「学校に行かない期間があって良かった」フリースクール立ち上げの原動力

2018.08.28公開 2020.06.15更新

不登校になった決定的な一言

春に行われる体育祭で遅刻してしまったことがありました。

 

体育祭では、グラウンドに教室から持ってきた椅子を置いて座る必要がありました。

 

みんながもう椅子を並べている中、私だけ遅れてしまって、よりによって私の位置がちょうど真ん中だったんです。

 

多くのクラスメイトはよけて、私が通れるようにしてくれたのですが、その列に三人組の一人の男子がいて、ずっと座っていたんです。

 

さらに、「遅刻するくらいなら学校来るなよ」って言われて…。

 

それまでも色んな陰口を言われてきましたが、「学校に来るなよ」と言われたことで、私の存在自体が否定されてしまったように感じました。

 

私は今までこんなことを言う人の為に我慢したりしてきたのか…と虚しくなってしまって。

 

その体育祭の翌日、普段通りに着替えて、ご飯食べて、靴をはいて…。でも、立ち上がれなかったんです。

 

結局、家のドアを開けられず、学校に行けなくなってしまいました。

 

 

親はスムーズに受け入れてくれた

学校に行けなくなったことに対して、親は最初はスムーズに受け入れてくれていました。

 

親には一応、事の経緯を伝えていたこともあり、「さすがにそれを言われたら辛いよね」と理解してくれました。

 

一方で、担任の先生はとにかく学校に来させようという反応でした。

 

「クラスに行かなくてもいいから、とりあえず先生と話そう」と。

 

ただその時は、とにかく先生が信頼できなかったんです。一度相談してダメだったから、また話してもどうせダメでしょみたいな。

 

「とにかく今は休ませてほしい」とお願いし、両親も賛成してくれたので、最初の1,2カ月くらいは全く先生とも会わずに家で過ごしていました。

 

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親への罪悪感から学校に戻る

二学期になっても、まだ先生を信頼できずにいましたし、クラスメイトに対する不安もあって、体が動かなかったですね。

 

私が学校に行っていない間、父親は学校に行って先生と話をしていたみたいで、親からも「そろそろ学校に行かない?」と言われるようになりました。

 

「体調が悪かったら、すぐに帰ってきてもいいから」

「放課後だけでもどう?」

 

と言われるようになって、学校に行かないことで親に対する罪悪感も出てきました。

 

普通の子が出来ていることが出来ない状況に対して、お母さんとしてもストレスがたまっているようでした。

 

学校に行けてない娘と同じ空間にいる。そのことでヒステリックになることが増えてきてしまい…。

 

親に迷惑をかけていることは分かっていたので、親が学校に行ってほしいと思うんだったら行ってみようかなと思うようになりました。

 

 

先生に謝ってほしかった

それから、一度担任の先生、私、お父さんの三人で面談をすることになったのですが、面談時に先生と一切、目が合わなかったんですよ。

 

ずっと、お父さんと先生が話していて、それをただ聞いている私。

 

「なんで私ここにいるんだろう」って、面談中ずっと思っていました。

 

その時の私としては、先生に謝ってほしかったんだと思うんです。「力になれなくてごめん」みたいに。

 

でも、そういうことは先生から一切ありませんでした。

 

面談での様子から私の意図を汲んで、またしばらく学校を休ませてくれるかなと少し期待していた矢先、「次はいつ学校に来る?」と。

 

学校に行く前提での質問をされてしんどい思いをしました。

 

 

「嘘つき」と父に言われた

とりあえず、次回の面談日まで決めたんですけども、当日になって体調が悪くなって行けませんでした。

 

先生には会いたくないし、放課後に行くとしても下校時間にクラスメイトと会う可能性もあることへの不安もありました。

 

もし、ばったりクラスメイトに会ったらクラスでも話題になるし、会った時に何を言われるか分からないし…。

 

親から何か言われたら、面談に行くしかないなと思っていましたが親から何も言われなくて。自分でも忘れたふりしてて。

 

でも、その日の夜、お父さんが私の部屋に入ってきて、「嘘つき」って私に向かって言ってきました。

 

確かに、面談の約束を守れなかったのは良くなかったかもしれませんが、何より私の気持ちを分かってくれていないことが辛かったですね。

 

 

学校に復帰したのも束の間

それから毎日のように「今日は学校に行かないのか?」と聞かれるようになりました。

 

それに耐えられなくなって、学校には三学期から復帰しました。それなのに親は「ああ、そう」とそっけない反応でしたね。

 

久しぶりに学校に行ってみて、思っていたよりクラスの人たちは特別な反応もなく、自然な感じで「久しぶりー」といった感じでした。

 

以前、色々と言ってきた男の子三人組はひたすら避けて続けました。

 

学校の先生から、何か声をかけられたかどうか、あまり覚えてないですね。担任の先生が嫌いで嫌いでしょうがなかったんです(笑)

 

無理に学校に戻そうとすることがあったので、何か言われそうになってもこっちから先生に対して距離を取るみたいな感じでした。

 

休み休みではありましたが、久々に学校に通ってみて、朝から夕方まで授業を受けていても、想像していたよりはしんどくはありませんでした。

 

それで三学期を終えて、二年生に進学してすぐにまた学校に行けなくなってしまったんです。

 

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「実は、菌扱いされている」

進級してクラス替えがあったのですが、例の三人組の中で、私と同じクラスになってしまった人がいたんです。

 

一年生の時から担任の先生も替わったせいか、また色々と言われることが増えていったんです。

 

先生も両親も学校に行くことを勧めてくる状況だったので、

 

「私の苦しみを理解する人なんて一人もいない!」

 

って思っていました。

 

1学期の途中で休みがちになった時、クラスで話を聞いてくれる女の子からメールがあって、

 

「実は、菌扱いされている」

「みんな、お前の事嫌ってるよ」

 

みたいなメールが、嫌がらせのようにほとんど毎日届くようになっていました。

 

「なんで?」と思って、メールを返信するとさらに酷い言葉を言われて…。

 

こっちもヒートアップして、言い合うようなやり取りが続いていたのですが、だんだん辛くなってきて、お父さんに打ち明けました。

 

お父さんに、全部のメールを見せて理解してくれた部分もあったのですが、こちらも言い返している以上、両成敗だと。

 

確かに言い返してしまったことは良くなかった部分もあると思います。

 

当時の私としては、自分の弱みを見せても助けてくれる人はいないし、むしろ弱みを責められるので、傷ついた態度をとるのが嫌で、無理に強がってしまっていたのかもしれません。

 

進級してまた学校に行けなくなった時は、親にも半分諦められていた感じで、会話もどんどん減っていきました。

 

ただ、「もう二度と、あの学校には行きません」とは伝えました。

 

そしたらお父さんの方から「じゃあ転校しようか」という話になって、二学期には学区外の学校に転校することが決まりました。

 

 

「日常」が欲しかった

中学に入学して転校が決まるまでの間、自分の存在意義や「なんで生きてるんだろう」ということをずっと考えていました。

 

もちろん、24時間ずっとしんどいわけではなく不意に、

 

「将来、どうなるんだろう?」

「生きててもしょうがないんじゃないか」

 

といった感情に襲れることがありました。

 

しばらくすると泣き疲れて寝てしまっていて、起きると気持ちが落ち着く感じだったので、ひたすら部屋の布団にもぐって耐えるという日が多かったですね。

 

ごはんの時間に家族と顔を合わせることがあっても、全く会話をしなかったです。

 

親から話しかけられることもありましたが、無視していました。二言目には「いつ、学校行くの?」だったので。

 

ずっとテレビを観ているか、イヤホン付けて音楽を聴いたりして、食べ終わったらさっと部屋に戻るの繰り返しでしたね。

 

そっとしてほしかったです。

 

親に対して、特に何かを言ってほしかったということはありません。ただ、そっとしていてほしかったです。

 

学校に行けなくなった私に対して、学校に行かせるために頑張るのではなくて、学校に行けない状態を受けて止めてほしかったです。

 

うまく表現することが難しいのですが、ただ「日常」が欲しかったんだと思います。

 

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私に目を合わせてくれた先生

転校後、担任の先生がめちゃくちゃいい人でした。

 

印象的だったのは、初めての三者面談の時、先生は最初から私を見てくれていたことでした。

 

先生が一番に目を合わせたのが私だったんです。

 

親との三者面談で、まず私に対して「初めまして。担任のXXです」と自己紹介をしてくれて。

 

その瞬間から「この先生は違うかもしれない」と思えました。

 

担任の先生からは、前の学校について公表していいかどうか、困ったことないか、全部確認してくれました。

 

私が「こうしてほしいです」と言った部分には、できる限り対応してくれて、初めて自分の意思が尊重されてと思えました。

 

私から先生には「普通に接してほしい」と伝えた記憶があります。

 

とにかく普通の子として学校にいたかったので、前の学校の事には触れてほしくないと伝えて、普通の転校生として紹介してくれたのでよかったです。

 

 

嫌がらせがあっても通学できた

ちょっかいをしてくるような生徒はいたと言えばいました。

 

でも、前の学校の時みたいになってしまうのも嫌だったので、こちらからは特に言わないようにしていました。

 

転校初日に先生が紹介してくれた一人と初日から仲良くなれて、話しているのが楽しかったこともあって、周りのことにあまり意識が行かなかったことも良かったかもしれません。

 

先生も、先生としてのお仕事があったと思うのですが、私が学習面で分からないことがあると、放課後に時間を取ってくれて何回でも教えてくれました。

 

これは後から聞いたんですけども、3年生に進級したとき、仲良かった女の子と同じクラスにしてくれたり。

 

それ以外にも、私からは見えない部分で色々と動いてくれていたと思います。本当にいい先生でした。

 

 

最初の担任と決定的に違うこと

転校後の先生と、転校前の先生と決定的に違うは、生徒の声をちゃんと聞いているかどうかだと思います。

 

最初の先生の場合、会話前からゴールがもう決まっているんですよね。

 

私を学校に来させて、平穏な学生生活を送らせる…という先生の中で決まっているゴールために、三者面談をやったりという感じがありました。

 

私としては、そもそも先生の向かいたいゴールとは違ったので、すごくストレスでした。

 

しかし、転校先の先生は「私がこうしたい」と言ったら、それに沿ってフォローをしてくれる方でした。

 

先生の決めつけで、私の道を作ることはせず、一緒に進んでいく道を決めていく感じがすごく嬉しかったです。

 

転校して本当に信頼できる人と出会えたことが、今のフリースクールを作るきっかけにもすごく繋がってます。

 

私が学校の先生を目指したのも、まさにその先生のおかげです。

 

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勉強がとにかく楽しくなった

中学卒業後、学校に対するトラウマというか、「誰かに笑われているんじゃないか」という考えが出てきてしまうこともありましたが、高校では勉強がとにかく楽しかったです。

 

転校後に出会った先生のおかげで数学が好きになったのですが、学校に行っていない期間があったので、その分、勉強に遅れはありました。

 

その点、通っていた高校では、3年間で中学校の復習も含まれていて、とにかく最初の勉強が簡単でしたので良かったですね。

 

中学生の頃は100点満点で10点、30点を取っていた自分でも100点って取れるんだって思って。

 

間違えたところも模範解答を読めば理解できていたので、自信になりましたし、数学は特に得意になっていきましたね。

 

先生がとにかく優しかったんです。

 

試験直前に配られる試験対策プリントがしっかりできれば、テストも100点が取れるようになっていました。

 

英語の試験でも、自己紹介を英語で記述すると加点されたり。

 

いっぱいマルがついている自分の解答用紙をみるのが楽しかったし、勉強を好きになれたので、高校の先生は本当に上手だったなと思います。

 

 

苦しんでいる子に寄り添うには?

中学の時から数学は好きだったので、将来は数学の教員になろうと思っていました。

 

高校に入ってからも成績が上がり、大学でもっと数学がやりたいという気持ちがどんどん膨らんでいき、指定校推薦で大学に入ることになりました。

 

それで実は、今年の3月に中退をしたんです(笑)

 

教員免許を取るために教職課程で学んでいましたが、学校の先生が生徒と接する時間が、授業以外では思っていたよりも少ないなと感じたんですね。

 

私が学校の先生になりたいと思った理由は、勉強を教えるのが好きなことももちろんあります。

 

でも一番は、自分が出会った先生のように、

 

「信頼できる大人が学校の中に一人でもいたら、辛い時期を短くできたり、もっと早く乗り越えられたんじゃないか」

 

という思いからだったんですね。

 

私のように苦しい思いをしている子は多いと思います。

 

本当は苦しいけど、声を上げられていない子も多いと思います。

 

そういった状況に対して、自分一人が助けられる人数はたかが知れています。

 

しかし、苦しんでいる子に信頼してもらえる存在が増えていくことで、状況は少しずつでも変わるのであれば私も学校の先生になりたいと思ったんですよね。

 

それが、朝から晩まで仕事に追われて、生徒と接する時間が限られてしまっては、先生になる意味がなくなってしまうかもしれないと。

 

また、少し体調を崩して休学していたこともあって、大学に行くことにあまり価値は見いだせなくなってしまったんですね。

 

その時は大学3年生だったので、とりあえず卒業まで過ごすことも考えていました。

 

ただ、その頃にフリースクールという存在を知り、自分がしたいことができるかもと思い、中退を決心するに至りました。

 

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フリースクールの立ち上げ

団体代表のゾノさんとは、5年前から知り合いで、その時から「不登校経験があるから、学校に行きたくて苦しんでる子たちの居場所をつくりたい」と言っていました。

 

ゾノさんも転校先の先生とすごく似ている人で、私の話を目を見て聞いてくれていました。

 

社会も知らないような高校生の話を茶化したりせずに真剣に聞いてくれたんですよね。

 

その姿から自然と「この人と一緒に活動してみたいな」と思うようになり、フリースクールRizの立ち上げに至りました。

 

こういう活動をしていると、

 

「大学を中退してまで、すごい」

「一世一代の賭けみたい」

「人生を賭けていてすごい」

 

と、周りから言われるんですよ。

 

ポジティブな言葉は嬉しくありますが、そこまで大層な覚悟を持っているわけではなくて、単純にやりたいと思ってやっている感覚なんですよね。

 

しいて言うと、19歳の時から携わっているコミュニティスペースを通じて、色んな生き方をする人との出会いから、気負うこと無くチャレンジできるようになった部分はあるかもしれませんね。

 

 

「なりたい自分になれる」

フリースクールのRizでは「なりたい自分になれる」を目指しています。

 

その子が「学校に戻りたい」と思うのであれば、戻れるように相談に乗りますし、「学校に行きたくない」と思うんだったら、Rizを居場所として居てもらえればと思っています。

 

理想の形って、人それぞれ違うと思うんですよね。

 

だから、その人のゴールをこちらが決めることはしたくない。

 

悩みの内容が一緒だとしても、向けられた言葉や目指したいこともそれぞれ違います。

 

それぞれの人にとっていいと思える場所に変わっていけることが一番大事だと思ってます。

 

子供は本当に色々な夢を持ちますが、実際にそれが叶わない夢であっても、夢にむかって何かやったことがあれば、それはけっして無駄にはならないですよね。

 

だからこそ、「こういうところが大変」「あなたにはできない」ではなくて、

 

「一緒にできるように考えてみよう」と背中を押せる存在でありたいです。

 

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「学校に行かない期間があって良かった」

中学生の頃、自傷行為や自殺未遂をしてしまう時期が私にもありました。

 

傷つくことを言われた時は、「なんでこんなに辛い目に合わなきゃいけないんだろう」とばかり思っていました。

 

特に不登校の時は、みんなはどんどん前に進んでいるのに、私だけずっと立ち止まっている感覚でした。

 

クラスメイト、先生、両親から傷つく言葉を言われたこと自体を許しているわけではありません。

 

でも最近感じていることは、悩んでいた数年間は無駄じゃないということ。

 

もちろん一概には言えませんが、不登校の子は繊細であることが多いのですが、それだって、人の気持ちを考えることができるすごい才能だと思うんです。

 

言葉で傷ついたことがあれば、自分が誰かに言葉を掛けるときに「これは言わないでおこう」と考えることもできますよね。

 

私も学校に行っていなかったときに感じていたことや考えていたことが、フリースクールなどでさまざまな相談に乗っているときにすごく役に立っています。

 

立ち止まっていたと思っていた数年分、実は自分なりに進めてたんだなって。

 

そういう意味でも、必ずしもネガティブに不登校をとらえる必要はないです。

 

今は「学校に行かない期間があって良かった」と思える自分がいます。

 

>>フリースクール『Riz』のHPはこちら

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2018年8月28日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。