双極性障害で仕事が続かなかった自分が人を頼れるようになって得たチカラ

2017.04.19公開 2020.05.19更新

うつ状態だけでなく軽躁状態で体調や気分が安定しないことがある、双極性障害。

 

体調や気分の波が激しくなると、安定的にお仕事を続けることを難しいものにしてしまうこともあります。

 

そこで今回のインタビューでは、双極性障害Ⅱ型の当事者で、うつ病の復職や再就職支援などを手がける株式会社リヴァの広報、松浦秀俊さんにお話を伺いました。

 

ご自身も双極性障害のお一人として、休職・退職を繰り返していた時期を経て、現在の会社では安定して働けるに至ったご経験について教えていただきました。

 

359松浦秀俊さん:1982年生まれ、21歳で双極性障害Ⅱ型を発症。20代で転職3回休職4回を経て、リヴァ社の社会復帰サービスを利用。後に同社入社、勤続7年目(休職0回※2017年時点)。公認心理師・精神保健福祉士・産業カウンセラー。一児の父

 

【松浦秀俊さん執筆コラム】

【Part  1】双極性障害では仕事が続かない?正社員7年目のホントのトコロ

【Part  2】双極性障害の私が実践する仕事上の工夫と注意サインとは?

【Part  3】双極性障害での仕事探し!大切にしたい5つのこととは?

【Part  4】躁(軽躁)でもうつでもない平常時の自分なりの定義と働き方

【Part  5】仕事上、双極性障害で辛い2つのことと私なりの対処方法

【Part  6】双極性障害で職場復帰までの工夫、嬉しかった職場での接し方とは?

【Part  7】妻からみた双極性障害の夫。出会い・結婚・子育て・家族としての工夫や悩み

 

広報兼支援員として働く双極性障害当事者

はじめまして。株式会社リヴァで広報をしている松浦秀俊と言います。

 

広報以外にも、うつ病などの気分障害の方の再就職支援をする施設で支援員として働いています。

 

僕自身、双極性障害Ⅱ型の診断を受けています。

 

症状としては主に、軽躁から来る「眠りたくない」という衝動や、活動し過ぎてしまう「過活動」があります。

 

そのため、夜も寝ずに仕事やプライベートの予定をどんどん入れてしまうんです。

 

ストッパーをかけずに活動を続けてしまうと、反動で意欲が下がり、ドタキャンが増え、嫌悪感が強まり、ふさぎ込む…という悪循環にはまってしまいます。

 

最終的には、誰とも連絡を取らなくなったり、無断欠勤が続いて休職に至ったり…。

 

会社を休んでしまうほどの症状というのは、私の場合、軽躁がきっかけになることが多かったですね。

 

「空気を読まないと殴られる」

私は、3人兄弟の末っ子として島根県に生まれました。

 

性格の素地でいえば、どちらかというと人当たりがいいほうだったと思います。

 

一番上の兄が9歳離れていて、二番目の兄とは6歳離れていたので、私が小学校1年生のときに、次男が中1で、長男が高1という家族でした。

 

2人の兄とは年齢が結構離れていましたし、兄同士で殴り合いのけんかを普通にする感じだったので、もう恐怖しか感じないような存在ですよね。

 

2人ともちょっとしたことで本気で殴り合いしているのを見て、「空気を読まないと自分が殴られる」と思って、怒られないように気を遣う性格になったと思います。

 

中学入学後、1年たたずに家庭の事情で愛知県に引っ越しをしました。

 

自分が転校するとはまさか思ってなかったので、そういう意味では価値観が変わるタイミングだったと思います。

 

引っ越して最初に影響を受けたのは、島根と愛知の方言の違い。島根の方言が出てしまうので、何を言ってもちゃかされるんです。

 

さらに、みんなは地元の話で盛り上がるから、あんまり中学校で友達を作ろうという感覚を持てませんでした。

 

そういったことが重なって、自分としてはもう「寡黙なキャラ」でいようと思ったんです。唯一、自分を出せるのは家でした。

 

「全くしゃべらない転校生」「寡黙な人」みたいなキャラを中学卒業するまでずっと続けていました。

 

でも、別にクールではなく、クールな人をやらざるを得ない状況だったんです。

 

高校は、通っていた中学の学区外にある遠くの高校を選びました。

 

そこからは自分を偽らずに、本来の自分を出せるようになりましたね。

 

我が家はそんなに裕福じゃなかったので、大学行くとしたら地元の国公立という条件に合う理系大学を選びました。

 

大学に入った2001年頃、Yahoo!のブロードバンドが始まって、ネットが家庭で一般的になりつつある状況で、「ネット、やばいな」と感じていました。

 

専攻は化学を選んだのですが、「ネット関係の仕事のほうが、可能性あるんじゃないかな」ってだんだんと思い始めている自分もいて。

 

興味のあるIT、それこそウェブ言語を自分で書いてみたり、ネット関係の勉強会に行くようになっていました。

 

そうすると、大学で勉強する延長線上にあまり将来を描けなくなり、大学はもう、単位を取って卒業するための場所でしたね。

 

大学でもう一つ大きい出来事として、大学2年のときに、バレーボールサークルの立ち上げメンバーに入ったことです。

 

自分たちが目指したい組織を創っていくのはすごく面白くて、特にいろんな企画を自発的にやることに面白さを感じるきっかけになりました。

 

在籍していた大学の場合、学生の7〜8割は将来研究職につくために大学院に進みます。

 

だから、みんな大学院を含めた「6年間」を見据えてるんですけど、私はもう、学部の4年間でいいやと思っていました。

 

必修科目の単位だけは取って、全くアウトローな感じで生きていましたね。周りからは、「あいつは何もできないやつ」と思われていたと思います。

 

大学4年の就活のときは起業したいと思っていました。

 

ただ当時は、そもそも「起業したい」という想いしかなかったので、ビジネスアイデアがあるわけではありませんでした。

 

取りあえず、起業につながりそうな会社に就職しようと思って、新規事業をやれる中小企業5社くらいにエントリーして内定をもらいました。

 

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内定後に気分が急激に落ち込んだ

内定をいただいた会社は、新規事業でECサイトを運営していて、その当時では新しい取り組みをやっている会社でした。

 

ネット業界だし、新規事業だと思って内定をもらったと同時に、「起業したいのに、企業に入るってどうなんだろう」という葛藤が起こりました。

 

そして、気分が急激に落ち込んでしまったんです。

 

そこから大学も行けなくなり、就活での葛藤も周りはみんな研究者を目指していたから誰にも話せなくて。

 

どんどん、ふさぎ込むようになり、部屋からも出られなくなりました。

 

そして学校にも行けずに「さすがに、やばいな」と思った時、ふと「うつ病」という言葉が頭に浮かんだんですよね。

 

このままでは、本当に学校生活や、今後の仕事にも支障が出てくると思い、一度病院で診てもらおうと思って、家から一番近くの病院に行くことにしました。

 

記憶にあるのは、初めて受診しようとした時、病院の前まで行くものの、そのまま帰ってしまいました。

 

病院に入っちゃうと、もう戻れないんじゃないかという思いや

 

「俺、うつ病じゃない。単純に変わってるだけなんだ」

 

って、うつ病であることを認めたくない自分もいました。

 

でも、どこかで楽になりたいと思う自分もいる。その繰り返しでしたね。

 

結局、症状は一向によくならず、もう1回勇気出して精神科の病院に行くことにしました。

 

診察を待っている間、ずっと緊張していました。

 

自分の名前が呼ばれて診察室に入って症状を伝えると、「ああ、それはうつ病の症状ですね」と、1ヶ月分くらいの薬を出されてあっけなく終わりました。

 

受容できなかったうつ病

病院に行ったことで、ある程度、楽になった感覚というのもありました。

 

薬は最初は飲んでいたんですけど、結局、飲み続けなかったですね。

 

やっぱり、うつ病であることをあまり受容してない自分もいて。

 

だけど、それで1ヶ月ぐらい経ったら、ある程度外に出られるようになったので、うつ病で通院したという過去はもう封印しようと思いました。

 

とはいえ、気分の浮き沈みはまだまだ続いていて、内定をもらった会社の入社前交流会もドタキャンしてしまったんです。

 

「その会社に入ったら、もう自分は出られないんじゃないか」とか、いろいろ考えちゃったんですね。

 

その会社に入るかどうか、入社日の朝まで悩んでいました。

 

結局入社することにしたのですが、入ってみると、色んな人生経験をしている先輩や上司が周りにたくさんいることに気付いて、それに刺激を受けて「何かやれるかも」と感じる自分がいました。

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近藤雄太郎

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  • 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
  • 本記事は2017年4月19日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。

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