多発性硬化症の診断から6年。難病に泣き、難病を受け入れ、共に生きるまで

2020.02.12公開 2020.05.07更新

平均発病年齢は30歳前後。若年成人に発病することが最も多い、指定難病の多発性硬化症。

 

難病情報センターによると、多発性硬化症患者は日本に約12,000人いると推定されています。

 

まだ、はっきりした原因は分かっておらず、症状もどこに病変ができるかによって千差万別で、再発と寛解を繰り返すと言われています。

 

今回のインタビューは、多発性硬化症と診断されてから6年目を迎える狐崎友希さん。

 

狐崎さんは、多発性硬化症、視神経脊髄炎の患者とご家族が入れる患者会「M-N Smile」の代表も務めており、全国に350名を超えるメンバーが在籍しているそうです。

 

そこで今回は、狐崎さんに多発性硬化症の発症当時や入院生活のこと、病気に対する思い、これからのことなどについてお話しいただきました。

 

多発性硬化症とは

近藤
そもそも多発性硬化症ってどんな病気なんですか?
狐崎さん
説明が難しいのですが、よく例えで用いられるのは「電線」です。
近藤
電線…ですか?
狐崎さん
脳の情報を伝える神経を電線に例えると、多発性硬化症はその電線のカバーが外れてむき出しになってしまうんです。
近藤
むき出し…。イメージしただけで怖いですね。
狐崎さん
脳からの情報が正常に伝わらなくなって、手足が痺れたり、力がはいらなくなったり、目が見えづらくなるなどの症状が出てきます。
近藤
狐崎さんはどんな症状なんですか?
狐崎さん
両足の裏から太ももまで、24時間365日痺れ続けています。

 

正座で足が痺れるような感覚で、かれこれ8年消えたことがないです。

近藤
8年…。どんな治療をしているんですか?
狐崎さん
免疫吸着療法という治療を定期的に受けています。

 

それで若干痺れが和らぎますが、効果は継続しないため、定期的な治療が必要です。

IMG_3446のコピー

近藤
受療のきっかけは?
狐崎さん
最初は足裏の痺れで整形外科に行ったのですが、低体重を疑われてビタミン剤を出されただけでした。

 

3年経っても痺れが取れず、次第にふくらはぎや太ももまで痺れてきたので、いよいよ不安になって神経内科へ行きました。

近藤
そこで多発性硬化症が発覚したと。
狐崎さん
最初は「なにも問題はないですね」と医師から言われました。

 

そんなわけがないと食い下がってようやくMRIを撮ってもらい、そこで初めて多発性硬化症と診断されました。

近藤
もし、そこで食い下がっていなかったら発見が遅れていたかもしれなかったんですね。
狐崎さん
そうですね。

 

主治医には「点滴治療と精密検査で1ヶ月の入院が必要」と言われましたが、難病とまでは知らされませんでした。

 

2ヶ月後のワンマンライブが終わってから入院してもいいか聞いてみると、「大丈夫ですよ」と言われたので、入院は後回しにしました。

IMG_3475

近藤
多発性硬化症と診断を受けたものの、即入院とはならなかったんですね。
狐崎さん
そうなんです。病院から出て、多発性硬化症が難病と知ったのも、病院を出て自分でケータイで調べたときでした。
近藤
そこは主治医に伝えてほしかったですよね。
狐崎さん
本当にそう思います。

 

さらに、これは入院してから分かったことですが、本当は一刻も早く入院しないといけなかったみたいです。

近藤
え、どういうことですか?
狐崎さん
点滴治療は早期にやらなければ効果がないらしく、入院後、主治医からは「点滴が効かなければ他に治療法はありません」と言われました。
近藤
それは、いくらなんでも…
狐崎さん
ものすごくショックで、入院してしばらくは毎晩泣いていました。

 

主治医にも不信感が募って、違う病院を探すことにして、今の信頼できる先生と出会うことができました。

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近藤雄太郎

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  • 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
  • 本記事は2020年2月12日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。