心の病と向き合うフリーのイラストレーター【ますぶちみなこさん Part1】

2017.08.11公開 2017.08.15更新
 
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今回のインタビューでは、双極性障害Ⅱ型(境界性パーソナリティ障害傾向)と向き合いながら、フリーランスでイラストレーター・エッセイストとして活動されている、ますぶちみなこさんにお話を伺いました。

 

 

はじめまして

はじめまして。ますぶちみなこと申します。フリーランスで、イラストレーターとエッセイストをやっています。

 

エッセイストと名乗るようになったのは今年からですが、イラストレーターとして独立して2年ぐらいになります。

 

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「しっかりしなきゃ」の始まり

幼い頃は、なんだか難しい子どもだったみたいです。

 

私は第1子の長女で弟がいますが、別に誰かに何か言われたわけではないのに、「しっかりしなきゃ」と思っていました。

 

そう思うようになったのは、小学校に上がる前の頃。

 

看護師である母は、夜勤もあってとても忙しい人で、夜中私が起きたときに、隣に母がいなくてすごく寂しくて泣いていたことがあったんです。

 

その時、父に「泣かないの」「我慢しなさい」とたしなめられたんです。

 

それを聞いて、

 

「ああ、泣いちゃいけないんだ」

「我慢しなきゃいけないんだな」

 

と思うようになったのが、「しっかりしなきゃ」という意識の始まりだったと思います。

 

 

小学2年生の頃、登校拒否に

母が仕事で家にいないつらさや寂しさは、絵を描いたり絵本を読んだりして紛らわせていました。

 

特に本を読んでいると、その世界に入り込めるので、現実のつらいことを一時的にでも忘れられていたと思います。

 

ただ、小学2年生の頃になって、登校拒否をするようになったんです。

 

登校拒否って、いじめなどが原因だったりすることが多いと思うんですけど、私の場合、「何となく学校に行きたくないな」と思って、1日ずる休みをしたんです。

 

それなので、「何で休んだのか」と先生や友だちに聞かれるのが嫌で、学校に行きたくなくなって、ずるずる学校を休んでいたら、3カ月ほど登校拒否をするようになってしまって。

 

今振り返ると、登校拒否を通じて親に何か表現したかったんでしょうね。

 

心配してもらえれば、忙しい母も自分のそばにいてくれるかもしれないと思って。とにかく、気を引きたかったんですよね。

 

 

登校拒否中の「わがまま」

登校拒否の間、母にワープロを買ってもらって、毎日いろいろな絵文字とかを使いながら何かを書いたり、絵を描いたり、本を読んだりして過ごしていました。

 

元々、母の仕事用ワープロを借りて、日記や文章を書いたりしていたんです。

 

それで、「私も子ども用のワープロが欲しい」「白とピンクのかわいいワープロを買ってくれたら学校に行く」と言って、ワープロを買ってもらったんです(笑)

 

わがままを言えたのは、そのワープロを買ってもらえたのが初めてくらいのことでした。

 

自分で「しっかりしなきゃ」と思っていたこともあって、わがままを言うのがすごく下手で。

 

ただ、本音の部分では自分の感情に気付いてほしかったし、わがままも言いたかった。その想いが登校拒否の中で出てきたんだと思います。

 

 

学校復帰の日。母がクラスの壇上で

母は、私の登校拒否が続いたことを機に1回仕事を辞めました。自分の責任だと思ったそうです。

 

登校拒否を始めて約3ヶ月後。母に半ば無理やり、学校に連れていかれました。

 

私は「嫌だ、嫌だ」と泣いて、引きずられて学校に行ったんですけど、母も父も結構参っていて、「病院に連れていくしかない」などと、かなり悩んだみたいですね。

 

学校復帰の当日、母は私のクラスの壇上に立って、

 

「うちの子は、小さい頃から私があまり見てあげられていなくて、学校を休みがちだったり、いろいろあるけれど、みんな仲良くしてあげてね」

 

と、クラスメイトに言ってくれたこともあり、学校への復帰は割とスムーズだったと思います。

 

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熱血系のとにかく変な先生

3年生になって、担任が松岡修造さんみたいな熱血系の先生になりました。

 

男女で力の差が出てくる年ごろでしたが、男女でドッジボールをできるようにルールを考えたりして、みんなで体を動かすことを楽しむことを教えてくれた先生でした。

 

とにかく変な先生で、毎日、教室の一番後ろから黒板に向かって飛び蹴りをするんです。

 

先生が飛び蹴りをして黒板に足跡をつけるんですけど、その高さを毎日自分でチェックして、昨日よりちょっと低かったなというようなことを言ったりして。あり得ないですよね(笑)

 

自分で自分の記録を塗り替えるのに一生懸命になっているのを見て、「何かこんな変な人でもいいんだな」「巻き込まれてみようかな」と思っていました。

 

同じ頃、地域のソフトテニスのクラブにも入っていたことも、すごくよかったと思っています。

 

それまでは絵を描いたり、本を読んだりとインドアな趣味だったのが、体を動かすことによって、心身のバランスが取れたようで、それからは活発な子になっていきました。

 

 

ソフトテニスでの成功体験

中学校生活は、まあ難しかったですね(笑)

 

ソフトテニス部に入りましたが、私は小学校3年生の時からやっていたので、中学校からソフトテニスを始める子とすごくレベルに差があって、みんなに教えなければいけない立場でした。

 

ただ、先輩からは、「小学校のソフトテニスクラブに入っていた子が来た」と注目されて、顧問の先生には「ますぶち、お前、あの先輩と対決してみろ」と言われたり。

 

「先輩に勝ったらまずいけど、ちゃんとやらないのも失礼かな」と思ったり、どうしようか考えて、結局普通にやって、先輩に勝ってしまい疎まれていたと思います。

 

とにかく生意気に見られないように、礼儀正しくすることに気を付けていました。

 

2,3年生になって、エースやキャプテンをやるようになり、私が1年の時は弱小部でしたが、3年生になって団体戦で優勝することができて、みんなで泣きました。

 

それまでは泣くときは悲しいことばかりだったので、嬉しくて涙が出るということを初めて体験しました。

 

部活に懸けた3年間の集大成で優勝することが出来て、これまでの成功体験の中でも大きな出来事になりました。

 

 

自分を出せなかった高校時代

高校は学区内で2番目の進学校でした。中学生の時にイラストレーターになろうと決めてから、美大に行きたかったので、受験のしやすい進学校を選んだんです。

 

高校3年間は「美大に進むためのステップ」としか思っていなかった部分もあって、あまり楽しめなかったですね。

 

そのため、高校の間はあまり自分を出せなかったです。

 

ある友達が、私のことを「自分に合わせてくれるから好き」と言ってきたことがあったんです。人に合わせられることが長所だと言われて、私はすごく違和感を覚えました。

 

実際、自分が一緒にいたかった人のグループに入れなかったこともあって、友達とおしゃべりするのがあまり楽しいと感じられずに3年間を過ごしていました。

 

 

イラストレーターを志したきっかけ

中学2年生ぐらいの時、「ポストペット」というメールソフトを何かで見つけて、「私もやりたい」と思ったんです。

 

それで、HTMLの本を買って、他の人のウェブページを真似しながらホームページを作り始め、パソコンで絵を描いて、それらをホームページに載せていました。

 

ホームページに絵を載せるたびに絵を描く機会も増えて、イラストレーターになりたいと思うようになりました。

 

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3年制の専門学校に進学

美大受験は一浪して、計2回受験したんですけど、ご縁がありませんでした。

 

受験シーズンの冬がもともと苦手で、今思うと「冬季うつ」のような症状もあった気がします。

 

受験が近付いてくると、甘いものをひたすら食べたり、気持ちがふさぎがちになって何もしたくない…という状態になることがしばしばありました。

 

そのため、現役の時も浪人の時も、受験の直前の追いこみができず、納得がいく受験勉強ができませんでした。

 

もう1年浪人させてもらおうか迷いましたが、両親の金銭的な負担がかなり大きくなると思い、3年制の専門学校に入りました。

 

 

「私とは情熱量が違う」

専門学校には面白い子がいっぱいいました。本当にユニークな人が多過ぎて、逆に「私なんか何もないな」と思ってしまいました。やっぱり人と比べてしまって…。

 

絵を描くのが好きな子ばかりだったので、授業中も先生が講義しているところでずっと絵を描いているような子がいて。「私とは情熱量が違う」と感じました。

 

やりたいことに対して、自分はどれぐらいの熱量があるのだろうか、と思い悩むこともあって、アルバイト先の会社の人に、学校の友達の情熱量に圧倒された話をしてみたんです。

 

すると、「プロの視点から言うと、大事な講義を受けている時に他のことをするのは違う。そんなことで悩むことないよ」と言ってくれました。

 

その言葉を聞いて、「ああ、そうか、別に比べなくてもいいのか」と少し楽になれましたね。

 

 

アルバイト先にそのまま就職するも…

卒業後は正社員として、そのままその会社で働くことになりました。

 

専門学校の3年生の時、周りが就活をしていたので、私も何社か受けてみたのですが、あまりしっくりくる会社がなくて。

 

多分、自分のやりたいことがあまり定まってなかったんですよね。

 

そんな中、最終的にはアルバイトしていた会社に誘ってもらえたんです。

 

お互いのこともよく知っているし、私がどういう仕事ぶりかも分かってもらった上で誘ってもらっていたので、「ありがたい」という感じで最初の就職をすることにしました。

 

ただ、その時は、入社後にメンタルに不調をきたすほどの苦しい思いをするなんて思ってもいませんでした。

 

続きは第2回へ

 

 

ますぶちみなこさん全インタビュー

【Part1】心の病と向き合うフリーのイラストレーター

【Part2】治らない病気、仕事もできない…生きる意味って?

【Part3】「誰かになろうとしなくていいと思いたい」

 

 

インタビューを受けてくださる方、募集中です

臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、保健師、産業カウンセラー、支援機関の職員など、すでに多くの方にインタビューを行っています。ご自身が、有名かどうか、権威かどうかは関係ありません。

 

また、精神疾患などの当事者の方、メンタルヘルスや人間関係でお悩みの方などのインタビューも行っております。

 

これまでの経験・取り組みや、ご自身の想いを読者に届けていただき、Remeのミッションである「こころの専門家へのアクセスの向上」「こころの健康に関するリテラシーの向上」の実現のために、お力をお貸しいただけますと幸いです。

 

 

ご興味をお持ちいただけましたら、下記フォームよりお問い合わせください。24時間以内にご連絡いたします。

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