私が症状を自覚した「あの日」の出来事を振り返る【Aさん第5回】

2017.08.18公開
 
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今回は私が症状を自覚した「あの日」についてお話しいたします。

 

 

会社の内定者研修で

前回のコラムに書いた、沖縄旅行の数日後、今度は会社の内定者研修が始まりますが、記憶があいまいです。

 

緊張で落ち着かない状態が続いたり、電車や会社の会議室で、息苦しさやめまいを感じたりするようになりました。

 

会社理念についての話や各部門部長からの説明などに、まるでマインドコントロールされているような圧迫感や閉塞感があるように思いました。

 

当時のメモには、自分でも読めないほど震えて乱れた字があったり、逆に自分へのエールが書いてあったりします。

 

研修初日から数日間は、時間通り会社に向かい、ぐったり疲れて帰ることの繰り返しでした。

 

でも、「内定者研修だから緊張して当たり前」だと思っていました。体調が悪いのも、「最近、忙しいからだ」と思っていました。

 

 

「妄想」との闘いが始まる

そんなある日、目覚めた時、「地震かな」と思う様な長いめまいに襲われました。そこから、私の妄想との闘いが始まりました。

 

地面がぐにゃぐにゃ歪むような感覚の中で、やっと2階の自室から階下のリビングに行くと、時計の針がぐるぐると早く回っていました。

 

テーブルを見やると、「東日本大震災 再来」といった見出しの新聞。

 

それも、見るたびに被害の数字が大きくなったり、写真が津波の映像になったりします。時計に目を戻すと、ぐにゃりとゆがんできました。

 

この時点で、「これは夢か」と思うと同時に、完全にパニックでした。

 

その後もTVを付けると津波注意の喚起や、地震速報の携帯電話のアラート音が大音量で流れたりしました。

 

そこから先は、本当によく覚えていません。

 

 

駅員さんに意味不明なことを言う

その後、一旦は落ち着いて着替え、彼と駅で待ち合わせて、なぜか愛犬と一緒に出かけたそうです。

 

愛犬と一緒に出かけたことは、駆けつけてくれた元恋人の話で知りました。

 

駅改札で駅員さんに意味不明なことを訴えて、駅で少し休ませてもらいました。その後、救急車が呼ばれるも、「一人で帰れるから」と書類にサインしたことは覚えています。

 

その間も、友人が建物の下敷きになったり、津波にのまれたり、「みんなピンチなので助けなきゃ!」といった妄想に駆られていました。

 

 

その後、初めて心療内科へ

自宅に一人で戻ると、元恋人も自宅に来てくれて、少し眠ったりしてその場は落ち着きました。

 

その日のうちに、元恋人と母に付き添われ、心療内科を初めて受診しました。

 

もしあの日に、元恋人が駆けつけてくれなかったら、あるいは周りに人がいなかったら、入院などに至ったかもしれません。

 

自分でも自分がコントロールできないことや、自分は既に死後の世界にいるのではないかといった臨死体験のような感覚は、今思い出しても恐怖です。

 

 

恐怖よりも周囲への感謝を感じた

元恋人も新社会人だった中で、あの時すぐに駆けつけてくれたこと、またその後も、回復まで一生懸命支えてくれたことには、感謝してもしきれません。

 

会社に対しても、内定者研修をその後は休み、復帰後OJTを長くする臨時対応をしてくれたことに感謝しています。

 

また、会社への連絡をしてくれたり、しばらく出社時に近隣まで付き添ってくれたりした両親にも、心から感謝しています。

 

私の体験は、何年経っても恐怖である以上に、支援者への感謝に何度も気づける忘れられない時間です。

 

パニックや妄想を経験してもなお、そう考える私のような人がいることを、こころの諸問題を抱える当事者にも支援者にも知ってもらえれば幸いです。

ペンネーム:Aさん

 

 

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