統合失調症と社労士の二刀流。自分の活躍が誰かの勇気に【関村友一さん】

約100人に1人の病気と言われる統合失調症。

 

決して珍しい病気ではありませんが、まだまだ統合失調症に対する誤ったイメージや偏見も存在します。

 

今回のインタビューは、統合失調症当事者であり、社労士として活躍する関村友一さん。

 

同じような境遇の人に少しでも勇気を持ってもらえたらと話す関村さんに、これまでどのようにして統合失調症と向き合ってきたのかを伺いました。

 

 

統合失調症をオープンにする理由

今は統合失調症当事者として社労士の仕事をしていますが、最初からオープンだったわけではありませんでした。

 

ただ、働き始めて、障害や疾患の有無を開示するかどうかで用いる「オープン」「クローズ」という言葉があること自体に疑問を持つようになっていました。

 

統合失調症をオープンにしたらできなくなってしまうことがあったり、クローズにしたら息苦しくなってしまったりすること自体が違うなと。

 

しかし実態として、自身の統合失調症について声を上げられない方が多い面もあります。

 

であるならば、そういった方たちの声を代弁していきたい思いで、私自身、声を上げるようになっていきました。

 

社労士でありつつも、自分のやりたいことはメンタルヘルスに対する理解を促すことなんですよね。

 

なので、統合失調症であることをオープンにしながら社労士として働くことはとても自然なことでした。

 

社労士として働いて、年金事務所の人にも「オープンにしたら?」と逆に提案されたこともあり、その何気ない一言からも、「大丈夫、いける」という気持ちを持てました。

 

統合失調症であることをオープンにしたほうが、自分のことが皆さんに伝わりやすいと思いますし、統合失調症には未だに偏見や根強い差別があります。

 

そういった現状に対して、先陣を切ってやっていきたいなという思いがあります。

 

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統合失調症かもと気づいたとき

高校生の頃からありました。

 

電車に座っていて、「あの人から見られてる、この人から見られている」と感じることがあったり、考えがまとまらず勉学に集中できないことがありました。

 

学校でも周囲からの視線を防ぐために、勉強している時も突っ伏すようにしていました。

 

そういった状態が続いていたので、「もしかしたら精神病院に行くのかな」って、その時から思っていました。

 

もう20年以上前の話ですけど、私が高校生の頃に抱いていた精神病院のイメージは良くありませんでした。

 

檻に入れられたり、鍵を閉められて閉じ込めらたり…そんなイメージを持っていました。

 

なので、状態としてしんどさはあるものの、「まさか自分がそんな所に行かないだろう」という気持ちもどこかにありました。

 

 

大学入学後、統合失調症を発症

その頃、大学受験を迎えていました。

 

通っていた学校では、受験直前の3ヶ月間は学校に行かなくて良いところでした。

 

家であれば誰にも見られないですし、1人の世界で外からの刺激を受けることもないので、精神も安定してきて、良いことばかりでした。

 

おかげで、その3ヶ月間はすごい勉強に集中でき、成績もどんどん上がって、第一志望の慶應義塾大学に合格することができました。

 

私、実は1年生を3回やったのですが、最初の1年目は遊んでましたね(笑)

 

当時は金髪にしたり、真っ黒に日焼けしたり。

 

コンパにも誘われることが増え、勉強が疎かになってしまい、単位を落として留年してしまっていました。

 

そして、留年した年に統合失調症を発症しました。

 

自分の噂や罵倒する声が聞こえるようになってきたんです。

 

「何だろうな」と思っていたのですが、家に帰っても同じような声が聞こえていました。

 

それこそ最初は、神様のお告げかな?くらいにしか思ってなかったんです。

 

ただ、だんだんとネガティブな声がひどくなってきて、眠れない日が続きました。

 

 

幻聴のつらさ、医療保護入院

その当時、冷戦が終わって少し経ったくらいの時期で、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長と僕の三者会談をやったこともありました。

 

もちろん幻聴です。

 

今だから笑い話になるかもしれません。しかし当時は、真面目に考えてしまっていましたね。

 

さらに、隣の家に住む人からの罵声の幻聴も聞こえてくるようになって、その声があまりにうるさくて、隣の家に怒鳴り込みに行ってしまうこともありました。

 

見かねた父親に「病院、行くか?」と言われて、「精神病院なんて嫌だ」と思ったのですが、もうどうしようもなかったですね。

 

父親と話し合って、結局、医療保護入院をすることになりました。

 

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現実と幻想の境界があやふやに

精神病院に対するネガティブなイメージがあったので、入院当初は怖かったですが、思っていたよりも自由がありました。

 

ただ、幻聴自体はずっと続き、高校生の時に恋い焦がれてた女性の先生の声も聞こえるようになりました。

 

そして、その先生が「私、どうしようもないから自殺する」と言う声が聞こえるまでになってしまったんです。

 

幻覚なんですよね。全部。全部幻覚なんですけど、当時は現実だとばっかり思っていました。

 

現実と幻覚の認識が本当にあやふやだったので、病棟内でパニックを起こすまでになっていました。

 

 

「幻聴は病気」の一言で我に返る

パニックを起こした私に主治医の先生が駆け寄ってきて、「落ち着いたら、電話ボックスに行こう」と言ってきたんです。

 

「今から学校に電話してみよう」と。それで主治医の先生から受話器を替わってもらうと、その先生が出たんです。

 

「先生、自殺とか考えていましたか?」と聞いたところ、「全然考えてないよ」と。

 

「え?さっき言わなかった?」「これからは?」って聞いたら、「今も、これからもないよ」と諭されて。

 

電話を切った後、主治医の先生に「関村君、さっきのは現実じゃないんだよ」と初めて知らされました。

 

いきなりそんなことを言われても、聞こえてくるものが全部現実だと思っているから、「そんなことない」と大抵の人は信じないですよね。

 

「確かに先生はそう言ったけど、そんなことはない。隠してるだけだ」と。

 

でも、そこで僕は先生の言葉をすんなり受け入れることができたんですね。

 

さらに「幻聴は病気なんだよ」と主治医の先生が言ってくれたことで、我に返れたというか、気が付いたというか。すごく軽くなったことを覚えています。

 

全部現実のものだと考えこんでしまってた自分と、その思い込みが取り除かれた自分は全然違うもので、精神的にすごく軽くなりました。

 

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主治医の先生に出会えた今がある

実は、自分が統合失調症であることを知ったのはもっと後のことです。初診時には「心因反応」と言われていたんです。

 

最初から統合失調症(※当時の名称は精神分裂病)と主治医から伝えられなかった理由は分かりません。

 

30歳前後になって、ネットで幻覚・幻聴を検索したら「統合失調症」と出てきて、「あれ?これ、俺のことじゃない?」となったんですね。

 

入院から10年以上経った後でしたが、当時の先生に「私は統合失調症ですか?」と聞いてみたんです。

 

すると「そうだよ」とあっさり言ってくれて。最初から言ってくれよみたいな(笑)

 

でも、良かったです。主治医の先生はすごくハードワークする方で、夜中も車を運転して病棟に来て「どう?」と言ってくれたり、色んなアドバイスをくれたので良い先生に出会えたと思っています。

 

主治医以外の先生ともロックの話で盛り上がったり、仲良くさせてもらって、こんな言い方は良くないかもしれないですけど、入院生活は心地良かったです。

 

あの先生達がいなかったら、今の自分はいないだろうなと思いますね。

 

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  • 本コンテンツは、メンタルヘルスに関する知識を得るためのものであり、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題について責任を負うものではありません。

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