つらい不登校の経験が完璧主義で上から目線だった私に与えてくれたもの

2016.12.21公開 2020.07.12更新

今回は、不登校の経験を通じて、子どもたちやその親御さんを支援する河合未緒さんにお話を伺いました。

 

今回のインタビューでは、河合さん自信の不登校で悩んだ過去やご経験を通じて今感じていること、不登校に悩む方に向けての想いについてお話しいただきました。

 

 

※記事内容は2016年12月時点の情報となります

 

中学校時代のいじめ

もともと内向的な性格で、目立つ方でも目立たない方でもない、ごく普通の子どもでした。

 

私の親は転勤族で3年に1回くらいは転校。それもあって、昔から心から信頼できる友だちがなかなかできませんでした。

 

頻繁に引越しをしている人がすぐに馴染むのは難しいですよね。

 

孤独だったのは「転勤族だった」ことも原因にありますし、あとはちょっとしたことも重なって「いじめ」に合っていた経験があります。中学1年生の頃でした。

 

仲良くしていたグループの女の子と好きな子がかぶっちゃたんですよ。大人になって振り返れば、「なんだそんなこと」って感じなのですが、まだ中学生にとっては結構大きい問題です。

 

それで、いじめのターゲットにされてしまったんです。

 

いじめられたことがショックだったよりも、それまで仲良くしていた友だちが次々と手のひらを返したように冷たくなっていったことがショックでした。

 

それから人間が信じられなくなっていきましたね。

 

私が受けていたいじめは、無視されたり陰口を言われたりする類のものでした。

 

「椅子に画びょうを置かれた」

「靴を隠された」

 

といった確実な証拠があるわけではありませんでした。

 

学校の先生に相談しても、「いじめられてないから大丈夫だよ」と言われてしまっていました。

 

先生に何回もそう言われるので、「あ、そっか。いじめられてないのかな」なんて思い始めるようにもなりました。

 

でも、そう思い込んだところで、いじめられている現実は変わりません。

 

無視とか陰口に関しても、自分のことを言っているのかそうでないのかも良く分からなくなり、周りの人がどんどん信じられなくなってしまいました。

 

軽いノイローゼのような状態でしたね。それから急に学校に行くことができなくなってしまったんです。

 

どこにも居場所がない

義務教育だと、学校に行けなくなったらもうどこにも行く場所がないんです。

 

基本、学校と自宅にしか居場所がないので。学校に行けなくなったら、家にこもるしかないんですよね。

 

その頃の私の両親は、人目を気にするタイプの人でしたので、私が学校に行けないことで世間体を気にしていて、「イヤだって言っていないで学校に行きなさい」と言われていました。

 

でも、いくらそう言われても行けないものは行けません。

 

そのうち、学校に行けない自分のことがだんだん情けなくなってきて。自分で自分を責めるようにもなってしまいました。負の連鎖ですね。

 

病院に行くと「軽い操うつ病みたいな感じだね」と言われました。

 

学校に行っていないときは、寝るかネットをやるか。

 

勉強は割と好きな方だったんですが、家で勉強すると学校を思い出してしまって、精神的にきつかったですね。

 

スクールカウンセラーも当時はまだいなかったので、自分の状況を相談できる人も、分かってくれる人もいなくて本当に孤独でした。

 

いざ学校に行けなくってからは親に打ち明けられましたが、両親は人目を気にして「学校に行け」と言うばかりで、本当に私のことを心配してくれていなかったような気がします。

 

そういう気持ちを敏感に感じてしまう子どもだったこともあり、相談できなかったのでしょう。

 

本当は、学校に行けなくなってしまう前に誰かに相談しておくべきだったと思います。家族じゃなくても、例えば幼馴染の友だちがいたりだとか。

 

大人になってから思い出したんですが、昔、文通していた友だちがいて、中学高校時代に文通を続けていたら、もしかして何か変わっていたかもしれないな、とは思いましたね。

 

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2016年12月21日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。