生きてる意味が分からなかった中高生時代【鎌田悠香子さんPart1】

2017.03.04公開 2017.04.22更新
 
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今回のインタビューは、NPO法人Light Ring.のスタッフ鎌田悠香子にお話を伺いました。

 

全3回に渡って、中高生時代のリストカット、生きる意味や母との葛藤、躁うつ病の経験、親戚や友人の自殺…などのご経験をお話しいただきました。

 

 

「お寺のお嬢さん」

秋田出身の27歳です。現在は、アルバイトをしながら、NPO法人Light Ring.のスタッフとして、イベントの運営、進行や経理などの事務を行っています。

 

実家がお寺だったので、両親も立派な人で、すごく厳しく育てられました。

 

だから、中学校まではすごく自信に満ち溢れてて、割としゃしゃり出る子どもだったんです。生徒会に立候補して副会長をやったり、部長を率先してやっていました。

 

でも、中学3年生くらいから、だんだん自分に自信がなくなっていって。「すごい生きづらいな」と感じるようになりました。優等生でいることが辛くなってしまったんです。

 

それまで頑張り過ぎていたのでしょう。家がお寺だから、みんなに注目されている気がしていて。「お寺のお嬢さん」っていうように。

 

道を歩いていても知らないおばあさんとかに「あら、お寺の」って言われるんです。「誰だろう?」って思いながら、「お世話になっております」って挨拶をするような子どもでした。

 

それに加えて「お寺の子は頭が良くないといけない」「頭が良いんだ」っていうイメージが自分のなかにあって、周りにもそれを求められている気がしていました。

 

「そのイメージにはまらないといけない」って思っていたんです。

 

親も「成績が良いのに越したことはない」という考えでしたしね。「良い成績、100点がベスト」と言われてきましたから。

 

 

99点でも親に責められる

中学3年生までは何とか頑張ってこれましたが、そのうち自分の中で、バランスが取れなくなってきてしまいました。

 

「認めてもらえてない」「親の期待に応えないといけない」というプレッシャーがあって、本当の自分じゃないような感じが、とても苦しかったんです。

 

99点でも責められてましたから。「何でその1点落としたの?」って。

 

今思えば、親としては責めているつもりはなかったかもしれませんが、当時はとてもつらかった。

 

自分でも「自分はまだ足りないんだ」とか「もっと頑張らないといけないんだ」って言って、結構自分を追い込んでしまっていたんです。

 

そのうち、できない部分にだけ目が向くようになって、自信がどんどんなくなっていきました。

 

 

中3で自傷行為に走る

「自信もないし、何もできないし」という想いがつのって、中3の時、自傷行為に走ってしまいました。

 

全然、大したこともない傷なんですけど、その時は本当に辛くて。でも「親は厳しいし」「誰にも言えないし」って。

 

はたから見たら、成績も良くて活動的で友だちも多い…「順風満帆にきてる子」っていうイメージがあったと私は思っているのですが、「弱い面を見せられないな」っていうのがあったんですよね。

 

 

県で1番の進学校に行かないと人生が終わる

そんな感じで高校受験を迎えることになったのですが、親からはずっと「県でも1番、2番を争う進学校に行け」っていう風に言われていました。

 

その進学校に行くことが当たり前のようになっていて、「そこに行かなきゃ」「そこに行かないと人生が終わる」と思っていました。

 

ただ、反比例して成績はどんどん下がっていってきて、「このままでは合格のボーダーラインに達しないよ」と先生からも忠告されました。

 

どんどん追い詰められて、私は中学校2年生ぐらいの時から自分が嫌いになってしまったんです。

 

高校受験もギリギリだったんですよ。ボーダーラインで、「絶対受かんないだろう」っていう点数を取っちゃったんです。

 

自己採点で「明らかに100点以上足りてないぞ」っていう状態になって、すごい泣いて。もう人生が終わったと思いました。

 

親も「私立の高校の願書を取り寄せよう」って動いてて。結果的にはその年の平均点が低かったので受かったのですが、本当に運が良かったと思います。

 

 

動いていないと怖かった

高校では、勉強についていけなくなりました。県から有数の生徒さんたちが集まってくるので、レベルが全然違ったんです。

 

親も卒業できればいいから、という感じで。ただほかの子と比較しても成績は恐ろしく悪かったです。

 

習い事や学祭の実行委員などをやっているときは、純粋に楽しんでいました。楽しいし、「動いてるな」っていう感じもあって。

 

ただ、「無理してるな」という感覚もありました。「学校休みたいな」と思う時もあるんですけど、親が許してくれず。ずる休みとかもできず。 

 

「休みたい」とは思っていたんですよ。「もう動けない」って。でも動いてないと怖かったんです。

 

止まっちゃったら自分じゃなくなっちゃう気がしていて。 それこそ「人生が終わって、みんなに見放されてしまう」と思っていて。

 

だから「なんでも頑張ってやろう」っていう、結構ギリギリのラインでやっていました。 

 

今思えば、あの時よく生きてたなと思いますね。

 

 

生きるのは20歳まででいい

自分としてはどんどん自信はなくなり、「なんで生きてるんだろう」て思うことが多くなりました。

 

その時は、「生きるのは20歳まででいいや」と謎のラインを自分で決めていたんです。

 

そう思い始めたのは中3ぐらいのときからでしたが、自分に自信が持てず、未来にも期待がもてなかったのが原因だと思います。

 

その一方で、「カウンセラーになりたい」という思いもあって、「そのためだったら勉強しようかな」と何とか勉強をしていました。

 

どっちにしろ、とりあえず「大学には行かないといけないな」という感じでしたね。

 

続きは第2回へ

 

 

鎌田悠香子さんのインタビュー

 

【Part1】生きてる意味が分からなかった中高生時代

【Part2】遺書を書き、致死量の薬を飲んだ過去

【Part3】「今なら両親にありがとうと言える」

 

 

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