過干渉な母親、うつ病での休職、死産…開き直れて始まった第二の人生

2017.09.20公開 2020.05.24更新

先生の前で私を怒鳴る母

母親は勉強に関してもかなり干渉してきて、テスト結果を見て、80点以下があると、三者面談で先生の前でも怒られました。

 

「なんでできないの!」と怒られて、先生が動揺しているという状態でしたね。笑

 

そういう時は、とりあえず「はい。すいません。頑張ります」と答えていました。

 

怒られることに慣れてしまっていたせいか、「どうしよう」と焦ったりすることはありませんでした。

 

自分自身は勉強をかなり頑張っていたので、テストの点数が良くなくて親にいろいろ言われても「これ以上は無理」という気持ちでした。

 

大学は府立大学に行って、管理栄養士を取りました。

 

もともとは、数学の教師を目指していましたが、親からは「就職先が教師か学者しかない。先がないからやめてくれ」と。

 

「他のことにしてほしい」と言われて、逆らえずに他に好きなことを考えた時に思い出したのが料理でした。

 

管理栄養士になろうと決めたのはそんな単純な理由。

 

先生になる夢を閉ざされたときは、ちょっと引きずりましたが、先生と同じ「教える仕事」でも塾の講師のアルバイトをすることでなんとか気持ちを切り替えていました。

 

母親は、なぜか大学の成績を気にしたことはなく、大学生活だけは親からのプレッシャーもそれほどなく、すごく自由に過ごせました。

 

弟がいるのですが、私が大学に入ってからは、母は弟の大学受験にかかりきりになって、私のほうは放任になっていたのだと思います。

 

とにかく弟は勉強詰めだったみたいでしたが。笑

 

うつで休職中のことと転職

大学を卒業後、冒頭でもお伝えした健康食品の会社に就職しました。

 

ちょうど健康食品ブームが起きていて、テレビでも健康食品がよく取り上げられていた時期でした。

 

朝から晩まで仕事をして、親から離れられると思ったら、仕事が増え過ぎてしまい、今度は「帰ってくるのが遅い」と文句を言われ…。

 

そんな中、急に悲しくなるなど気持ちの異変があって、友人の勧めで病院に行ったところ、うつ病と診断され休職。

 

休職中、同時期にうつ病になってしまった友人と、お互いに励まし合いながら「将来どうしていこうか」と話したりしていました。

 

別の知人からは「大阪だけど、もし仕事をしたいなら来てみる?」と声をかけてもらいました。

 

まだ、うつ病の治療中で、朝起きにくいことも相談してみたところ、出勤時間を変えてもらったり、在宅勤務の日も作ってもらえたので、そこで働くことになりました。

 

その会社はサプリメントを扱う会社で、管理栄養士としてお客さま対応を中心におこなっていましたが、とても働きやすかったですね。

 

しんどいことがあると、1日休ませてもらったり、何か問題があると思ったときに話しやすい環境だったので、それがすごく良かったと思います。

 

ちょっと体調が悪くなることもありましたが、2年半ぐらい勤めました。

 

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妊娠、死産、そして離婚

27歳の時、結婚を機に退職して、生活がまたガラッと変わりました。

 

石川県に嫁いだのですが、農家だったので農作物の手入れの仕方を勉強したり、収穫を手伝ったり。

 

大変なこともありましたが、うつには農業がよかったみたいですね。

 

土を触るのがいいみたいで、日光にも当たるからか体調面がとても安定してきて、畑仕事を進んで手伝うようになりました。

 

でも、農業しかやることがないくらいの田舎だったので、買い物に行って家事をして終わったら、もうテレビを観るしかやることがなかったですね…。

 
暇過ぎるのがよくなかったみたいで、またちょっと体調も悪くなり出して、仕事を始めようかなと思っていた矢先、妊娠が分かりました。

 

妊娠が分かって1週間後ぐらいにはつわりが始まり、動けないぐらいになって入院することに。

 

入院に関して、旦那のご両親があまり協力的ではなく、旦那には「入院している時に1人で耐えるのが普通だろう」といったこと言われて、不信感が芽生えていました。

 

そんな不安定な状況の中、実家に帰ったのですが、赤ちゃんの心拍が弱くなっていき、死産になってしまったんです。

 

「赤ちゃんがいなくなってしまって、これからどうしよう…」と、ただただ途方に暮れていました。

 

ただ、石川には絶対に戻らないと決めました。そこから少し時間はかかりましたが離婚をしました。

 

もともと夫は、妊娠して、つわりで苦しんでいる私の横で、お酒を飲んではしゃいだりしているような人でした。

 

「何とか赤ちゃんに生きていてほしい」と、私は静かに寝ているだけの生活の一方で、夫は旅行に行ったり、忘年会だ、新年会だ、と。

 

旦那の実家でも、自分の立ち位置がどこか浮いている感じがして、「これからどうしよう」とずっと迷っていました。

 

死産を経て、きちんと1回リセットしようと思えるまでには時間がかかりましたね。

 

仕事を再開して、区切りをつける

きちんとリセットをしようと、踏ん切りがついたきっかけは仕事の再開でした。

 

まずは派遣社員として何か所か働いてみましたが、女性の集団の中に入り込むことができなくて、少しトラウマになってしまいました。

 

「何で女子の中に入れないんだろう」と思う反面、「私には合っていないんだ」と自分の状況を受け入れるようになり、「それなら自分で仕事をしよう」と思うようになりました。

 

そして、30歳の頃に数学の家庭教師を始めたんです。

 

家庭教師が一番性に合っているようで、もう8年半ほど続けています。

 

私自身、勉強ができなかった過去の経験もあるので、教えることは楽しいですが、教師になっていれば…といった後悔は今は全くないですね。

 

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家庭教師として、不登校で引きこもりの子や、学校で暴れている子にも教えていたことがきっかけで、カウンセリングの勉強を始めて資格も取りました。

 

ある子が1人、布団から一切出てこなかったことがあったんですね。

 

そのときは、1時間くらいそばにいて、私のしんどかった過去の話をしたり、勉強を無理強いはせず、気長に向き合うことで、徐々に心を開いてくれました。

 

逆説的ですが、家庭教師としての私は、子どもに勉強を教えることはしませんでした。

 

改めて、家庭教師という仕事は自分にも合っていると感じていましたし、お子さんやご家族の役に立っているという実感も持つことができました。

 

雑誌『きらり。』の創刊

家庭教師をしていた頃、発達障害の支援サイトを作ろうとしている人に出会い、「当事者のコーナーを作りたい」と声をかけてもらったことがありました。

 

それで会ってみたら、とても気が合い「一緒にやりましょう」と『ちいさな森』(現在休止中)というサイトを始めました。

 

サイトでは、発達障害の子どもを持つお母さんを支援する活動をしていましたが、自分たちで雑誌を作ることに。

 

「雑誌を作ろう」と決まってから、構想ができ上がるまで1ヶ月かかってないですね。笑

 

構想がまとまって、私が会社を設立し、2016年12月にクラウドファンディングをしました。

 

そこで集まった100万円を元手にして2月に会社設立をし、4月に創刊とすごいスピードで進みました。

 

雑誌の名前の『きらり。』には、障害者でもきらりと輝けるという意味を込めています。

 

雑誌を作る中で、取材をしていろいろな人にお会いできるのが楽しいですね。

 

通信販売もしていますが、地元京都の大垣書店さんも置いてくださっています。

 

出版業界が初めてだったことと、写真も文字もデザインは私が全部ソフトを使って作っているので、最初はそれが全然わからなくて大変でした。

 

それでもありがたいことに、新聞、テレビ大阪、NHK京都・関西・全国と取材、放送をしていただいて、少しずつ『きらり。』を知っていただける機会が増えたのではないかと思っています。

 

実際に読んだ方の感想で多いのが、「リアル」「生々しい」という感想です。

 

よく本に書いてあるような障害の解説や、偉い先生が書いているような話ではなくて、生活に沿った体験談が多く、身近な印象を受ける本だと言われています。

 

『きらり。』を読まれる方は、障害を持ったお子さんのお母さんもそうですし、当事者の方も多いです。

 

ですので、『きらり。』をきっかけに、月に1回ぐらい読者の交流イベントができたらいいね、という話もしています。

 

治そうという気持ちがなくなった

これまでの人生を振り返って、ターニングポイントはやはり家庭教師を始めた30歳の頃ですね。

 

家庭教師を始めたとともに、うつ病であるということを開き直れた時なんですよね。

 

うつ病であっても病気に合わせた働き方をしたらいい、と思えたんです。

 

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それまでは周りに合わせて辛くなってしまったりもしましたが、うつ病も6年になって、治そうという気持ちがなくなっちゃったんですよね。

 

「いい状態があるなら、それでいいじゃない」

「動けるような状態であれば、それが私のベストだ」

 

と思えるようになれたんです。

 

周りでも、うつになっている人がいたのですが、3ヶ月で治った人もいれば3年で治った人もいる。出産をきっかけに薬をやめて治った人もいました。

 

そういう人を身近で見ていたので、私もいつか治るのかなという淡い期待があったんですけど、なかなか治らない…。

 

でも、うつ病であっても、やりたいこともできているし、別に問題ないって開き直れました。

 

「いい意味で開き直れた」ことで、病気の捉え方ががらっと変わりましたね。

 

発達障害と診断されると、悲しんだり辛くなる方が多いと思います。

 

ただ、私は発達障害だと言われて、発達障害の特性を聞いていくと、私がしていたことがたくさん出てきて、「なるほど、なるほど」みたいな。全部当てはまりました。笑

 

発達障害と診断されて、うつの根底にあるものが発達障害だということも分かったので、「うつが治らないのはしょうがないよね」と。

 

いま苦しんでいる方へ

今の自分の体調がいいのか悪いのか、分別ができていない人も多いと思います。

 

私も時間がかかりましたが、10段階があったら、今はいい段階の1なのか、2なのかという分別をまずは意識してみてほしいです。

 

例えば、レベル5まで来たら休む、レベル10まで来たら1日寝っぱなしとか、そういう判断が今の私はできているんですよね。

 

うつ病に良いからと言って、レベル10の一番悪いときに、日光浴や運動をしたら、余計悪くなってしまうこともあります。

 

レベル10のときでも、つい頑張って色々とやってしまう人も多いんですが、「レベル10のときは寝なきゃ駄目なんだ」と言うことが分かっていれば、もっと自分で生活コントロールができるようになると思います。

 

特に難しいのは、悪い状態のときですよね。

 

例えば、うつで脳が締め付けられると感じることがあります。頭が重いと感じたり、物事を考えるのがちょっと辛いなとか。

 

そうなってきたら、「今、自分はレベル5なんだ」と立ち止まって、午前中は寝て、午後から動くようにしようと行動を意識的に変えるようにします。

 

予め自分の中でルールを決めておくことがポイントです。

 

それができるようになると、「今はこの段階だから少し寝よう」「今日は早く寝てしまおう」、とコントロールできるようになるんです。

 

ですので、まずは自分の状態を客観的に把握する工夫はぜひしてみてほしいですね。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2017年9月20日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。