くんですよ。
例えば、友達からいじめられてしまった、ほかの保護者とけんかしてしまった、何か事件を起こしてしまった…など、もうどうしようもなくなってから、相談に仕方なく来るというパターンが一番多いです。
先生たちとしては、どんな悩みでもウェルカムで受け止める準備はできていますが、話す人たちは「こんなことを言っていいのかな」という不安が消えないものですよね。
ただ、事後対応だと、どうしても時間や手間が解決までにかかります。
なるべく問題が大きくなる前に、「ちょっと気になったことをいつも相談してください」と言っているのですが、少し気になることがあるくらいではなかなか相談に来てくれないのが現実です。
だからこそ、「この子、何かありそうだな」と気付くことも多い先生の立場から、先に話してくれそうな雰囲気や話題を提供して、相手の困り感を引き出すことも大事だと感じています。
僕の場合は「いやぁ、僕もいろいろあるんですよ」と言うようにしています。そうすると相手も話してくれるんです。笑
予防的に対処する中でも、自己開示がまずは必要と感じることは多いですね。
ありのままに生きていいんだよ
最後に、今悩んでいる人に伝えたいのは、「ありのままに生きていいいんだよ」ということです。
自分のこともたくさん語っていいよ、と。
ゲイである自分を受け止められなくて、受け入れられなくて、僕は自分以外じゃないものになろうとしていた時期もありました。
小学校のときから自分に嘘をついて装っていたので、それを止めつつある今のほうが豊かに生きられている感じがします。
誰の中にもマイノリティ性って少なからずあると思うんです。
だから、そのことをしまっておくのも選択肢としてはありますが、それを語ることによって変わることもあることを知ってほしい。
話すのは怖いけど、話した先にはまた何かが広がるんです。
結局、繰り返しになりますが、子どもに対しても、親に対しても、LGBTの人に対しても、そうじゃない人に対しても、言いたいことは同じです。
「ありのままに生きていいよ」
「自分のことはいっぱい語っていいよ」
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- 本記事は2017年1月28日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。