発達障害、うつ病、いじめ、パワハラ…短大の先生になるまで【稲葉政徳さんPart1】

2018.02.04公開 2018.02.06更新
 
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今回のインタビューでは、発達障害、うつ病と向き合いながら、岐阜保健短期大学で専任講師として働く、稲葉政徳さんにお話を伺いました。

 

 

うつ病の闘病を経て大学の教員に

初めまして。稲葉と申します。35歳で理学療法士の免許を取り、現在18年目になります。

 

また、47歳で大学院の修士課程を修了しまして、健康科学の修士号を持っています。

 

大学院にいる間に2年間、うつ病で闘病生活を送り、なんとか卒業できました。

 

その後、自宅療養期間を経て、今、現在働いている岐阜保健短期大学リハビリテーション学科で理学療法学生専任講師として採用されました。

 

短大に勤めて現在6年目になります。

 

 

保育園〜中学でいい思い出がない

理学療法士になってから発覚したのですが、頭蓋骨縫合早期癒合症という頭蓋骨の奇形がありました。

 

頭蓋骨の融合があって、顔面骨にも影響が出て、どうしても眼球突出があるんです。

 

幼いころはその風貌による、嫌がらせや差別を受けてきました。

 

そのせいで、保育園、小学校、中学校では良い思い出がありません。

 

他の発達障害の人たちと比べるとあまりない、レアなケースです。

 

ただ頭蓋骨の奇形で、特に前頭葉の部分が狭くなっていて、脳に未熟な部分があるようです。

 

これは精神科のお医者さんにも指摘されました。

 

 

発達障害の概念が一般的でなかった時代

今、発達性協調運動障害というものが発達障害の中にありますが、私がまさにそれでした。

 

中学では数学と体育の成績だけ1か2で。

 

昭和50年代半ばの頃、発達障害という概念が一般的ではなくて、酷いいじめに遭いました。

 

いじめの期間は長かったのですが、中学時代が一番きつかったです。

 

中学校時代のいじめってえぐいんですよね。

 

思春期で、心身の変化もあって、とにかく不安定で。

 

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何度もズボンを下げられた

中学校のいじめと小学校のいじめの違いは、「辱めに合う」ということです。

 

私も何回もズボンを下げられました。

 

こんな私にも初恋があって、その子と話すとドキドキしたりしていました。

 

「その女の子も、私のことを良いなと思ってくれているかも」と思っていた矢先に、いじめっこにパンツを脱がされて…。

 

その噂が広まって、その女の子は私を避けるようになりました。

 

すごくショックでしたね。

 

 

偏差値が最低ランクの高校に

中学を卒業したら工業高校に行きたかったのですが、

 

「お前、数学と体育が1とか2だろ」

「それじゃあ工業高校には行けん」

 

と、担任に言われて、偏差値36という滋賀県下最低ランクの高校に行きました。

 

高校の勉強は嫌いではありませんでしたが、理解できず、成績も中間くらいでした。

 

小・中学校といじめられ続けて、高校でもいじられ役ではありました。

 

でも、高校でバンドを組んで、最終的には2年生、3年生の文化祭でバンドを2つ掛け持ちしていました。

 

その時はベースを弾いていたんですよ。

 

小学校の幼馴染でギターを弾いてる男友達がいて、その影響で、私も中学3年生ぐらいからギターを弾いていたのがきっかけでした。

 

高校の文化祭での体験は、自分の中では成功体験であり、充実感や達成感がありました。

 

 

縁や運を大切にして転機に恵まれた

私は誰にでも転機というものはあると思っています。

 

運と縁はセットでやって来るし、縁は人が絡んできますよね。

 

私は今まで、どちらかと言うと運が良かったんだと思います。

 

バンドを組んだという、僕にとって大きな転機の背景には、ギターが非常に上手い友人との出会いがありますし。

 

縁や運というものを大切にしてきたことが良かったと思っています。

 

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小さな成功体験の積み重ねが今に繋がっている

そして、もう1つ転機だと思っていることがあります。

 

小学校4年生の時に描いた絵が滋賀県の展覧会で佳作に選ばれたんです。

 

さらに、小学校5年生の時には、紙粘土で作った作品が展覧会に出展されました。

 

多分、発達障害の方に割とある、独特な思考や認知が「ユニークだ」「特徴がよく出てる」という評価に繋がったのかもしれません。

 

いじめられて辛いことがあったにも関わらず、小さくても成功体験があったことが今に繋がっているんじゃないか、と思っています。

 

 

高校卒業後の進路を決められなかった

発達障害の人に多いのですが、私も高校を卒業してからの進路を決められませんでした。

 

なりたいものがなかったわけではないんです。

 

看護師の母親に「リハビリの専門職はどう?」と、理学療法士や作業療法士を勧められて、私もそれを目指そうと思っていました。

 

でも、いざ看護系の過去問題集を買って勉強しようと思ったら難しくて。

 

担任の先生に見せたら「お前な、これは至難の業どころちゃうで」と言われ、一蹴されましたね(笑)

 

看護系が無理なら何になろうかと考えて、

 

「音楽をしていたからプロのミュージシャン」

「超不器用だから無理だな」

「じゃあ音楽関係の出版社に行くか」

「放送部の部長をやってたからアナウンサーになりたい」

 

と色々言って、結局進学したいと言い出しました。もうわけ分かんないですよね(笑)

 

 

三者面談の場で就職先が決まる

父は織物会社の染め物の職人で厳しい人でした。

 

私は4人兄弟の長男で、進学したいと言うと、「今の経済状況では進学は難しい」「就職してくれ」と言われました。

 

高校3年生の三者面談でも「就職してほしい」と親に言われました。

 

担任の先生も「次の人が待ってるから、今決めろ」と言って、求人票を出してきたんです。

 

「えっ、今?」と思いながら、その中からホテルのウェイターに決めました。

 

アルバイトの経験から、自分には単純作業は向いていないと思っていたので、変化のある仕事を選んだんです。

 

 

単純作業は向かないと感じた理由

高校時代にスーパーの自転車を整理するアルバイトをしていたんです。

 

友達と一緒にやっていたのですが、楽しくて2年間続きました。

 

でも、部品を作るアルバイトをしていたときに、発達障害の特性が出て、単純作業でパニックと言うか、気分が悪くなってしまって…。

 

作業場の隅っこで、パニックを鎮静させようとしていたんです。

 

そしたら、おばさんに「稲葉君がサボっている」とチクられて、工場長から「辞めてもらっていいよ」と言われてしまいました。

 

頑張ることを約束して、なんとか1年続けましたが、自分には単純作業は向かないな、とそのとき身をもって感じました。

 

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ウェイターの仕事を2ヶ月で辞める

ウェイターの仕事は2ヶ月で辞めました。

 

接客業で覚えることがたくさんあってもなかなか覚えられず、結局いじめられてしまって…。

 

入社研修の時代からいじめを受けました。大人のいじめです。

 

「お前、あほやろ」

「そんなことも分からんのか」

 

と、ぼろくそに言われました。

 

これも発達障害の影響だと思いますが、年上の人に対してため口で話したりするなど、私にも悪い所があったんです。

 

主任に後ろから「おはようございまーす」と挨拶したり。

 

今だから言えますけど、恥ずかしいですね。

 

「それはないだろう」と思います。でも悪気はなかったんですよ。

 

純粋に挨拶をしようと思って、ちょっとフランクな感じになっちゃったみたいな。

 

そうやって怒られながら、自分の振る舞いをなんとか正してきました。

 

 

ハラスメント、逃亡、入院

でも、純粋な注意だけでなく、やはりハラスメントも受けました。

 

大学ノートを破って「辞めさせてもらいます、自信がないです」と書いて、仕事を始めて2ヶ月で逃亡したんです。

 

ハラスメントを受けてるということは、なかなか親には言えませんでした。

 

やっぱり恥ずかしいし、親に迷惑や心配かけるってなって。

 

でも、親が無理やり仕事に行かそうとするので、「『あほや、あほや』って言われるので嫌なんだ」と言って自転車で逃亡しました。

 

結局、家には戻ったのですが、その日の夜におへそあたりに激痛が始まって。

 

医者に行ったら急性胃腸炎だと言われましたが、椅子に座れないくらい痛くて、1週間後に公立の病院に行ったら即入院になりました。

 

 

1ヶ月の入院後、また逃げる

急性虫垂炎でした。いわゆる盲腸で、腹膜炎の一歩手前になっていました。

 

虫垂炎って、大体小さい傷が1個ぐらいあって、1週間以内で退院できることが多いのですが、私は丸1ヶ月入院しました。

 

1ヶ月入院して、その後いよいよ社会復帰となった時に、「まずは職場に行け」と親に言われてしまいました。

 

ウェイターの仕事を辞める前に盲腸炎にかかったので、ちゃんとした手続きをしていなかったんです。

 

それでも行きたくなかったので、退院してまた逃げました(笑)

 

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「情けない」「お前、根性ないな」

辞めた後、妹には「情けない」と言われました。

 

高校時代、お世話になった新聞配達の所長さんには「お前根性ないな」と言われ、あまり理解されませんでした。

 

田舎だったので、仕事を辞めるということ自体に偏見がありましたね。

 

昔は1つの会社にずっと勤めていくものだったし、田舎だったので余計にそういった考えが根強くて。

 

 

「お前にこの金を渡すこと自体、ムカつくねん」

その後は、フリーター状態で進路を模索しながら、ファミレスに勤めましたが、そこでも地獄を味わいました。

 

やっぱり仕事は覚えらないし、シェフが作った料理を落とすようなミスもしました。

 

当時、月10万円の給料を現金支給だったのですが、店長が給料を渡す前に、

 

「お前にこの金を渡すこと自体、ムカつくねん」

 

と言われる始末でした。

 

続きは第2回へ

 

 

稲葉政徳さん全インタビュー

【Part1】発達障害、うつ病、いじめ、パワハラ…短大の先生になるまで

【Part2】新聞奨学生として進学。35歳で理学療法士の資格を取る

【Part3】「発達障害は生まれつきだから仕方がない。俺は俺だ」

【番外編】復職から仕事継続まで。「自分トリセツ」の活用術

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

 

ご興味をお持ちいただけましたら、下記フォームよりお問い合わせください。24時間以内にご連絡いたします。

 

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