多発性硬化症で自暴自棄だった過去。絶望の世界を180度変えてくれた存在

多発性硬化症の治療と入院のこと

近藤
現在に至るまで、どのような治療を受けてきましたか?
池田さん
これまで幾度となくパルス治療を受けてきています。

 

私の体質的なものもありますが、パルス治療はよく効きます。

 

足が上がらなくなるような症状が出た時に、血漿交換治療も受けたことがあります。

近藤
気持ち的に、すんなり治療に向き合えたのでしょうか?
池田さん
最初の頃は、特に「なんでこんなことをやっているんだろう」と思っていました。

 

治すためなのはわかっているんですが、周りの友人の様子を知るとやはり羨ましいとか、不甲斐なさを感じていました。

近藤
そういった葛藤をどう乗り越えて来られたのでしょうか?
池田さん
主治医からは、「症状が出てもすぐに治療できれば、症状が出る前の状態に戻せる可能性はある」と言ってもらえたことで、頑張ろうとは思えていますね。

 

研究も進んでいますし、さらにいい薬が出るようになるだろうとも期待をしています。

近藤
ご両親の支えも大きかったですか?
池田さん
それはもう大きいです。

 

両親が元々楽観的な性格でもあるせいか、注射薬への抵抗感があった時も、

 

「1週間に1回くらいの注射なら、お前ならできんだろ」

「なんかつらいことあったら言ってな。とりあえず焼肉でもいくか」

 

と、会話が重くならず気楽になれることで、治療に向き合えている気はしています。

近藤
深刻になりすぎないのも大事かもしれませんね。
池田さん
はい。とは言え、生活はガラッと変わり、もう全部やめてやろうかなと自暴自棄になったことも事実です。

 

こんな病気になって働く意味ってあるのか、と悩んだりもしました。

 

働かなきゃいけないことはわかっていたけど、自分の身体よりも働くことを優先しなきゃいけないのかなと。

IMG_6188のコピー

近藤
自暴自棄になっている時、どんなことを思っていましたか?
池田さん
とにかく仲間がほしかったです。

 

それでTwitterで調べたらいっぱい出てきて、年齢関係なく相談し合える、多発性硬化症の友人が増えていきました。

 

それから世界が一気に変わりましたね。

近藤
それほど仲間の存在は大きいものなんですね。
池田さん
リアルでのつながりは、特にかけがえのないものです。

 

「多発性硬化症でもこんなに楽しくやってる人がいる」と気付くことができましたし。

 

日本全国に友達がいるので、会いに旅行だって行けますよね。

近藤
一人だったら、どんどんふさぎ込んじゃいそうですもんね。
池田さん
そうですね。

 

仲間の存在によって、病気に詳しくなるというより、同じ境遇の人が楽しそうに笑っている姿を見るだけでも、「決してネガティブだけじゃないな」と思えます。

 

情報収集のためというより、単純に「元気?」と言い合える関係なのが心地いいですね。

近藤
入院のご経験はありましたか?
池田さん
2013年が最初の入院でした。

 

きっかけは、足が上がらなかったことですね。ステロイドパルス療法を受けていました。最初の入院が一番長くて、3ヶ月ほど入院していました。

近藤
入院中はどんな生活を?
池田さん
とにかく身体を休めることとリハビリを熱心にやっていました。

 

当時は足が使えていなくて筋力も落ちていました。なので、筋トレや柔軟もかなりやっていましたね。

近藤
リハビリが割と多いんですね。
池田さん
そうですね。

 

最初は歩けなかったのですが、2週間ほど経ってから少しずつ歩けようようになり、1ヶ月ほどで普通の歩き方ができるようになっていました。

近藤
1ヶ月もですか…
池田さん
ちょうどそのあたりから、薬の導入も始まりました。初めての薬はアボネックスと呼ばれる1週間に一度打つ自己注射。

 

注射の打ち方を教えてもらい、「今後は自分で自宅で打っていきましょう」となり、退院となりました。

近藤
現在に至るまでの症状の変化のご実感はいかがですか?
池田さん
最近は、足が少し気になりますね。思いっきり走ることはできなくなりました。ほんとにジリジリと動きが狭まっている感じですね。

 

新たに出ている症状として、軽いふらつきや眼振があるので、注意しながら日常生活を過ごすようにしています。

IMG_6091のコピー

近藤
日常生活で特にどんなことを気をつけていますか?
池田さん
まずは出来るだけ規則正しく過ごすこと、睡眠時間をしっかりと取ること、ストレスを溜めないことですね。

 

自宅では軽い筋トレやお風呂上がりにストレッチをしています。

近藤
規則正しい生活って、案外難しくないですか?
池田さん
そうですね。笑

 

ただ、コロナの影響で半ば強制的に生活リズムが良い意味で整えられています。笑

 

仕事から帰ってすぐお風呂、ご飯。9時半にはベッドに入っています。

近藤
日常生活への制約を逆手にとりましたね。笑
池田さん
あとは、日本食を大事にしています。
近藤
それはどんな理由からでしょうか?
池田さん
この多発性硬化症という病気は日本では認知度は低いですが、アメリカなどの欧米では多いんですね。

 

そして、この病気の人が増えた背景として、食の欧米化も考えられているんです。

近藤
なるほど。
池田さん
私もハンバーガーやステーキが大好きなんですけどね。笑

 

ただ、日常生活で主治医から言われているのは、「野菜多め」「長時間残業はNG」「睡眠時間をしっかり取る」くらいなので、あまり制約はないのはありがたいです。

 

多発性硬化症と仕事の両立

近藤
治療と仕事の両立についても教えてください。
池田さん
治療と仕事の両立はできていないと思っています。
近藤
…え、けれど治療もフルタイムのお仕事されてますよね?
池田さん
それはそうなんですが、やはりどこかで働きづらさを感じていることも事実です。

 

多発性硬化症については、伝える内容に差異はありますが、上司やチームメンバーにも伝えていますが、役職によって対応が異なることも少なくないので、戸惑うこともあります。

近藤
会社側もどこまで配慮をすればいいか悩ましい部分もありそうですね。
池田さん
そうかもしれません。

 

有給などは取りやすいのは良いところなんですが、この病気のことを説明しても思うようには伝わらないのはもどかしいですね。

近藤
実際にどういったご苦労があるのでしょうか?
池田さん
多発性硬化症の症状に記憶力低下もあって、メモなどを取って忘れないようにはしていても、するっと記憶から抜けてしまうこともあります。

 

忘れてしまうこと自体は申し訳ないと思うのですが、「それはやる気がないから」「やればできる」みたいな精神論が多いとつらいですね。

IMG_6211のコピー

近藤
ある程度、病気のことを知ってもらうのも根気が要りますね…
池田さん
新しい仕事がきて「覚えよう、できるようにしよう、知識を深めよう」と思っていても、できないことに歯痒さと悔しさはあります。
近藤
難病と向き合いながら仕事を続ける上で、ご自身が大切にしている心がけ、実践していることについても教えてください。
池田さん
・自分でできることは自分でする。

 

・助けがいる場合は遠慮なく声をかける。

 

ですね。なかなか思うようにはならないこともありますが、やるしかないので。

近藤
職場の現場レベルでの理解も必要になりますしね。
池田さん
「できない」と言えば「あの人はやってるのに?」みたいに言われることも正直あります。

 

悔しいんですが、もう普通には働けないと思います。

 

ただ諦めたくはないんです。なので、本当に日々勉強です。

近藤
諦めたくないという強い気持ちが伝わってきました。
池田さん
そのためにも、体調面にはすごく気をつけていますね。

 

仕事ももちろんやらなければいけないですが、やはり身体に障害を残すことはしたくないので、そこは自分で自分を守るべきかなと考えています。

 

どこまでいっても体調面は自分しか分からないので。

 

多発性硬化症、完治への思い

近藤
難病でもある多発性硬化症。この病気との向き合い方に変化はありましたか?
池田さん
最初の頃は、

 

「寝たきりになるんじゃないか」

「どんどん機能が失われていってしまうのではないか」

「こんな自分に何ができるんだろう」

 

とマイナスなことばかり考えていました。

 

そんな状態でも、仲間とつながり、関係性が広がることで、気持ちがどんどん上に向いていったんです。

近藤
今も思考がマイナスに引っ張られてしまうことは?
池田さん
減ったとは言え、落ちる時は落ちます。

 

それでも、以前はただうつむいて一人で落ち込んでいましたが、今は自分の気持ちを吐露できる仲間のおかげで、うまく切り替えられるようになりました。

近藤
同じ病気のはずなのに、仲間がいるいないでそこまで変わってくるんですね。
池田さん
根拠はないけど「いつかは治る」とも思えるようになっています。

 

薬や治療の種類もいっぱい出てきているので実際信じています。

 

研究が進んで完治する病気になるなら、それまで耐えればいいだけの話。

 

そう思えること自体が励みにもなるし、こう振り返ってみると、少しは人間的に成長したのかなと思います。笑

近藤
診断を受けた時から大きく変化したところでしょうか?
池田さん
診断当初は、これからずっと付き合って行こうなどとは思えませんでした。「なんで俺が」ばかり思っていましたね。

 

難病仲間なんて言ったらおかしいですが、同志がいるのは心強かったです。

 

この病気になったことで、良い意味でも世界が変わりました。診断当初と比べるとそれはもう見違えると思います。

 

難病のお陰で知り合えた人達がいること、まだまだわからない世界があること、視野を広く持つことができるようになったと思っています。

IMG_6112のコピー

近藤
現実との向き合い方、考え方をうまく変えてて、すごい…
池田さん
もちろん、現在は多発性硬化症は完治しないと言われているので、付き合っていく覚悟もできています。

 

ただ、完全に治らないとはやはり信じたくないです。

 

この病気はハンデでもあり、苦しいこともありますが、決してこんな病気に負けないように思います。

近藤
はやく医療が進歩していくと良いですよね。

 

自暴自棄だった頃の自分へ

近藤
このコラムを読んでくださっている方へのメッセージをお願いできますか?
池田さん
多発性硬化症と無縁な人がいれば、「あなたが知らない世界がある。そしてそこで頑張っている人がいるんだよ」ということを知ってほしいです。
近藤
多発性硬化症をはじめ、難病を抱えながら生きてる人がいることにも思いを馳せる人が増えていくといいですよね。
池田さん
そうですね。

 

多発性硬化症と診断されたばかりの人がいるとすれば、不安でどうしようもないくらいになってしまっていると思います。俺もそうでした。

 

注射薬の副作用で、自殺願望が出てしまうこともありましたが、できないことを数えていても落ち込んでしまうだけでした。

近藤
診断を受けた当初、どう向き合っていくのがいいでしょうか?
池田さん
昔だったら、助けを求めるしかできませんでした。でもそれでいいと思っています。

 

周りの人との関係を大事にしていきつつ、しっかりと治療を受ければ、現状維持出来るはず。怖いかも知れませんが、一緒に頑張りましょう。

近藤
こういう先輩がいるのは心強いですね。
池田さん
今は自分の許容範囲が広くなりましたね。

 

「これが出来ないなら、視点を変えてこれだったら出来るから、こっちを頑張ってみようかな」と切り替えも早くなりました。

 

ある程度、時間が経ったことで、自分でも改善策を出せるようになったことは大きいです。

近藤
ありがとうございました。

 

最後に多発性硬化症と診断を受けて自暴自棄だったご自身にどんなメッセージをお伝えするか教えてください。

自分自身へ。

 

片足上がらなくて辛いよな。いきなりで訳わからないよな。

 

「なんで」ばっかり思ってるよな。

 

自分で注射を打たなきゃいけないとか訳わかんないよな。

 

でも大丈夫。そんなのに負けるほど弱くねえだろ。点滴我慢すりゃ足は上がる。今が踏ん張り時だ。

 

「なんでこの歳で。これからなのに。ふざけんな」って自暴自棄になっているだろうが、なっちまったもんは仕方ない。

 

この病気のおかげで思いもしなかった出会いが待っている。同じ病気の人達といっぱい知り合えるから楽しみに。楽しくて優しい人ばっかだから大丈夫。

 

そして、この病気で知り合えた人達を大事に。そして自分の身体に敏感に。

 

注射もだいぶ打ったけど、そのおかげで今の状態あるから今は頑張れ!

近藤
池田さん、今日はありがとうございました!

IMG_6116のコピー

シェア
ツイート
ブックマーク

近藤雄太郎

Reme運営

インタビューのご希望の方はこちら

  • 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
  • 本記事は2020年7月3日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。