「できない=怠け」と思っていた自分に若年性パーキンソン病が教えてくれたこと

2020.04.26公開 2021.05.15更新

難病情報センターによると、患者数が約10万人とも言われるパーキンソン病。

 

発病メカニズムは不明で、効果的な治療方法も未確立(2020年4月現在)である指定難病のひとつです。

 

40歳以下で発症した場合は「若年性パーキンソン病」と呼ばれていて、主な症状としては以下が挙げられています。

【静止時振戦(せいしじしんせん)】
何もしないでじっとしているときにふるえるなど症状
【筋強剛(きんきょうごう)】
肩、膝、指などの筋肉がかたくなって、スムーズに動かしにくいなどの症状
【無動(むどう)】
歩くときに足が出にくくなるなどの症状
【姿勢反射障害(しせいはんしゃしょうがい)】
体のバランスがとりにくくなり、転びやすくなるなどの症状
 
参照元:パーキンソンスマイル.net

今回のインタビューは、若年性パーキンソン病当事者のつとさん。

 

発症前に比べて働き方を大きく変えつつ、周囲の理解を得ながら現在もフルタイムで働いています。

 

発症前は暇さえあれば働いていたというつとさん。

 

どのように体調の異変に気付き、若年性パーキンソン病という診断にたどり着き、そして家族や会社からの理解を得たのか、などについてお話しいただきました。

 

若年性パーキンソン病 診断前の異変

近藤
若年性パーキンソン病と診断される前、今思えば前兆と感じるエピソードはありましたか?
つとさん
今振り返るとですが、最初の変化のきっかけは血圧でした。
近藤
血圧…ですか?
つとさん
2014年の健康診断で、急に血圧が(上)146(下)94と上がったんです。それ以後、

 

2015年(上)146(下)104

2016年(上)154(下)100

2017年(上)156(下)104

 

と上がり続けました。血圧が上がる前は、

 

2012年(上)116(下)74

2013年(上)124(下)86

 

でしたので、2014年を境に急に高血圧な人になりました。

近藤
なるほど…。他には何か変化は?
つとさん
息子が少年野球をしていたので、小2くらいからよくキャッチボールをしていたんですね。

 

ところが、2014年くらいからボールの制球がしっかりできなくなり、とんでもないところへボールがいくようになってしまいました。

近藤
ちょっとコントロールが悪いくらいのレベルではなかったんですね。
つとさん
そうですね。その時ちょうど40歳だったので、

 

「これがいわゆる四十肩か!」

「厄年の洗礼か!」

 

とか思い、近所の整体やたまに鍼灸へ行き、身体をほぐせば何とかなるんじゃないかと思っていました。

 

この時はパーキンソン病の「パ」の字も浮かんでいません。

IMG_5476のコピー

 

 

若年性パーキンソン病と診断されるまで

近藤
最初に病院に行ったきっかけは何でしたか?
つとさん
最初に病院に行こうと思ったのは、2015年8月。

 

営業の帰り道、オフィスの近くである銀座松屋の前で、急に左膝の動きが悪くなり、左脚を引きずって歩くようになったことがきっかけでした。

近藤
突然、歩行に支障が出たんですね…。
つとさん
それまでも、キーボードを打つ際に左手が痺れたり、火照ったり、指が固縮したりといった症状がありました。

 

それら全て左側に症状が出ていたので、右脳に何かしらの問題が生じて、脳梗塞か脳に腫瘍ができているのではないかと考えました。

近藤
なるほど。
つとさん
とりあえず脳を検査してもらいたいと思い、近所にある総合病院へ行きました。

 

呂律のことやら色々と問診してもらったのですが「問題ない」という判断でした。

近藤
?!
つとさん
そうは言っても脚が動かないので、このまま引き下がれないオーラを出しました。笑

 

それで「とりあえず、MRIを撮らないと収まりつかないよね」と、しぶしぶMRIとレントゲン検査をしてくれることになったんです。

近藤
ふむふむ。
つとさん
その結果、ドクターからしてみれば「ほら見たことか」と言わんばかりの表情で、「こんなに綺麗すぎる脳だから、問題ないよ」と言われる始末でした。
近藤
詳しい検査をしても「問題なし」…。
つとさん
そこから鍼灸、整体、座禅、睡眠クリニックで、症状の緩和に努めました。

 

しかし、正直どれも効果があったとは言いづらいもので、徐々に症状が進行している感じでした。

近藤
生活への支障は?
つとさん
歩く時は足を引きずるなどして、しんどいながらもなんとか日常生活は維持をしていました。

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近藤
ギリギリの状態ですよね…。
つとさん
ただ、明らかに姿勢もおかしいし歩き方も変だからと、当時のお客様で睡眠クリニックのお医者さんがいて、診てもらうことになったんです。
近藤
睡眠ですか?
つとさん
はい。それで検査を受けてみた結果、「睡眠時無呼吸症候群」。

 

富士山の八合目で寝ているようなもので、脳に酸素が全然行っていない状態と言われました。

近藤
それが様々な症状の原因だと?
つとさん
「睡眠負債さえ解消できれば、この症状も治るんだ」と当時は思っていました。

 

医療器具などを活用して「脳に酸素を送っていけば治るんだ」と。

近藤
実際に改善がみられたのでしょうか?
つとさん
思い込みが強いほうなので、当初は治ってきている感覚もあったんです。

 

ただ、治療を続けていく中で、やはり症状が進んでいってましたね。

近藤
その後も睡眠の治療を続けたんでしょうか?
つとさん
あまり改善していないことは睡眠クリニックの先生に正直にお伝えしました。

 

そこで様々な医療機関を紹介してもらい、MRIやCTでの検査をしたのですが、どれも「問題なし」でした。

近藤
症状が出ているのに検査では問題なしという状況は苦しい…。
つとさん
そうですね。

 

その一方で、MRIとCTで異常がみられず、体の片側から症状が出ている場合、パーキンソン病の可能性が高いという情報を知ったんですね。

近藤
そこで初めてパーキンソン病かもと?
つとさん
はい。困ったら東大病院ということで、紹介状を書いてもらって東大の神経内科を受診したんです。

 

そこで一発で「若年性パーキンソン病です」と言われました。

近藤
最初の異変から若年性パーキンソン病と診断されるまでどれくらいの期間でしたか?
つとさん
2018年5月に「若年性パーキンソン病」と診断を受けたので、3年ほどかかりました。

 

でもその時の気持ちは、変かもしれませんが正直ホッとしました。

 

何の病気か分からない状態よりも、何と闘って行けば良いのかハッキリしたからだと思います。

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近藤
ようやく異変の正体がわかったという感じでしょうか。
つとさん
はい。と同時に、これからの人生を考えると「お先真っ暗で、絶望感がじわじわと襲ってきた」のも事実です。

 

会社も辞めないと行けないだろうし、家族も養えなくなるから、離婚も考えなくちゃならないだろうし。

 

「自宅を売却して子供の進学に必要な資金を作らないといけないかな」とか色々考えました。

近藤
色々なことへの恐怖心がどっと襲ってきたと。
つとさん
中でも、職を失うことへの恐怖感は半端なく、会社(社長)に伝えるには勇気が必要でした。

 

ただ、検査に行っていることは伝えていたので、妻とも相談し会社にはすぐ伝えることができました。

近藤
奥様がご病気に対して理解があったのですね。
つとさん
一緒に病院にもついてきてくれましたし、診断前から「パーキンソン病じゃないかな?」といった話もしていました。
近藤
お子様に対しては?
つとさん
隠すこともないので、「もしかしたら病気で働けなくなるかもしれない」と伝えてました。

 

収入面で厳しくなることも想定して、妻の負担が増えないようにと、どちらかというと協力を仰ぐという感じでした。

近藤
ご家族に対しては比較的スムーズにお伝えできたんですね。
つとさん
口頭だけでなく、「パーキンソン病とは?」という内容や「家族にお願いしたいこと」を紙にまとめて伝えていました。

 

それを自宅のよく見られる場所に貼っておいたのがよかったのかもしれません。

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つとさんが実際にご自宅に貼っているもの

 

近藤
紙に書いてしっかり伝えるのも大事ですよね。
つとさん
ありがたいことに妻には、

 

「一緒にがんばろ。つとさんならきっと難病も治っちゃうよ」

 

と笑顔で言ってもらえて…。すごく安心できました。

近藤
会社へすぐにお伝えできたのも、きっと奥様の後押しが大きかったですよね。
つとさん
そうですね。そして社長にも、

 

「こういう時はお互い様や。見捨てへんから、心配すんな。安心せい。とにかく、身体のことを第一に考えや」

 

と言ってもらい、泣けてきたことを覚えてます。

 

若年性パーキンソン病 原因のこと

近藤
若年性パーキンソン病の原因はまだ解明されていませんが、ご自身の感覚として何か思い当たることってありますか?
つとさん
自分なりに原因を考えてみると「ストレス」が最大の要因だと思っています。
近藤
かなりハードワークされていたんですか?
つとさん
元々ワーカホリックなタイプで、平日終電は当たり前、土日祝出勤も当たり前。

 

仕事を抜くと何も残らないような仕事人間でした。

 

だから、仕事が上手くいってないと24時間ずっとストレスで、上手くいったらいったで「もっとやるぞ!」と余裕がない人でした。

近藤
仕事人間のお手本のような感じが…笑
つとさん
ですね。笑

 

血圧が上がってきた頃は、ずっと一緒にやってきた仲間と思えるメンバーが立て続けに退職し、精神的ダメージが大きかったことがあります。

 

営業のプレッシャーも大きくなり、「もうこれ以上背負えない」と感じ、心の中で何かが崩れたような感じでした。

近藤
かなり大きなストレスがかかっていたんですね。
つとさん
とは言え、「働かなきゃ」とストレス発散と称して、

 

・ラーメンやカレーなどの偏った食事

・ドリンク剤やカフェイン摂取

・深夜の食事、睡眠不足

・無理なランニングや水泳

 

など、弱った身体に鞭を入れ続けた結果だと振り返っています。

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近藤雄太郎

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  • 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
  • 本記事は2020年4月26日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。