うつ病のどん底から復活。「普通の働き方」から逃げた先で見つけた自分

2020.07.05公開 2020.07.12更新

大企業に入社するも、1年目にうつを発症し、休職、入院を経て退職。

 

社会のレールから外れ、人生のどん底を経験しながらも、今では地元の和歌山でシェアハウスなどの運営をする峯上良平さんへのインタビューをお届けします。

 

うつで引きこもりがちだった頃、梅農家でもある実家の手伝いを通じて、少しずつ体調を回復させて自信を取り戻してきた峯上さん。

 

今回のインタビューでは、

・新卒で入社後1年足らずでうつを発症し退職に至った背景

 

・ご自身のメンタルの回復のプロセスや当時の葛藤

 

・現在のシェアハウス・農作業などの居場所づくりの取り組み

などについてお話しいただきました。

 

峯上さんの運営する農園HPはこちら

 

〈インタビュアー 近藤雄太郎〉

 

入社後、1年足らずでうつを発症するまで

近藤
大手IT企業への入社。当時は周囲の期待も大きかったのでは?
峯上さん
心のどこかで「いい会社に入りたい」という思いはどこかであったと思いますし、両親も祖父母も喜んでくれ、「入社できて良かった」と思っていました。

 

と同時に、早く一人前になりたいと理想像を高く持ってしまい、「こうあるべき」と無理に頑張りすぎてましたね。

近藤
そして、入社1年足らずでうつを発症…
峯上さん
当時はよくわからなかったのですが、よく見られたい欲、完璧主義、一人暮らしなどの環境の変化が重なったからだと考えています。
近藤
無理に頑張りすぎてしまった感じでしょうか?
峯上さん
特に「周りから良く見られたい」という思いが強くて、無理に幹事を名乗り出たり、人が嫌がりそうな雑務を積極的にやっていました。
近藤
それ自体はとてもいいことのように感じますが…
峯上さん
「もっとできるはず」と、自分を追い込みすぎてしまっていました。

 

あとは、失敗したくない気持ちも強くて、慎重になり過ぎて仕事が遅れたり、それがまた自尊心を下げたりと負のループに陥ってしまっていました。

近藤
新人の頃は失敗はつきものとは言え、どんどん負のループに?
峯上さん
ストレス耐性がなかったかもしれませんね。

 

発達傾向もあり、スケジュール管理や単純作業が苦手だったり…

 

忙しい部署でもあったので、なかなか相談も遠慮しがちでしたね。

近藤
新卒の慣れない生活の中、本当に色々な要因が一気にぶつかってきた感じですね。
峯上さん
そもそものところで言うと、SEという仕事自体が向いていなかったんでしょう。

 

通っていた高専で専攻を選択する際、一番就職率が高いという理由で、半ば逃げるように電気情報工学科を選んだ背景もあったので…。

近藤
実際にうつを発症される前は、どんなご様子だったのでしょうか?
峯上さん
まず、眠れなかったです。

 

「寝たくなかった。次の日が来るのが嫌だった」というのが正直なところでした。

 

「また失敗したらどうしよう」「明日、あの作業できるかな」と。

近藤
お仕事の不安やストレスで頭がいっぱいだったと。
峯上さん
いざPCの前にいても「頭が動かない!」とパニック状態でした。

 

自分が自分じゃない感覚とでも言うのでしょうか。

 

ショックと不安が入り混じっていました。

 

うつ病と診断。休職、入院を経て退職

近藤
うつ病と診断後にすぐ休職だったのでしょうか?
峯上さん
そうですね。期間としては半年以上。

 

うつと診断されて、どこかで安心した記憶があります。

近藤
休職期間中はどのように過ごしていたんでしょうか?
峯上さん
実家に戻り、はじめは引きこもる生活が続いていました。

 

食事も1日1食程度しか摂れていませんでした。

 

仕事を休むことへの罪悪感もかなりありました。

近藤
体調が回復してきたのはどれくらい経ってからでしたでしょうか。
峯上さん
薬を服用することで気分が落ち着き、休職から2ヶ月後くらいには外出できたりするようになりました。
近藤
そこから徐々に復帰を見据えて準備を?
峯上さん
体調が落ち着いてきたのは良かったんですが、薬が合わなかったのかテンションが上がり過ぎてしまっていました。

 

今振り返れば、躁状態だったのですが、その時は回復して元気が出てきたと。

 

さらに、休職中の孤独感や、休職というレールを外れた感覚、「ちゃんと治るのかな」という不安を打ち消したいけど誰にも相談できないつらさもありました。

近藤
躁状態でもあり、不安や孤独感もある状態…。
峯上さん
体力も落ちる一方でした。

 

自分は病んでしまった人間なので、もう昇進は見込めないと考えていましたし、症状も良くなる気配がなかったため、死にたいと思う日々を過ごしていました。

 

それで気がつけば、毎日のように飲みに行っては朝方帰る自暴自棄な生活になってしまっていました。

近藤
復帰に向けて、どのように生活を立て直していったんですか?
峯上さん
復帰1,2ヶ月前くらいから、産業医に行動記録を提出するのですが、早く復帰したくて嘘をついていました。笑

 

産業医とは2週間1度、15分程度の面談がありましたが、自分の本音を言えてなかったですね。

 

「ちゃんとできてます」と伝えていましたが、もちろん表面上だけでした。

近藤
今振り返れば、休職期間中に「これをやっておけば」というものはありますか?
峯上さん
うーん…。

 

同期にその時の状態を打ち明けていれば…職場復帰で困らなかったのかなとは思います。

 

あとは、復帰に向けて「焦り」があった結果失敗してしまったので、職場復帰前にトレーニングが出来る仕組みがあれば良かったのかもしれません。

近藤
職場復帰後に、入院になってしまったときのこと
峯上さん
半ば嘘をついての職場復帰ですし、回復したというより躁状態なだけでした。
近藤
それで職場復帰後もなかなか難しく?
峯上さん
はい。自分としては役に立ちたい思いはありましたが、躁状態だったこともあり、それが空回りしてしまっていました。

 

ある時、副社長の講演後に、新人の私が副社長に直接質問をしに行くという、常識外れな行動を取ってしまったんです。

 

それまでも細かな問題があったんだと思いますが、それをみた上司が産業医に報告、呼び出しを受け、入院することになりました。

近藤
入院ですか…
峯上さん
今思えば確かに躁状態で周りの判断は正しかったと思います。しかし…
近藤
しかし…?
峯上さん
入院生活は自分にとって非常に苦しかったです。

 

言い方は悪いのですが、人生のドン底を味わい、「ここにいてはいけない」と強く感じました。

近藤
それくらい入院生活がおつらかったんですね。
峯上さん
夜中、僕の足元で同室の男性が泣いていたり、手首(のリストカット)を隠してるのが当たり前だったり…。

 

正直、すごく怖い所に来てしまったなと。

近藤
なるほど…。
峯上さん
薬を飲めば飲むほど、自分の感情をなくしたり、考えがまとまらなくなり、泣きながら医師に「出して欲しい」と懇願しました。

 

私にとって忘れられない経験でした。

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2020年7月5日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。