生きてる意味が分からなかった中学・高校時代から180度変われた理由

2017.03.04公開 2020.05.10更新

親は私の「混とん」を理解してくれない

実は、中学で自傷行為を重ねていたのも、クラスでそういうのが流行っていたんです。

 

そのことに気づいた友人の母が、私の母親に連絡してきて「お宅のお嬢さんは大丈夫?」って。

 

母親は最初からすごい剣幕でした。「やってないわよね?」って。

 

とても受け入れてくれる雰囲気ではなかったので、

 

「親は自分の混とんとしている感じを分かってくれることはないんだろうな」

 

と、親に対する壁を自分で作ってしまっていました。

 

だから、躁うつ病と診断を受けた後も親に言うことがすごく怖かったです。

 

中学生の時に「受け止めてもらえなかった」という気持ちが強かったので「2回目も拒否されたら…」と。

 

でも、大学の授業に出られていなかったので、留年をお願いするために病気のことも伝えるしかありませんでした。

 

親は「どういうことかきちんと説明しなさい」とすごい剣幕でした。

 

「他のみんなは普通に頑張ってるのに、なんであなたはできないの?」って。

 

「病気だからしょうがないんだ」と言っても分かってもらえず、やっぱり親は分かってくれないという不信感だけが募っていきました。

 

「これ以上頑張れない」と、もらっていた薬を一気に飲んだり「絶対に今日で終わらせよう」と遺書まで書きました。

 

「この薬を飲めばきっともう起きることはないんだ」と。

 

それでも翌日に目が覚めてしまい、どうやっても死ねない気がして精神的にも疲れてしまいました。

 

それからは無気力な日々でした。ただ、そんな時でも周りが支えてくれてことはラッキーでした。

 

仲良し!という感じではなかったんですが、「別にできなくても良いじゃん」って励ましてくれました。

 

何も言わずに、ただご飯を作りに家まで来てくれたり。本当に温かく支えてくれたり、

 

「自分がすごい嫌いだから、生きててもしょうがないんだ」

「今日も薬を飲んでしまったな」

 

みたいなことをSNSに書いても、「そういう日もあるよ」とかみんな軽い感じでコメントしてくれるんです。

 

当時所属していたダンス部の主将には「今のお前の仕事は休むことだ」と言われたことがありました。

 

当時の私は、休むことが怖くて、止まったらもう動けない感じで、限界をとっくに超えてもまだ頑張っていたんです。

 

でも、私の真面目な性格を逆手にとって言ってくれた主将の言葉で「義務だから休まないといけない」と思えることができて楽になったこともありました。

 

結局、大学は留年することになりました。

 

それまでの私は「キャリアに傷が付かないように」と生きてきたので、留年なんてもってのほか。

 

でも、実際に留年してみると意外と現実は何も変わりませんでした。

 

それどころか少しゆとりができて初めて、

 

「自分のペースで生きても大丈夫なんだ」

「生きてるのもそんなに悪くない」

 

と思えたんです。

 

留年したばかりの頃は「みんなは社会に出て活躍してるのに私は…」という焦りもありましたが、みんなはそんな気にしていませんでした。

 

大学の友だちと会ってもギャップを感じることはありませんでしたし、あるがままの自分でいられて、

 

「経歴なんてそんなに大したことないのかもしれない」

「私は私なんだ」

 

と吹っ切れたのだと思います。

 

その頃に受けたカウンセリングで親に対する見方も変わり始めていました。

 

「そっか、親も分かんないんだ」

 

と。それまでは親は何でも分かってると思っていましたが、実は親も迷ったり、もがいていたことに気付けたんですね。

 

それで、かえって親に悪いことをしたなという気持ちや感謝の気持ちが出てきたんです。

 

その頃から自分の考え方も180度変わって、初めて周りを見る余裕ができるようになり、

 

「生きてて良かった」

「こんなに恵まれているんだったら人生なんとかなるだろう」

 

って実感したんです。そう思えたことが自分でもすごく嬉しかったですね。

 

留年してもなんとかなった経験も大きかったと思います。

 

だから就職先を探すときも、「一般のエントリーシートを書くような就活をしない方法」をとろうと思いました。

 

みんなと同じ方法で戦ってしまうと、自分がまた疲れちゃうと思ったんです。

 

就職サイトから、自分が行きたい所を選んで「ちょっと応募してみよう」というような気軽な感じで。そうしたらそこがたまたま採用してくれたんです。

 

社会人として働いているなかで、転機となる出来事がありました。

 

一人の友人が亡くなってしまったんです。自殺でした。

 

すごくショックでしたし、そうなる前に私にも何かできたんじゃないかと思う所もあって。

 

当時はブライダルの仕事をしながらも「自殺予防のために何かできることはないかな」と模索し始めました。それが2015年の夏でした。

 

実家のある秋田県には、自殺対策で有名な「蜘蛛の糸」という団体があります。

 

まずはそこに話を聞きに行こうということで、お盆に帰省しがてらお話を聞かせてもらいました。

 

2時間ぐらいいろいろとお話しして、「東京にもいろんな団体さんがいるよ」と紹介してくれて。そこで現実的に「自殺予防の活動、やってみようかな」と思い始めたんです。

 

そんな最中に、今度は従弟が亡くなったんです。友人と同じ、自殺でした。

 

また身近な人が自殺でなくなった事実はとてもショックで…。

 

気持ちがどんどん落ち込んでしまい、ついに会社に行くのがしんどくなり、退職することになりました。

 

どの自殺も止められた

私は、親戚や友人を自殺で亡くしているんですが、どの自殺も止められたんじゃないかと後悔しているんです。

 

「誰にも相談できなかった」「孤立してしまった」「親も気付かなかった」という状態でした。

 

もし、周りの人に気付く能力だったり、聴いてあげる能力があれば、防げたんじゃないかなと。

 

私が現在、所属しているNPOではまさにそういった自殺予防の観点から、「身近な人を支えることができる人を増やす」という活動を行っています。

 

精神的な病は家族でも支えるのが難しいことがあります。

 

悩んでいる方は「どうせ、私なんか死ねば良いと思ってるでしょ」なんて心無い言葉を吐いてしまうこともあります。

 

そうなると、家族が「支えたい」と思ってもしんどくなりますよね。

 

中には、支える立場が苦になってうつ病になってしまう人もいるんです。

 

だからこそ、支える側をサポートすることで負の連鎖を食い止めて、みんなが健康的で楽しく生きていける社会を作っていきたいと考えています。

 

あとは、子どもたちに対してもSOSの出し方を教えたいです。

 

「大人に本音って言えないよね」と思っている若い子って多いんですよ。

 

「拒絶されるし、(本人にとっては)重大なことだと受け止めてもらえない…」

「親は話聞いてくれないし…」

「友達に相談しても、堂々巡りで終わっちゃうんだよね…」

 

という意見をよく聞きます。実際、私も同じでした。

 

そのためにも、苦しんでいることを周りに伝えるのが当たり前の世の中にできればと思っています。

 

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自分の気持ちを素直に感じてみて

今、精神疾患で悩んでいる人に伝えたいのは「自分の気持ちを素直に感じてみて」ということです。

 

しんどい時期って、自分に意識が向いてるようで向いてない状態だと思います。

 

好きなものや嫌いなものが全く分からなくなっていませんか?

 

食べたいものもなくて「別になんでも良いや」と思ったり、怒っているのか、辛いのか、楽しいのか、つまらないのか…そんな感情も分からなくなっていませんか?

 

まずは自分に目を向けて、一旦、自分の感覚を取り戻してみてください。

 

私にとってはそれがとても意味のあることでした。

 

例えば、「何が食べたいんだろう」ってお腹に手を当てながら聞いてみるんです。

 

スーパーで食材の前に立って、「今はトマトが食べたい」といったように。

 

そうやって内面に目を向けるようにしたら、感覚が少しずつ戻ってきました。

 

生きている実感が戻ってくるというか、安定してくるんですよね。

 

そして、定期的に感情を吐き出すこともとても大事だと思います。

 

精神的な病を抱えてしまう人って、真面目な人が多いと思うんです。

 

「こう言ったら、ああ言い返されるかな」とか、自分の中でネガティブに考えてしまうことが多い。

 

でも、それは相手が決めることなので本能のままに生きてみることも大切だと思います。

 

余裕ができてくると、

 

「今日は空がきれいだ」

「雲が動いている」

 

という所にも目が向けられるようになって、

 

「世界って動いてるんだな。…ってことは自分も生きてるんだ」

 

と思えるようになるのではないでしょうか。

 

今なら両親に「ありがとう」と言える

私も自分の内面に目を向けることで、辛い経験を乗り越えられました。

 

今では両親に「ありがとう」という気持ちなんです。

 

私の場合、当時の親は精神的な支えにはなっていませんでしたが、逆に物理的な支援をしてくました。

 

「お金の心配がないように」「ひもじい思いをしないように」と物理的に援助をしてくれていたんです。

 

それはすごくありがたいと思っていて、それがなかったらきっと壁を乗り越えられなかったでしょう。私は親の援助のおかげで貧困に陥らずに、自分に集中する時間が持てました。

 

苦しみながらも、自分だけに集中して持てたので洞窟からの抜けが早かったかなと思っています。

 

それができない子も中にはいるわけで、本当にその点では感謝をしています。

 

いろんな思いはあったけれど、私と親の考えがお互い食い違っていただけ。

 

だから今は「ありがとう」って言いたいです。面と向かってはなかなか言えないのですけどね。

 

鎌田さんから読者へ

message (2)

 

私は自分自身が、出来る人間、頼られる人間にならなければ価値がないと思っていました。

 

でもある時、自分はそこそこのうっかり者で、ぼんやり者であると気づかされました。

 

うっかりだし、ぼんやりだし、割とダメダメだけど、あたたかい周囲に助けられている。

 

たまには、自分も周りの人の力になれている。

 

という自分を受け容れることができたとき、

 

ようやく、等身大の自分になれた気がします。

 

私は以前、躁うつ病と診断されましたが、今は通院などしていません。

 

本当に自分が躁うつ病なのかどうか、分かりません。

 

でも今は自分が心地良いと思えるペースで生きています。

 

それでいいのだ、と思えるようになりました。

 

現代には様々な生きづらさがあると感じています。

 

たくさんの情報が飛び交い、やらなければいけないことも多く、

 

便利にはなっていくけれど、目まぐるしい日々のなかで、

 

立ち止まる時間をつくり、ゆっくりとやわらかく、自分自身に問いかける時間を大切にしていただけたらなぁと思っています。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2017年3月4日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。