「検査の数値を下げるために生きてるわけじゃない」透析生活30年の本音と今
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3歳で慢性腎炎。ムーンフェイスでいじめも
僕、体育をやったことなくて、小中高の体育の授業は全部見学。今は違いますが、昔は「腎臓が悪い人は運動一切ダメ」というガイドラインがあったので。
それでも放課後は野球やってました。「野球はそんなに走らないから大丈夫」とか言って誤魔化して。笑
それでいじめにも遭いましたね。ムーンフェイスに対して「なんだ、その顔は」「醜い顔しやがって」と。
休み時間、ひどいことを言い続ける◯◯くんを呼び出して殴りかかりました。でも当時の僕の体は小さいし、薬の副作用で足腰も弱いし勝てるわけないんですよ。
それでも我慢できなかった。結局、返り討ちにあって病院に運ばれましたけど、それ以来、僕のことを変に言う人はいなくなりました。笑
精神的にもうつ気味になって部屋から出なくなることもあったくらい。
たまに製薬企業などで自分の体験をお話する時、ムーンフェイスの副作用が出た薬のことを「人生を変えた薬」と言っています。僕にとってあの薬がいじめに繋がったという、かなり傷ついた記憶があるので。
親に対しては、反抗期の頃に「なんで自分は病気なんだよ」「なんで病気で産んだんだよ」とかひどいことを言ってしまったことは、申し訳なく思っています。
それでも埼玉から東京の病院まで、毎日お見舞いに来てくれたことは僕の支えでしたね。
1987年2月9日、第二の誕生日
透析しないと死んじゃうので、第二の人生が始まったという意味合いなんです。今、51歳で32年間透析。もう人生の半分以上経っていますね。
それでも受けるだけ受けて、試験が終わったのと同時に入院。外出許可をもらって合格発表を見に行ったんですけど、全部落ちていましたね。笑
恥ずかしくて、看護師さんに見つからないようにこっそり部屋に戻った記憶があります。そこから1年間の浪人生活が始まりました。
当時、透析について何も知らなかったので、まさか針を2本も刺すなんて思っていませんでしたよ。針もまた太いんです。「これが一生続くのか」という思いはありましたね。
今でこそ、麻酔のクリームやテープで痛みを和らげることはできますが、当時はなかったですからね。痛みは我慢するしかないし、辛かったです。
その頃のモチベーションは大学受験。「とにかく大学に受かりたい」という思いがあって、それなら透析もしっかりやらなくちゃと。
透析って1回4時間ほどかかるので、その間も受験勉強をしていました。
病気を言い訳に何かを諦めるのは嫌だった
どうしても透析に行かなければならないので、時間的な配慮は希望しつつも、「他の同期と違う扱いをしないでほしい」ということも伝えていました。
結構強気で就活をしていたのですが、周りで内定をもらえていないのは僕だけに…。それでも粘り続けたおかげでソニーから内定をもらうことができました。
大学に内定報告に行った時は信じてもらえませんでしたけどね。笑
「無理せず甘えず」を信条に
なので、日頃からどう職場のチームとコミュニケーションをとって、協力してくれる関係性を作るか、すごく意識していました。
他の人でも介護や育児など、家庭の事情で早退することはありますよね。それと同じです。事情はそれぞれ違うけどお互い様だと思っています。
「無理はしないけど甘えちゃいけない」というバランスは常に意識していますね。できているかは別として、意識しておくことは大事だと思います。
4〜5時間の透析が終わってから、電車に長時間乗って自宅に帰るのはやっぱりしんどいですよね。
また、透析の日は在宅ワーク、それ以外は通常どおり出勤という方もいます。その方は、自分の経験を社内で共有する活動をしていて、透析への理解を深める理想的な取り組みだと思っています。
新しいチャレンジに飛び込むまでの葛藤
その過程で、「患者って治療を施される受け身の立場だけってどうなんだろう」「患者だからこそ出来ることってあるよね」と思い始めるようになり、ソーシャルワーカーという存在に関心を持ったことがひとつ。
その当時はかなり感情移入していましたが、「なんとかしてあげたい」という思いがすごく強くなっていったんですね。
この二つのきっかけから、自分の経験を通じて医療に貢献できる仕事をすることが人生のミッションじゃないかと思ったんです。
心配かけてきた一人息子が世間的にも認められる会社に入って、親は喜んでたんですよね。それなのに辞めるとか言うから、「これまで頑張ってきたのになんで辞めるんだ」って。
その姿を見て「親不孝なのかなぁ」と思うようになり、自分の気持ちを抑えるようになりました。
全身麻酔前に万が一のケースに対して同意書に署名しましたが、そこで自分の「死」というものを意識させられたんですね。
「何かあってからでは後悔する」、と。
当時、親に許しを得るような歳ではなかったんですけど、ずっと心配かけてきたので親には納得してもらいたかったという思いが強かったんですね。
退職後、腎臓にガンが見つかる
ところが退職してすぐに副甲状腺のオペだったので、タイミング的にすぐには入学できなかったんですね。
それで、九州大学の医学部で医療決断サポートという分野を学び、一年経ってから福祉の学校に入ることになりました。ただ…
今でこそ、2人に1人はガンになるって言いますが、告知された時は死ぬと思いました。ガン=死のイメージだったので。
幸いにも初期のステージでした。親には「腎臓を取れば心配ない」ということを丁寧に伝えました。それでも心配したでしょうけどね。
「患者協働」の取り組み
ただ、私のように長く病気と関わっている慢性疾患の場合、患者は真ん中ではなく、周りの医療者などの輪に一緒に参画することが大切ではないかと思っているんです。
患者は受け身になりがちですが、本当は心の中にある希望や夢、大切にしたい生き方を持ち続けてほしいと思っています。
それによって患者自身のリテラシーが上がったり、自己管理への意識も生まれます。
薬を飲まずに、医師や看護師に怒られることも減るでしょうし。笑
3歳から病院に通っていますが、医師を神のように思っていましたし、親も親で「先生の言うことに従わなきゃ」と思っていたと思います。
例えば、新しい治療法を始めるときや新しい薬を処方されるとき、わからないことを聞けず、「先生にお任せします」というスタンス。
まずはその意識から変えてみてほしいと思っています。
日本で透析を受ける場合、週3回4時間、血を取る量が1分間に200mlが一般的。現在の僕の場合、週3回5時間で1分間に350ml。何が違うかというと、毒素がたくさん取れるかどうか。
食事制限もゆるくなって、しっかり食べれる分、体調も良くなる。病院が変わってから本当に人生が変わったと思っています。
でもこれは、実際に行動しないと分からないですし、そもそも透析の様々な情報を知らなければ分かりませんでした。
だけど、インターネットも発達してきて、もっと自分に合う良い方法があったんだと気づくことができました。
宿野部さんにとって「健康」とは?
僕は慢性腎不全という病気を持っていますが、小児科でいつも泣いていた頃に比べれば、精神的にも不調ということはあまりありません。
「病気になっても大丈夫」という社会を実現するためにも、透析としっかり向きあえているという感覚があるので、病気を抱えていても健康だと思っています。
サイコネフロロジーという腎臓病精神学という言葉があるくらいなので、週3回の通院が一生続くのはやっぱり軽くはないですよね。
例えば透析が終わって疲れたなぁと思って、翌日になると「また明日透析か…」って考えてしまう。次の透析まで中二日の日があって、ホッとできるのはそのタイミングだけ。
病気中心の生活になっているので、本当は大切にしたい生活を諦めちゃってるんですよ。
「もう一度、◯◯をやってみたいな」というモチベーションに繋がれば、透析にもしっかり向き合おうと思ってもらえるんですよね。
落ち込んでいるとそういう観点で見れなくなっているんです。「他のことを考えてみよう」と言ってくれる人も周りにいなくて、自分の世界が透析ワールドみたいになっているというか。
でも、数値が悪いことくらい患者本人もわかりますよね。医療者だからといって、感情的にダメと言っても何の意味もない。
命の関わる部分ですから数値がどうとかじゃなく、生きる楽しみや喜びを本人に気づかせてあげることが大事だと思っています。
このアプローチはすぐに結果が出るものではないですし、忙しい医療現場からすれば、そんなことやってる時間はないという本音もあります。
実際、周りの医療者は、「うちのクリニックはお年寄りばかりだし」とか「皆が皆、自己管理できる患者ではない」と口を揃えて言うと。
透析クリニックの回診って、「変わりないですか?」「変わりないです」と同じような問答を患者としますが、隣のベットが近いので聞かれたくなくて、当たり障りのないやり取りで終わっちゃうんですね。
やっぱり周りに聞こえるような状況だと言いづらいので、個室で話せると安心感がありますし、医療者に対する信頼感にもつながると思います。
患者には医療を支える役割もある
どこか他人事に映る透析患者の姿を見て、「ああなるんだったら生きててもしょうがない」と思う人がいても全然不思議じゃない。
みんな元気だし仕事もしてるんですね。なかには40年間透析してる人もいる。ノルディックウォーキングやってる人もいる。
現状を直に感じてもらうことで、「もう駄目かと思ってました」「大丈夫そうなので頑張れます」と言ってくれる人は多いです。
同じ病気をもった人と繋がることで、「頑張っているのは自分だけじゃない」と知れます。情報を共有することでリテラシーも高まるし、コミュニティに入ることでメンタルが整う人も多いと思います。
患者は治療は受けるけれども、医療を支えるという立場としての役割もあると思っています。日本の医療が崩壊してしまう前に、なんとかしないといけないし、少しでも役に立てればと思います。
「お医者様に全てお任せします」という姿勢を見直して、多職種連携のなかに患者もどんどん入っていってほしいと思っています。
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- 本記事は2019年11月7日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。