
多発性硬化症の診断から6年。難病に泣き、難病を受け入れ、共に生きるまで
信頼できる先生との出会いと入院生活

相談時間が過ぎても丁寧に話を聞いてくれて、終わる頃には「先生に診てもらいたいです」とお願いしていました。
初めての診察でも、「いろいろ不安もあるだろうから、何かあったらいつでも電話をかけてきてくださいね」と言ってくださいました。




何度か症状で不安になった時に、病院に電話をかけると丁寧に話を聞いて下さり、的確な指示をもらえました。
また、先生が出られなかった時には折返し電話をかけてくださったこともあります。


私自身、初めの頃は、「この症状が一生続くのか」と毎晩泣いていたこともありました。


また、痺れのせいで眠れない事もある為、睡眠導入剤も処方してもらっています。




1ヶ月単位での入院が多いので、毎回「目指せ!充実入院生活!」を目標に、いつも入院中にやる事リストを作ったりしています。笑

杖生活で感じられた優しさ・冷たさ

でも、混んでいても気持ちよく譲ってくれる人もいて、申し訳無さと感謝が入り交じる感じです。
譲ってくれた気持ちを無駄にしたくないので、たとえ一駅でも座るようにしています。
譲ってもらった時と降りる時で、必ず2回お礼を言うように心がけています。




あと、人混みの中で歩く時は、ぶつかって杖が持って行かれていまい転びそうになる事は多々あります。


資格取得と理解ある職場との出会い



入院患者の身の回りの世話や介助をする仕事なので、いろんな人の助けができる。
動き回っていた方が、痺れも気にならないのでいいなと。笑


リハビリ病院で看護助手を募集していたので、まず東京都の難病患者就職サポーターの方に相談に行きました。
当時は障害者手帳を持っていなかったのですが、同病仲間から難治性疾患患者開発助成金という制度を教えてもらい、それを活用して就職活動を進めていました。
ただ、面接のときに看護師長さんからは、病気のこともあるし厳しいと思うと言われました。
でも、誰かの助けになりたいという意欲を買ってくださって、リハビリ助手の仕事を紹介してくださいました。






長い時は7ヶ月入院して休んだあとも、すぐに復帰できるような体制を整えてくれていたので本当にありがたかったです。


しかし、傷病手当を使える期間が切れてしまっていたこともあり、退職を決断しました。


杖なしで歩けなくなったときも、病院は「休んで良くなったら戻ってきてよ」と言ってくださって、とても理解のある職場でした。

患者会の立ち上げ

いつ頃、立ち上げられたんですか?


人が集まらなかったらそれはそれでいいかなくらいの気持ちで始めたら、どんどん人が集まってくれるようになり、今では全国に379名のメンバーがいます。


facebookに交流グループがあり、そこでは質問をしたり、新しい情報をアップしたり、症状をシェアし合ったり、気軽にグチを吐ける場所になっています。


もちろん中には50〜60代の方もいます。




障害者手帳は、福祉のパスポートって呼ばれたりもしますし、メリットも多そうです。


すでにオープンにしていますし、それで離れていく人がいたらそれはそれでしょうがないかなと思います。


がんばろうって思ってもらうことで、私もがんばろうって思えるので、私の場合はオープンにしています。


クローズで働く人の中には、通院する平日に休みを作るために、土日出勤をしてカバーしている方もいます。
ただ、クローズの状態だと再発した時に会社にバレてクビになるケースもあるみたいです。


難病であることは、会社にとってメリットにならないですから…。
難病であることを開示せずに就職する方が多い現実がそのことを物語っていますよね。




家族や友人、恋人でも100%分かってもらう事は難しいです。これはある意味仕方のないと。
その症状を味わったことがない人に伝えるのって難しいんですよ。
患者会だと、「私もその症状あったよ」とか「痺れるよね」とか、自然に共有できて、分かり合えるのがいいなと感じています。

難病でも、前を向いて生きるため

ただ、現状では病気と向き合いながら生きていくしかないので、完治に執着したくないなとも思っています。


病気ではない人と比べたり、病気を恨むことに意味がないと思ったんです。
それなら、病気になったからこそできること、今の自分にしかできないことをしたいと思いました。


ただ、前向きに生きることができない方も少なからずいることも、多くの方と出会いを通じて知りました。
「難病でも前向きに生きる」というのは、あくまでも私自身の理想。
前向きになれない時があっても、それは当然だと思っています。


そんな事に時間を使うより、自分が楽しくいられる事に時間を使ったり、同病仲間と話したりして、みんなも頑張っているのを知ることですね。

これからのチャレンジ

「名を残す事ではなくて 例えば1本の木を残す事が出来たなら 生まれてきた意味があるのかな…」
とあります。これからの活動で、狐崎さんはどんな木を残したいですか?
そのひとつに「M-N Smile」がなれたらいいなと思っています。
いつか、世代交代で私が運営から抜けても、ずっと在り続けていたら嬉しいですね。


沢山の素敵な出逢いがありました。
漠然としていますが、病気になったからこそ出来る事、自分にしか出来ない事をやりたいです。


病気になって出来なくなった事を探して悔やんだり、出来なくなったらどうしようと不安になるより、今出来る事に目を向ける。
それに感謝し、それを大切にする。どんな小さな事でもいいので、今の自分にしか出来ない事にチャレンジする。
それが、病気と共に生きるのに必要な事だと私は思います。
時には休みながら、無理はせず。
このインタビューが、皆さまのお役に少しでも立てたら嬉しいです。

- 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
- 本記事は2020年2月12日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。