生きてる意味が分からなかった中学・高校時代から180度変われた理由

2017.03.04公開 2020.05.10更新

中学・高校時代、友達・家族関係で悩んだり、「生きている意味が分からない」と心のモヤモヤが晴れずに苦しんだ経験、一度はあるかもしれません。

 

今回のインタビューでは、そんな中高生時代の葛藤を経て、自殺予防などに取り組む鎌田悠香子さんにお話を伺いました。

 

優等生だった中学時代から一転し、リストカットに走ってしまった経験、母との葛藤、躁うつ、親戚や友人の自殺…

 

様々な境遇を経験しながらも、苦しかった中高生時代から180度変われた理由などについてもお話しいただきました。

 

優等生でいることがつらかった

実家がお寺だったこともあり、すごく厳しく育てられて、中学2年生くらいまではすごく自信に満ち溢れていた子でした。

 

生徒会に立候補して副会長をやったり、部長を率先してやっていたり。

 

ところが、中学3年生くらいから「すごく生きづらいな」と、だんだん自分に自信がなくなっていったんです。

 

優等生でいることが辛くなってしまったんです。

 

「お寺のお嬢さん」という周りの視線に気にして、頑張り過ぎていたのだと思います。

 

実際、知らないおばあさんとかに「あら、あのお寺の〜」って声をかけられるんです。

 

「誰だろう?」って思いながら「お世話になっております」と挨拶をするような子どもでした。

 

「お寺の子は頭が良くないといけない」

 

と周りにも求められている気がしていて、「そのイメージにはまらないきゃ」という思いがプレッシャーになっていたんだと思います。

 

99点でも親に責められる

それでも、中学3年生までは何とか頑張ってこれましたが、そのうち自分の中でバランスが取れなくなってきてしまいました。

 

「認めてもらえてない」

「親の期待に応えないといけない」

 

というプレッシャーがあって「本当の自分じゃないような感じ」がとても苦しかったんです。

 

99点でも責められてましたから。「なんでその1点落としたの?」って。

 

親としては責めているつもりはなかったかもしれませんが、当時はとてもつらくて、

 

「自分はまだ足りないんだ」

「もっと頑張らないといけないんだ」

 

と、かなり自分を追い込んでしまっていたんです。

 

できない部分にだけ目が向くようになって、自信がどんどんなくなっていきました。

 

「自信もないし、何もできない」という思いが積もりに積もって、中3の時に自傷行為に走ってしまいました。

 

大したこともない傷なんですけど、その時は本当に辛くて。

 

でも親は厳しいし、誰にも言えなかったですね。

 

はたから見たら、成績も良くて活動的で友だちも多い「順風満帆にきてる子」だったと思います。

 

だから余計に「弱い面を見せられない」と。

 

しかも親からはずっと「県でも1番、2番を争う進学校に行け」と言われていました。

 

「その高校に行かないと人生が終わる」という思いが強くなるほど、成績はどんどん下がっていきました。

 

そしてどんどん追い詰められて、もう自分が嫌いになっていました。

 

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休みたいけど動いてないと怖かった

全体の平均点が低かったこともあり、本当に運良く目標にしていた高校に受かりました。

 

しかし、高校ではすぐに勉強についていけなくなりました。成績は恐ろしく悪かったです。

 

習い事や学祭の実行委員などをやっているときは、純粋に楽しんでいましたが、どこかで無理をしている感覚もありました。

 

学校を休みたいと思っても親が許してくれるわけもなく。

 

「もうだめ、動けない」という思いがある一方で、動いていないと怖い気持ちもありました。

 

もし止まってしまったら自分じゃなくなる気がして、「みんなに見放されてしまう」と。

 

だから「なんでも頑張ってやろう」と結構ギリギリのラインでやっていました。

 

今思えば、あの時よく生きてたなと思いますね。笑

 

自信はどんどんなくなっていて、「なんで生きてるんだろう」と思うことも多くなりました。

 

「生きるのは20歳まででいいや」と決めていたこともありましたが、「カウンセラーになりたい」という思いもあり、とりあえず大学に進学をしました。

 

大学入学後、躁うつ病と診断

大学では心理学部へ。ところが、1年ほど経って急に大学に行けなくなってしまいました。

 

朝は起きられないし夜は眠れない。

 

人前に出るのが本当に怖くて、家から出られませんでした。

 

今思えば、本格的に躁うつ病を発症した時期だったと思います。

 

当時、自傷行為をする自分を「どこかがおかしいんだ」とは感じていました。

 

でも、病院は怖いし、病気だと分かって「自分が止まっちゃったら怖いな」と思い、なかなか病院には足が向きませんでした。

 

それでもやっぱり、20歳くらいの時、強制的に止まらざるを得なくなりました。

 

ただ、死ぬ勇気はありませんでした。

 

文字通り”デッドライン”をちょっと延ばそうと、大学卒業ぐらいにデッドラインを変えました。

 

「22歳ぐらいまで、この状態が続くようだったら本当に死んでも良いな」と思っていましたね。

 

2回ほど心療内科を受診して、1回目の所では実は「統合失調症」と診断されていました。

 

しかし、違う所に行ってみると今度は「今の段階では判断ができない」と。

 

とりあえず、病院には通いながら、色々過去のことなどを洗いざらい話して「躁うつ病」という診断を受けました。

 

診断を受けてホッとしました。枠にはまれたような感じがしたんです。

 

それまでは、自分のことを頭がおかしいと思ってましたから「躁うつ病なんですよ」と言われて、「じゃあ仕方ないか」と割り切れたんです。

 

それまでは、自分が悩んでいることや辛いことや自傷行為のことを親に一切言えませんでしたが、「これで言えるな」と。

 

でも、親はあまり理解はしてくれず、むしろ動揺して大変でした。

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2017年3月4日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。