生きる意味がなくて自傷行為も。「諦め」が自分を受け入れる一歩目に

今回は、双極性障害Ⅱ型・境界性パーソナリティ障害傾向と向き合いながら、フリーランスでイラストレーター・エッセイストとして活動されている、ますぶちみなこさんにお話を伺いました。

 

子供の頃に感じた親への思いと不登校の経験、心の不調を感じるようになった激務だった社会人時代、モラハラ彼氏との出会い、自傷行為…。

 

そしてメンタル回復のきっかけになった花屋との出会いと、自分や病気との向き合い方などについて、お話しいただきました。

 

小学2年生の頃、登校拒否に

はじめまして。ますぶちみなこと申します。フリーランスで、イラストレーターとエッセイストをやっています。

 

エッセイストと名乗るようになったのは今年からですが、イラストレーターとして独立して2年ぐらいになります。

 

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幼い頃は、なんだか難しい子どもだったみたいです。

 

私は長女で弟がいますが、別に誰かに何か言われたわけではないのに、「しっかりしなきゃ」と思っていました。

 

そう思うようになったのは、小学校に上がる前の頃。

 

看護師である母は夜勤もあってとても忙しい人で、夜中私が起きたときに、隣に母がいなくてすごく寂しくて泣いていたことがあったんです。

 

その時、父に「泣かないの」「我慢しなさい」とたしなめられたんです。

 

それを聞いて、

 

「ああ、泣いちゃいけないんだ」

「我慢しなきゃいけないんだな」

 

と思うようになったのが、「しっかりしなきゃ」という意識の始まりだったと思います。

 

母が仕事で家にいないつらさや寂しさは、絵を描いたり絵本を読んだりして紛らわせていました。

 

特に本を読んでいると、その世界に入り込めるので、現実のつらいことを一時的にでも忘れられていたと思います。

 

ただ、小学2年生の頃になって、登校拒否をするようになったんです。

 

登校拒否って、いじめが原因だったりすることが多いと思うんですけど、私の場合、「何となく学校に行きたくないな」と思って、1日ずる休みをしたんです。

 

それなので、「なんで休んだのか」と先生や友だちに聞かれるのが嫌で、学校に行きたくなくなって、ずるずる学校を休んでいたら、3カ月ほど登校拒否をするように。

 

今振り返ると、登校拒否を通じて親に何か表現したかったんでしょうね。

 

心配してもらえれば、忙しい母も自分のそばにいてくれるかもしれないと思って。とにかく、気を惹きたかったんですよね。

 

登校拒否の間、母にワープロを買ってもらって、毎日いろいろな絵文字とかを使いながら何かを書いたり、絵を描いたり、本を読んだりして過ごしていました。

 

元々、母の仕事用ワープロを借りて、日記や文章を書いたりしていたんです。

 

それで、「私も子ども用のワープロが欲しい」「白とピンクのかわいいワープロを買ってくれたら学校に行く」と言って、ワープロを買ってもらったんです(笑)

 

わがままを言えたのは、そのワープロを買ってもらえたのが初めてくらいのことでした。

 

自分で「しっかりしなきゃ」と思っていたこともあって、わがままを言うのがすごく下手で。

 

ただ、本音の部分では自分の感情に気付いてほしかったし、わがままも言いたかった。その思いが登校拒否の中で出てきたんだと思います。

 

母は、私の登校拒否が続いたことを機に1回仕事を辞めました。自分の責任だと思ったそうです。

 

登校拒否を始めて約3ヶ月後。母に半ば無理やり、学校に連れていかれました。

 

私は「嫌だ、嫌だ」と泣いて、引きずられて学校に行ったんですけど、母も父も「病院に連れていくしかない」と、かなり悩んだみたいですね。

 

学校復帰の当日、母は私のクラスの壇上に立って、

 

「うちの子は、小さい頃から私があまり見てあげられていなくて、学校を休みがちだったり、いろいろあるけれど、みんな仲良くしてあげてね」

 

と、クラスメイトに言ってくれたこともあり、学校への復帰は割とスムーズだったと思います。

 

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体を動かすことで心身のバランスが取れた

地域のソフトテニスのクラブにも入っていたことも、すごくよかったと思っています。

 

それまでは絵を描いたり、本を読んだりとインドアな趣味だったのが、体を動かすことによって、心身のバランスが取れたようで、それからは活発な子になっていきました。

 

ただ、中学校生活は難しかったですね(笑)

 

ソフトテニス部に入り、先輩からは、「小学校のソフトテニスクラブに入っていた子が来た」と注目されて、顧問の先生には「ますぶち、お前、あの先輩と対決してみろ」と言われたり。

 

「先輩に勝ったらまずいけど、ちゃんとやらないのも失礼かな」と、結局先輩に勝ってしまい疎まれてしまっていました。

 

それでも、2,3年生になって、エースやキャプテンをやるようになり、3年生になって団体戦で優勝することができて、みんなで泣きましたね。

 

それまでは泣くときは悲しいことばかりだったので、嬉しくて涙が出るということを初めて体験しました。

 

部活に懸けた3年間の集大成で優勝することが出来て、これまでの成功体験の中でも大きな出来事になりました。

 

高校は学区内で2番目の進学校。中学生の時にイラストレーターになろうと決めてから、美大に行きたかったので受験のしやすい進学校を選んだんです。

 

高校3年間は「美大に進むためのステップ」としか思っていなかった部分もあって、あまり楽しめなかったですね。

 

そのため、高校の間はあまり自分を出せなかったです。

 

ある友達が、私のことを「自分に合わせてくれるから好き」と言ってきたことがあったんです。人に合わせられることが長所だと言われて、私はすごく違和感を覚えました。

 

実際、自分が一緒にいたかった人のグループに入れなかったこともあって、友達とおしゃべりするのがあまり楽しいと感じられずに3年間を過ごしていました。

 

美大受験も、一浪して計2回受験したんですけど、ご縁がありませんでした。

 

受験シーズンの冬がもともと苦手で、今思うと「冬季うつ」のような症状もあった気がします。

 

受験が近付いてくると、甘いものをひたすら食べたり、気持ちがふさぎがちになって何もしたくない…という状態になることがしばしばありました。

 

そのため、現役の時も浪人の時も受験の直前の追いこみができず、納得がいく受験勉強ができませんでした。

 

もう1年浪人させてもらおうか迷いましたが、両親の金銭的な負担がかなり大きくなると思い、3年制の専門学校へ。

 

専門学校には本当にユニークな人が多過ぎて、逆に「私なんか何もないな」と思ってしまいました。やっぱり人と比べてしまって…。

 

絵を描くのが好きな子ばかりだったので、授業中も先生が講義しているところでずっと絵を描いているような子がいて。「私とは情熱量が違う」と感じました。

 

やりたいことに対して、自分はどれぐらいの熱量があるのだろうか、と思い悩むこともあって、アルバイト先の会社の人に、学校の友達の情熱量に圧倒された話をしてみたんです。

 

すると、「プロの視点から言うと、大事な講義を受けている時に他のことをするのは違う。そんなことで悩むことないよ」と。

 

その言葉を聞いて、「ああ、そうか、別に比べなくてもいいのか」と少し楽になれましたね。

 

卒業後は正社員として、そのままその会社で働くことになりました。

 

専門学校の3年生の時、周りが就活をしていたので、私も何社か受けてみたのですが、あまりしっくりくる会社がなくて。

 

多分、自分のやりたいことがあまり定まってなかったんですよね。

 

その時は、入社後にメンタルに不調をきたすほどの苦しい思いをするなんて思ってもいませんでした。

 

終電という言い訳がないと帰れない

まず、就職するはずの制作会社がちょうど私が入社する時に取引先の会社の制作部として吸収されてしまったんです。

 

会社名も変わり、社長さんが営業出身の方で、考え方がすごく体育会系な感じで会社の雰囲気も変わりました。

 

さらに、とある事情で、何が何でも売り上げを上げないと会社がつぶれるという厳しい状況になっていました。

 

そういった状況の変化があり、新卒なのに重要な会議に毎週出なくてはならず、何か意見を言わなくてはいけなくて、毎回頑張って準備をして意見をひねり出していましたが、とても辛かったです。

 

何かミスがあると徹底的に叩くところがあって。会議もピリピリした空気で、「それは本当に実現できるのか。根拠は何なんだ」と、社長がガンガン聞いていくのですごく気が重かったです。

 

その頃は、1時間ほどかけて通勤して、朝9時から終電まで働き、また次の日は9時に出社して…という生活を続けていました。

 

上司が残っていると帰りづらくて、仕事は終わっているのに、残って翌日の仕事を前倒しでやったりしていました。

 

終電という言い訳がないと帰れなくなってしまいました。

 

上司もかなり追い込んで仕事をする人で、「成果を出さなければ存在意義がない」といったことを言う人で、すごく自分を追い詰めて仕事をしていました。

 

当時は、「あまり頑張りすぎず、ちょっとゆるく働く」といった発想が全然ありませんでしたね。

 

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さすがにこの状況を辛いと思っていたので、心療内科にかかったりもしました。

 

仕事のストレスで胸がドキドキする、呼吸がしづらい、手が震えたりする…そんなことを伝えたと思いますが、特に診断名はつかずにお薬を処方されていました。

 

心療内科に通って、お薬も飲みながら仕事をしていたのですが、ストレスの根本である職場環境は何も変わっていないので、薬が効いている感じが全然しませんでした。

 

症状が明るみに出たのが、上司にちょっとしたことで怒られた時のことです。ストレスなど色々なことが重なって、仕事中に泣き出してしまったんです。

 

仕事中に泣いてしまったことに自分自身も動揺してしまい、「気分を立て直してきます」と給湯室に行った時に、処方されていたお薬を10錠くらい一気に飲んでしまい…。

 

日報だけ書いて、「今日は体調が悪いので帰ります」と言って帰りました。

 

その後、予定があったんですけど、その場所に行った時に薬が効いてきたせいか倒れてしまったんです。

 

その時の彼氏が私の上司に連絡して、私にも事情を聞かれて、「実は心療内科に通っていて、薬を飲んでいる」という話をしたら、問題になってしまって。

 

それからちょこちょこ休むようになって、そのまま会社を辞めました。正社員になって半年の時でした。

 

会社を辞めた時は、大変なことをしてしまったなという気分でしたね。いろんな人に迷惑をかけたなと思って。

 

もっと頑張れたんじゃないか、とも思いましたね。

 

体調が悪くなって、会社を辞めるか辞めないかの時、社長に「俺は医者じゃないけど、君の話を聞いていれば分かる。君は病気だ」と言われたんです。

 

それを言われた時、私は社長に上司との関係のことを相談していたんです。

 

「仕事がうまくいかないのは、私が病気だからだ」と言ってきて、すごく突き放された感じがしました。

 

でもやっぱり、「働いていなければいけない」と思っていたので、会社を辞めて、これからどう生きていけばいいのかなと不安になりましたね。

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2017年8月11日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。

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