心療内科の薬を必要としない自分こそ、正常な自分?【Aさん第9回】
つい先日、40℃近い高熱を出した時に、駅のホームでパニックに陥りました。
うつ状態などの症状が落ち着いた現在も、またパニック発作などが出るのではないかという「こころの諸問題の再発」に対する不安は大きいです。
パニックになった時の過呼吸の感覚や支離滅裂な自分の思考回路には、やはり「あの頃(第5回)に戻るのではないか」という恐ろしさを感じます。
「ストレス耐性がない」という判定
ただ、社会人としての日常生活にストレスはつきものです。
就職活動の自己分析テストでも「ストレス耐性がない」という判定をいつも受けていました。
会社内・チーム内の人間関係や、上司の「人材育成」という大義名分のもとの長話には、息が詰まる思いです。
毎日「悩んでばかりの自分」に悩んでしまい、「自分は何に悩んでいるのか」と悩み事の本質を煮詰めてしまう感じです。
心の薬を飲まなければ正常?
心療内科のお薬に対しても、増減したり、違う薬を使ってみたりすることに一喜一憂していました。
その理由のひとつに、「心療内科のお薬を必要としない自分こそ、正常な自分」という気持ちがあったのでしょう。
「薬を飲み終えれば、元彼と仲良くなり、以前のような関係に戻れるかもしれない」という期待すらありました。
でも、「からだのお薬」を飲むことと「こころのお薬」を飲むことの違いはなんでしょう?
もちろん、お薬を必要としない日々の方が健康的かもしれません。そこに、心身の違いはあるのでしょうか。
以前、Remeのインタビューで、ますぶちみなこさんが、
「健康もある意味才能なんですよ。でも、心身の健康を損なってしまっていることに、罪の意識は感じなくていいんです。風邪をひくのと同じように誰にでもあることだとおもうので、悩んだときはSOSを頑張って出してみてほしいです。」
と仰っているのを拝見しました。
「心身の健康を損なっていることに、罪の意識は感じなくていい」というメッセージは、私にとって新しい発見と少し救いになりました。
心身の不調は罪でも罰でもない
もちろん、心身は健康の方がいいです。
例えば風邪を引いたことに、健康管理への反省や予定通りのことが出来なかった悔しさや、もしかしたら大事な試験などに臨めなかった後悔はあるかもしれません。
でも、罪でも罰でもないのです。
私は、こころの諸症状に対しても、同じように思います。
見方を変えれば良い点は見つかる
ストレス耐性がない、
打たれ弱い、
毎日のように悩んだり泣いたりする…
これらは、こころにとっては「風邪をひきやすい状態」なのかもしれません。
それでも、「こころの風邪」をひくことは、罪ではありません。
薬を飲むのも、必要な手当てであって「心療内科のお薬を必要としない自分こそ、正常な自分」などという思いは、違うなぁと今は思います。
逆に、私を含め「打たれ弱い人」は「感受性が豊か」で「人の気持ちに共感することが容易にできる」のかもしれません。
「ネガティブな心配性」は「イメージする力が豊か」で「細かなことに気づき、リスクを回避する能力が高い」のかもしれません。
あなたの、すべての側面に、言い換えてみることで、きっと良い点が見つかると思います。
ペンネーム:Aさん
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- 本記事は2017年11月13日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。