12歳で摂食障害を発症し16歳で30kg以下に。寂しさや孤独に支配された苦しみ
機能不全家族、スクールカーストで家にも学校にも居場所がなかった頃にはじまった極端な食事制限。
16歳の頃には体重が30kgを切り、意識障害が起こるレベルにまでなり入院…。
今回のインタビューは、12歳で摂食障害になり、拒食と過食を行き来して15年以上が経つ、山口理子さん。
寂しさや孤独が支配するという摂食障害を受け入れ、人生を前向きに歩き始められるようになったきっかけをお話しいただきました。
目次
半分くらい機能不全家族だった
はじめまして。山口理子と言います。現在、27歳です。
摂食障害の原因はいまだにはっきりとわかっていないと言われますし、私もなぜこの病気になったのかはよくわかりません。
ただ敢えて言うならば、私はちょっと変わった家庭の下で育ちました。
側から見ればごく普通の家族だったかもしれません。けれど実際には、半分くらい機能不全家族だったんです。
私の両親はほとんど家庭内別居状態でした。
未就学児の頃は家族みんなで遊んだり、食事をしていた記憶があります。
しかし小学校にあがった頃には、父と母は家の中で、ほぼ会話をしていない状態でした。
私も幼い頃、お父さんからちょっと性的な嫌がらせされたり、ニコニコしていると思ったら、突然激怒して冷たくされたり…。
今でも覚えてるのが、父親と一緒にお風呂に入っていた時。
何か気に障ることをしたのか覚えていませんが、突然、頭からお湯をバサッとかけられ湯船から追い出されて。浴室から逃げるように飛び出たこともありました。
そのまま素っ裸でお母さんに泣き着いて、ワンワン泣きわめきました。
母も姉も「何があったの?」と呆然。私も何が起こったのかわからず、でもただ怖くて、ひたすら声を上げて泣きました。
父に限らず、母もその日の気分で言うことが変わる部分があります。
不仲の2人と日和見の機嫌に挟まれて、どこか窮屈な思いがあったのかもしれません。
今思うと、常に親の顔色を伺って育ってきた子どもだったように感じます。
小学校の時は、我ながらませている子どもだったと思います。
年齢の離れた2人の姉と、一緒に遊びながら育ってきたことが影響しているのかもしれません。
発育も早くて、小学5年生ぐらいで現在の身長である160cmになっていました。
さらに、性格も真面目だったこともあって、何もしなくてもまあまあ成績が良かったんです。
通っていた小学校では、勉強についていくのが遅い子が避けられるような環境だったこともあり、その面では友達も私のことを認めてくれていた部分はありました。
だから調子に乗っていたのか、とにかくませてましたね。
今よりもよく発言するし委員会の委員長もやってしまう、グイグイいくような性格だったような気がします。
本当は末っ子なのですが、小学校ではみんなのお姉さんみたいな存在でしたね。
でも、小学校生活は決して楽しいとはいえないものでした。
スクールカーストもあれば、いじめもある。先生から差別を受けている生徒もいる。
先生から所謂パワハラのような扱いを受けていた子は、しばらく学校を休んだ後、転校してしまいました。
学校での人間関係も、いつも気を張っていなければ居場所がなくなってしまうのではないかという不安が隣り合わせでした。
6年生に上がった時に、クラス替えがありました。
すると、自分のクラスに仲の良い子がいなくなってしまったんです。
このタイミングで、それまで仲の良かった子も、何故かみんな素っ気なくなったように感じてしまいました。
でも、明らかに無視されたり攻撃を受けたりしたわけではありません。
だからこれは多分、深い意味はなくて、単純に自分の適応能力の問題だと思います。
学校に居場所がなくなるのでは、周囲から拒否されてしまうのでは、と少しずつ焦り始めました。
極端に食事制限をはじめた頃
当時は家の居心地があまり良くない中で、家に居場所を見出せなかった最中。
学校でも自分の居場所が見つけられなくなって、孤独感を抱えながら過ごしていました。
1人になりたくなくて仲良くもない子と付き合おうとしたり、逆に優しくて受け入れてくれる子のことをないがしろにしてしまったり…そんな時期もありました。
12歳ともなると思春期に差し掛かる頃。
自分の体形が気になりだす時期だと思います。
身長が高くて若干肉付きの良かったこともあり、小さい頃からよく太っていると指摘されました。
BMIの数字だけでみればそこまで太っているというわけではありませんでした。
ただ、他の子より背も高いですし、体が大きいことは確かですから、「大きな子」のイメージは抜けなかったのでしょう。
体形へのコンプレックスは拭えませんでした。
学校でうまく人間関係を築けない。
じゃあ、大きな子という「欠点」を克服すれば、上手くいくのではないか?
その頃から極端に食事制限をはじめて、明らかに摂食障害と呼べる状態になっていったのは。
ある日、久しぶりに自分の体重を測ったら見たこともない数字が示されて驚きました。
「はやく痩せなきゃ置いていかれる」という焦りに駆られ、そのままご飯を食べなくなりました。
最初は、少し痩せられればいいという感じで、3kgぐらい体重を落とそうとしていたんですよ。案の定、歯止めがきかなくなるのですが。
明らかにご飯を食べなくなり、母親に対して食事メニューの文句をつけるようになっていたので、親との言い合いが増えました。
摂食障害によくある話ですが、栄養の本を買ってきて、豚肉のどこの部位に何キロカロリーあるとかを全部覚えました。
母親が買ってきた食材を見ては、「またカロリーの高い食材を買ってきてる!」と、今にしてみれば理不尽な怒りをぶつけていたと思います。
母親にとっては、毎日毎日、監視されてるような状態だったと思います。
食への恐怖がエスカレート
エネルギーの高いものを食べることは「恐怖」です。強迫行為のように食べ物を拒み続け、行動はエスカレートしていってました。
そんなある日、周りからは「痩せたね」と言われるようになりました。
ちょっとは痩せたのかなと思って体重測ってみたら、確かに6キロ以上は痩せている。びっくりしました。
この瞬間、当初の自分の目標はもう達成していたのですが、 「ここまで来たら、もっと痩せた体を目指そうかな」 という考えに変わってしまっていました。
それでさらに食べる量を減らしたり、過剰に運動したりするとすぐ目標数値に達するのですが、今度は更にその目標数値を下回りたくなってくるんです。
「まだいける、もっといける」
「落ちていく数字を見るのが楽しい」
「軽い体は何て楽ちんなんだろう」
狂信的に食への依存を深める私に、当然ですが、同級生は近づかなくなりました。
いじめられたり、無視されたりはしなかったですけど、周りの人からすごく距離を置かれるようになってしまって。
自分自身も他の遊びに興味が無くなっていたし、それが気楽なこともありました。1人になりたくなくて痩せ始めたのに矛盾していますよね。
みんなも「どうしちゃったんだろうね?あの人」みたいな感じだったんでしょう。
今思うと、拒食症の人の多くはそうやって悪いスパイラルに入っちゃうのかな。
私もいわゆる「ダイエットハイ」みたいな感じになっていて、もはや食べることしか考えてなかったので、他の遊びやお洒落、テレビなどに一切興味が無かったです。
だから周りの話題についていけなくなって、次第に距離が生まれて、やがて孤立するようになってしまっていました。
母親は怒ってばかりいたけれど、がむしゃらになんとかしようとしてくれていました。逆効果なことばかりでしたが。
父親は無関心だったので、我関せずで私が病気だったことすら知らなかったかもしれません。
母は自分の意見を是が非でも通そうとする傾向があり、「食べたくない」と言っても無理に食べさせようとするタイプでした。
なんとかして体重を戻そうとしたのでしょう。毎日、母親の前で体重計に乗せられていました。
体重が200gでも増えていたら何も言われないけれど、100gでも減っていたら、すごく怒られる日々でした。
親への反抗心が強かった当時は母親に刃向かう気持ちが大きく、逆に「なにくそ」と、ダイエットに歯止めがかからなくなっていました。
小6の終わりぐらいには、体重が38kgぐらいに落ちて、いよいよ危機感を覚えた母親に引っ張られるようにして病院を受診しました。
- 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
- 本記事は2018年6月24日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。