会社に行けなくなった3つの前兆と退職を決意するまで【宇都喬之さん】

2019.02.17公開 2019.02.18更新

うつでの休職経験などを経て、自身の経験をブログやTwitterで発信をされている、”たこすけ”こと宇都さん(@taccotacosuke)。

 

今回のインタビューでは、うつのきっかけや休職中のこと、ご家族との関係などについてお話いただきました。

 

>>【Part2】うつだけが人生じゃない。オールドルーキーでも輝ける

 

4つの小学校、2つの中学校

小さい頃は、どちらかと言うとわんぱく少年だったと周りからは言われます。

 

小学生くらいまでは友達も結構多くて、色々活発に動いていた記憶があります。

 

転勤族だったこともあり、小学校を4校、中学校を2校ほど通い、中2の頃に鳥取から東京の中学校へ引っ越しました。

 

そこであまり馴染めずに、小学生の頃の活発さが隠れていくようになりました。

 

控えめな人たちのグループで少人数で遊んだり。中学で1番楽しかったのは塾でしたね。

 

塾の先生がすごくフレンドリーで、とても自然に受け入れてくれたんです。褒めながら伸ばす先生で、最終的に高校3年までお世話になりました。

 

それでも、中学生活での引っ込み思案な癖が身についてしまい、高校3年間もそれを引きずっていました。

 

クラスメイトを名前で呼べなかったんです…。「ねえねえ」「ちょっと」とかそんな感じで。

 

ずっと悶々としていましたね。高校3年間。

 

 

国際協力への思いと就職活動

自分を出せずに過ごしていたので、高校の同級生が進まないような大学に進学しようと、距離の離れた大学に入学しました。

 

高校デビューに失敗したので、大学ではスタートダッシュをかけようと、入学後は背伸びをして遊んでばかりいる大学生という感じでした。

 

在学中、国際協力のサークルを立ち上げて、”Table for two”という活動を通っていた大学にも導入するためにゼロから活動を始めました。

 

自分一人で始めた活動でしたが、声をあげれば協力してくれる人が集まってくれて、それがすごく新鮮で嬉しかったですね。

 

将来的にも国際協力に携わっていきたいと思いつつ、就職活動。

 

でもすぐに、自分にげんなりしてしまいました。

 

就活中、他の学生たちの話を聞いていると、すごい実績ばかりで「自分はまだまだだな」と感じてしまったんです。

 

周りの学生と比較して自信がなくなり、負のスパイラルになってしまった部分はあったかもしれません。

 

015

 

そういったこともあり、あまり積極的ではなかったのですが、大学院への進学を選びました。

 

大学院生活はあっと言う間でした。研究室に泊まり込むほど忙しく、すぐにまた就活が始まって…。「もう就活か」という感じでしたね。

 

就活の際、すぐに国際協力の仕事は難しいと思い、そのステップとしてシステムエンジニアの道を選択をしました。

 

3社から内定をもらったのですが、正直なところ、IT業界への就職が国際協力に結びつくか自信があったわけではありませんでした。

 

むしろ、「文系大学院は就職不利」という情報で不安になり、文系院卒の採用実績が多いIT業界を選んだという側面もあります。

 

「IT業界の会社で、国際協力をやっていう会社もあるし」

 

と、半ば強引に自分自身を納得させていた部分は、今振り返れば感じますね。

 

 

不本意な配属、教育担当との関係

IT企業に入社後、3ヶ月ほどの研修を経て、発表された配属先は運用・保守。

 

システムの安定稼働やトラブル対応がメインの希望とは異なる部署で、モチベーションは下がっていたと思います。

 

それでも任された役割はきちんと果たそうという「社会人たるもの」みたいな意識はありました。

 

ただ、教育担当の上司とは相性が合わなかったですね。

 

僕が質問しても、こちらを見ずに「何? 」って返してきて、淡々と詰められる…みたいな。

 

怒鳴ったり、声を荒げることはなかったんですけど、そういった関係が休職するまでの9ヶ月ほど続きました。

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